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平成九年春山合宿 剱岳周辺及び鹿島槍ヶ岳
その4 鹿島槍ヶ岳・赤岩尾根隊
井上 淳子, 遠山 里美, 服部 寛之【 】=執筆者

山行日 1997年5月3日~5日
メンバー (L)水田、大久保、四方田、尾崎、井上(淳)、小幡、服部、荻原、遠山

【井上】
5月3日 (曇のち雨)
 飛び石連休となった今年のゴールデンウィーク。カレンダー通りの休みしかない私は、仕事を終えて急いで家に帰り、新宿駅に向かった。連休前夜の新宿駅といえば、「山男、山女がうようよ」といった様子を想像していたが、実際には、「ちらほら」程度。どうも今年は、飛び石連休のおかげで、山へ向かう人の出発日がばらけたらしい。「電車の床に寝ることになるかも」という心配をよそに、ばっちり良い座席をとることができた。このことは、今回が初めての春山縦走になる私にとって大いに心強いことであった。天気が悪そうというのが気がかりだったが、なかなか幸先の良い出だしであった。
 翌日早朝の信濃大町はどんよりとした空。大谷原にタクシーで向かう。大谷原はすでに多くの登山者でにぎわっていた。やっと、私自身、「春山に登るんだ!」と実感がわいてきた。
 大谷原から林道を西俣出合まで行って、とりあえず休憩。みな、おにぎりやパン、お菓子などで食糧補給する中、約1名変ったものを食べている人がいた。尾崎さんが、なんと『里芋』(確かゆでたものだったと記憶する)の皮をむきむき口に運んでいた。今まで、山でいろいろな食べ物(高級蟹缶、納豆、キャットフード等)を食べている人を見てきたが、こんな渋いものは初めてだった。思わず感心してしまった。
 ここからはひたすら赤岩尾根を登る。途中右手に、鹿島槍を見ることができた。以前、スキー場で見た姿とはちょっと感じが違った(もっと、スマートな感じを思い浮かべていた)が、改めて『双耳峰』という言葉を頭に思い浮かべて、「うんうん」と一人納得していた。
 最後の、冷乗越のトラバースもトレースがしっかりあり、難なくクリア。結局、心配していた天気も保ってくれて、本日の目的地の冷池山荘のテント場に到着。ここで、リーダーの水田さんが、ビールをふるまってくださった。これまで私は、「飲酒と入浴は山ではずーっと我慢して、下山して久しぶりに実行するのが最高である」というのが持論であったが、このときばかりは、心の底から、「うまい!」と叫びたくなる程おいしかった。ごちそうさまでした。
 夜は、いっぱい食べて、飲んで、しゃべって9時前にはみんなシュラフに入りました。すると、フライに雨が降る音が・・・。一気にいやーな気分になってしまったが、夜行疲れもあり、その夜はぐっすり眠った。

(おまけ情報)次の日の私のテントの夕食は、尾崎さん担当のシチューであった。そして、その中にもあの『里芋』が・・・。でも、これがとてもおいしかった。今度家でも試してみようと思っている。

【遠山】
5月4日 (雨のち晴れ)
 何時からだろうか、強風と強い雨が降り続いている。いつ飛ばされるかと思いながらうとうとしていると、誰かの目覚しが鳴った。3時半だ。しばらくすると、天気予報を聞いた大久保副リーダーが、「午後になったら良くなるって言ってるから、様子を見よう」とテントの中から言ってきた。そこで水田リーダーのテントでは、再び皆シュラフにもぐった。
 「おい、まだ寝てんのかよ。うちのテントはもう朝飯食っちまったぜ」との大久保氏の声で再び目を覚まし、「様子を見ようって言ってたのに・・・」とぶつぶつ言いながらも急いで仕度をする。でも外は相変わらずの強い雨。そして今度は、「おい、出発するぞ」の声に、「何もこんな雨の中出かけなくても・・・・・」、「大久保氏、何か張り切っているなぁ」、「リーダーは水田氏じゃないの?」等々言いながらも、鹿島槍の頂上めざして出発した。
 布引山を越え、強い風で雪が積もらず瓦礫の露出した尾根道を、踏ん張りながら黙々と上がって行く。横からたたきつける雨で、手足はびしょ濡れだ。
 2時間程で、山頂に到着。しかし風が強いため、記念撮影をすると、すぐに下り始める。途中、雪庇の出ている所の注意を受けながら、どんどん下った。
 雨も小降りになり、11時過ぎにはテント迄戻ってきた。お昼の天気予報を聞いてから今後の行動を決める。ということになり、いつでも出発できるようにと靴をはいたままテントに入った。濡れた衣服をストーブで乾かしていると、テントの外から「今日はこのままここに止まろう」と大久保氏。今までの状況から、予定通り爺ヶ岳南尾根を少し下った辺りまで行くものと考えていた水田テント内では、一瞬の沈黙のあと、「どうして?」、「だったら何も今朝、雨の中強行しなくても良かったよなぁ」という声しきりだった。
 午後になると次第に天気は良くなり、雲も切れて、西の方には剱や立山の山並みがはっきりと姿を現し、又時おり鹿島槍の山頂も望ことができた。近くで起った遭難の、救助の様子を観察したり、初めてするミニテトリスにはまってしまい、お酒を飲むのも忘れてピコピコゲームをやり続ける小幡氏や、水田リーダーの命を受けて天気図作成に励む荻原氏、テントの中で一人大の字になって昼寝をする服部氏等、皆それぞれに、気持の良い長い長い午後を過ごしたのだった。

【服部】
5月5日 (雨のち晴れ)
 今日も朝から雨。下山路は爺ヶ岳南峰から南尾根を扇沢に下る。冷池を出る頃はさほどの雨ではなかったが、樹林帯を抜け吹きさらしの稜線となる冷乗越にかかる頃から風が強くなる。
 横なぐりの雨に追い立てられるかのように休まず爺ヶ岳南峰に到るが、南峰ピークは濃いガスに包まれたうえ立ち話もままならぬ凄まじい風で、磁石で方向を確かめ早々に下る。南斜面ということもあろうが、雪が少なく、頂上直下にしてはや岩を踏む。雪は尾根東面にかろうじて張りつき残る程度で、残雪の斜面を快適に駆け下る愉しみは果されぬまま、ピッケルを握りしめ、烈風によろめきながら下る。どうせよろめくなら世紀の恋によろめきたいが、目下それどころではない。下り始め尾根の方向にやや不安があったが、少し下ると白いガスの切れ間から青青とした南尾根が目に飛び込んできて安堵する。どっしりと、爺の巨体をささえるかのように力強く谷に脚をおろすその姿は、すこぶる安定感を感じさせた。
 ピークから300mほど下ると広く一段平になった樹林帯に入り、そこでようやく一息つく。樹林帯の残雪上には2~3天幕が張られていたが、昨日帰幕後本来のリーダーの判断に従ってすぐ動いておれば、晴天下快適な稜線散歩を楽しんでここに幕を張り、二日続けて横なぐりの雨に打たれて歩くこともなかったのだ。さらには、わたくし事で余計深刻であるが、烈風に押し倒されて岩角で新品のカッパを切ることもなかったのだ・・・・。切ったのはゴア、即ち大枚。我、悔恨ノ涙ニ溺死ス。
 段上の残雪稜を南端まで詰めると、尾根は南東と南西の二方向に分かれる。右の尾根(南西側)に入り柏原新道めざして下る。林床に雪はほとんど無い。樹木の呼気が充満する深い森のなかを、湿った樹膚の木々を縫って踏跡を辿る。数年前の冬、ラッセルしながらこの尾根を登ったが、雪がないとこうも印象が違うものか。
 わずか下ると尾根の南側にしっかりとした残雪が続いていた。待ってましたとばかりに、水田氏が先頭を切ってうれしそうに駆け下りてゆく。200mも下ると残雪は途切れ、再び森の中に。そこで一本取ろうとザックを降ろした時であった。突然、「とめろ、とめろっ!」と、上方から大久保氏の切迫した声が樹林をつらぬいてきた!。あわてて何人か雪稜に飛び出す。最後尾を行く大久保氏の前をちょこちょこ滑り下りていた尾崎氏が、コントロールを失って谷側に落ちて行ってしまったのだ!だが、幸いなことにすぐに止まって事なきを得た。
 そこから柏原新道まではまだしばらくあったが、途中2、3の登って来るパーティーに会った。新道に飛び出るすぐ手前であった最後のパーティーには驚いた。中学生くらいの男の子二人をつれた四人家族だが、ドライブに来てそのまま登ってきたような格好である。うちらの装備を見て自らの勘違いに気付いたのか、彼らはその後すぐに下りてきたようだったと、後で誰かが言うのを聞いた。
 夏道と変らぬ柏原新道を下り扇沢に出、車道をバスターミナルへ向かう途中で運よくタクシーを一台つかまえた。もう一台無線で呼んでもらって薬師の湯へ。天気はすっかり回復して、全開の窓から吹き込む風がさわやかだ。汗を流しパンツを着替えてさっぱりしたところで、また同じタクシーに来てもらって信濃大町駅前の食堂へ行き、腹を落ち着かせる。その後駅で解散となり、お金持ち組は特急で、貧乏人組は鈍行でそれぞれ帰途についた。

 今回リーダーを務めた水田氏は気苦労が多かったろうと思う。私にも経験があるが、自分より先輩格のメンバーを抱えてのリーダーというものはパーティ中での自らの位置付けに苦労するものだ。だがその苦労の度合も、先輩格メンバーの心構えひとつで随分と違ってくる。どんな組織にも言えることだろうが、これはリーダーシップに関わる大切なことである。
 歴史的に見て、院政は承久の乱以後衰え、もはや流行らないのである。


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