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中央アルプス南部縦走(越百山~安平路山~摺古木山)
水田 洋

山行日 1997年11月1日~3日
メンバー (L)水田、大久保、小山、井上(博)

 越百小屋から仰ぎ見る越百山は全く厳冬の様相であった。それは登行意欲をかきたてるには十分すぎるくらい威厳に満ちた山姿であったが、それよりも、全身の細胞が凍ってしまいそうな寒気に我々はおののいていた、というか少しの恐怖を感じていた。
 山行初日、11月1日は想像を超えた低気温と積雪に苦しめられた。小屋裏に張ったテントの中、大久保は寒気にやられて全身の震えが止まらない。私はなんとかバーナーの火で持ち堪えたが、水場に行った小山、井上の両氏の戻りが遅い。「水が凍っているのか、まさか凍った斜面を滑落し奈落へと」と考えているうちに、両者が戻ってきた。水場は遠かったが凍ってはいなかった。
 しかし、なんにせよ「夏山完全装備の我がパーティーに明日以降の行動は可能か?」 山を甘く見てしまった以上、明日の撤退を覚悟して酒も早々に切上げて就寝した。
 行けども行けども、笹を漕ぐしかない。踏跡は迷走しているが、雪がついているので、かえって分かりやすい。単独行の先行者のビブラム跡も先導してくれている。周りの景観は、笹が織るグリーンの絨毯に針葉樹が旨く配置されていて、手入れされたゴルフ場かと錯覚してしまう。「安平路山まで行けば一般ルートになるはず」と自分に言い聞かせ、ただひたすらに笹を漕ぐ。途中、出会ったのは逆コースの3名パーティー一つのみであった。
 笹漕ぎに明け暮れた翌2日は、心配された大久保氏の体調は回復したが、逆に私が悪寒を感じて、大久保氏からアリナミンAを貰った。天候は無風快晴、気温もグングン上昇している。足回りに多少の不安はあるが、ここは前進を決める。ただ、滑落の危険を少しでも感じれば『撤退』の二文字を、自分の腹に飲み込んだが、それを口から吐き出すことなく、越百山のピークに立った。目指す安平路山は、遠いのか近いのか微妙な距離を置いて、我々の前に鈍重な姿を晒している。
 越百山から安平路山まで一般道ならおそらく3時間で行ける。それなりの経験しか積んでない私でも、かなりの自信を持ってそう言える。しかし、休憩も含め実際に要した時間は6時間20分、安平路山から先は予想通り一般道であった。笹がときおり被ることはあっても、決して迷う程のものではない。それは、翌3日の行動でも同じであった。違いは摺古木山から先は、日帰りの一般登山道として、さらにキッチリと整備されていることだ。
 安平路山とシラビソ山の鞍部から僅か登ったところに、避難小屋がある。平成2年にできたばかりの小さいながらも綺麗な小屋で、本山行の目的の半分以上は、この小屋に泊まることにあった。水場はチョット遠いが、小屋の窓からは南北両アルプスが見え、伊那谷の街の夜景も素晴らしい。同宿者は安平路山往復の単独行の男性が2名だけで、先行していた単独行者は先を急いだようだ。
 明けて3日は、早く帰りたいの一心で先を急ぐ。無風快晴で気温も高く、氷点下のテントで凍えていたのが、たった2日前とは信じられない。摺古木山からの下山中、日帰りの登山者と何度となく擦れ違う。登山口の休憩舎(とはいっても十分泊まれる避難小屋)まで車で入れるので手頃でいい山だ。しかし、我々はここから林道を1時間以上歩いて、やっと観光客に沸く大平宿に出た。
 帰りのタクシーを待つ間、各々が廃村になった宿場町をブラブラとしながら、山の余韻を噛み締める。タクシーの運転手に小山さんが「サッカーどうなりました?」ときくと「2-0の完封で韓国に勝ったよ」との返事で、ますますいい気分になったまま、タクシーは飯田駅に着いた。

〈コースタイム〉
 11月1日伊奈川ダム上部車止(8:55) → 登山口(9:30) → 越百小屋(13:10)
 11月2日越百小屋(6:55) → 越百山(7:50) → 奥念丈岳(10:15) → 松川乗越(12:05) → 安平路山(14:10) → 避難小屋(14:50)
 11月3日避難小屋(6:15) → 摺古木山(7:50) → 登山口休憩舎(8:55) → 大平宿(10:45)

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