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平成10年新年山行 草戸山
服部 寛之
山行日1998年1月25日(日)
参加者(1) 本隊(京王高尾山口駅~)
田原夫妻、原口、播磨夫妻、堀田、鈴木(嶽)、中村、今村、植村、勝部、高木(俊)、金子+子供1人、その他12名
(2)別動隊(大垂水峠~)
水田、服部、荻原、尾崎

 昭和天皇が御崩御あそばされてから早くも10年目に突入してしまった - オレは昭和天ちゃんのファンでも親戚でも落とし胤でもないが、己れの身辺周辺で歳月が加速度的に進展しはじめてからこの方、新たに年が明けるたびになぜか「あの大喪の礼より×年経った」というふうに暦の区切りというか年月の経過を日本人として強く意識してしまうのだ。
「そのことと新年山行とどういう関係があるのか?」と人はするどく問うだろうが、まったく関係ない。
 そこで、草戸山なのだ。草戸山はかつては初沢山と呼ばれたらしいが何と言っても町田市の最高峰で山中の蒼い湖水など(城山湖だけど)見下ろししかも標高365mなのだ。新年山行にこの山を提案したのは田原会長である。会長はいつの頃からか冬毛が生え変わらなくなってしまって久しいが、委員会でこの山を提案したときにはすでに御自ら事前偵察まで実行して酒気帯びながらもしっかり現場にチェックを入れていたのだ。冬山、最高峰、とくれば偵察は欠かすことはできないが、65山行にちょうどええんじゃないかいということで委員会はすんなり通った。このあたり話の展開にいささかムリが感じられるが、あまり気にしないように。
 当日は京王高尾山口の改札に朝9時半集合、そこから山稜をてれてれ2時間くらい歩いて草戸山に到着、鍋で宴会、というふうにチラシでは案内されたが、それではいくらなんでも歩き足らないという人は西の大垂水峠から山稜をたどる別動隊を形成した。わたくしは別動隊に参加したので、そのことを少し書く。
 別動隊は四名。その日、きりりと冷えた朝の空気もそろそろ腰をくねりはじめる午前8時のJR高尾駅北口に、水田隊長以下、荻原、尾崎、服部の三峰きっての精悍なるニッポン男子が颯爽と姿を現わした。駅前の空気を切り裂いて男くささがたちのぼる。イヌが驚き広場のむこう側の立木にじょぼじょぼしょんべんをかけた。このあたり人物の描写にいささかムリが感じられるが、あまり気にしないように。
 湘南に住む服部は、しばらく前に降った雪がこの辺りにはまだかなりの量残っているのを、タクシーの窓から驚きの眼で見つめていた。チッ、と隣に座る荻原の耳にゴルゴ13風の舌打ちが響く。服部のレジデンス周辺では雪はとっくに姿を消していたのでスパッツを持ってこなかったのだ。事情は荻原も同じだった。大垂水峠の車道脇で汗くさいよれよれの黄色いカッパを身につけながら荻原もスパッツを忘れたことを少々後悔したが、持ち前の楽天的な性格ですぐに思いを稜線歩きの楽しさの方にねじ向けた。峠は除雪された車道を除いてかなりの雪で埋もれていた。しかし歩き始めてみると低い気温のおかげで雪面は硬くクラストしておりスパッツがなくても特に問題はなさそうだった。しかしそれでも「スパッツつけてる者が先歩いた方がいいよな」と、あくまでセコイ考えに固執する服部なのであった。
 水田隊長を先頭にトレースをたどると早くも20分ほどで稜線に出た。北側の峠から陽のあたる稜線に上がると雪はさすがに量を減らし、表層のクラストも幾分軟らかくなった。そこからわずかで最初のピークの大洞山(538m)に到着。ここは今日のコースの最高点であるので、後は全般的に下りということになる。それを聞いて尾崎がここでバナナケーキでエネルギー補給という挙に出た。バナナケーキで力が出てしまうところがすごい。バナナケーキは偉大だ。おお、グレートなバナナケーキよ。バナナケーキは行動食のホームラン王です!
 ここでこのコースの説明をする。このコースは城山から南東へ延びている低い山稜で、北側に高尾山、南側に相模川~津久井湖を眺めながら小さなアップダウンをくりかえし津久井湖の北岸まで続いている。今回は途中の大垂水峠からこの山稜の大部分をたどって三沢峠に至り、そこから北へ分ける支稜に入って草戸山へ行くのだ。雪を被っているが道はよく踏まれているようで歩きやすく、軽いハイキングにピッタリのコースである。
 右手には、葉を落とした薄い樹林を通して丹沢の山々が見えていたが、次のコンピラ山の小さな高処から振り返ると、丹沢山塊のさらに西方に真っ白な富士が大きく聳え立っていた。「おっこらせぃ」とイッパツ気合を入れて頂上の石に上がった服部はその秀逸な純白姿を眼に焼き付けた。その時であった。
「あの白いのは何ですかねぇ?」
 水田が問うた。
「富士山である」
 ケッパリと服部が答える。実は服部はその時感動を押し殺した低い声に威厳をこめたつもりだった。威厳は尊敬を呼び、パーティーの年長者としての彼の地位をゆるぎないものにする筈だった。だが、水田は富士の遥かむこうに低く連なる白銀の峰々を言ったのだった。視線を変えた服部の眼にもその白銀の峰々がくっきりと映った。見覚えのあるその稜線は紛う方なき甲斐の白峰であった。
「あぁっ、あれは南アルプスだぁ‥‥」
 急いで言い直したものの、もはや事態は取り返しのつかないところに来ていた。慌てた口調からは心の動揺まで読まれてしまったに違いない‥‥。水田、荻原、尾崎に対する自分の威厳が積木の城のようにガラガラと音をたてて崩れ落ちるのを服部は見た。ヒタイに陰が走る。実は答えた瞬間、服部の脳裏には水田の質問の単純さに対する疑念の警戒ランプが☆☆☆とフラッシュしたのだった。だがそれは無視してしまったのだ。軽率であった‥‥。そのことを服部は激しく悔いた。もはや威厳は地に落ち、割れたタマゴのようにべっちゃり潰れていた。歩きながら悔いていると腹がへってきたので服部は困った。本日の行動食ツナマヨネーズのおむすび1コは大垂水峠で食べてしまっていた。ザックには赤ワインが1本残るのみである。だがそれは役に立たない。飲めばルエカ化は必定であった(つまり、ひっくりカエルよ、ゲコゲコ)。次の瞬間服部の思いは身近にせまりつつある鍋へと飛び、次に偉大なバナナケーキへと飛んだ。「そうだ、下山したらバナナケーキを喰おう!」 - 力強くそう思う服部の額にはもはや恥陰の影もなかった。腹とアタマが直結するこの単純さが服部の救いであった。
 中沢山を過ぎると道は尾根の南側を捲くようになり、途中樹林が伐られて展望が開けたところがあった。道脇には親切にもベンチがしつらえてある。そこからは丹沢の東半分の眺めが一望できた。一面の雪化粧の山里のむこうに白帽子の高い峰々。いつもは反対側の南の方から丹沢を見慣れている服部の眼にはその姿は少々奇異に映ったが、同時に意外な新鮮さもあった。とんがっている大山は大きなV字形のヤビツ峠の、こちらからだと左側だ。足元には相模川が大きくのたくって津久井湖に入るのをためらっている。何もかもが寒さに身を縮こませている色のない漬物的風景の中で、蛭ヶ岳のむこうからUFOが飛んできて雪の下から大根3本引き抜いて行ってもおかしくないな - なぜか意味なくそう思う服部であった。
 当初今回のこのコースは静かな山行になるものと誰もが思っていたが、意外にも単独行2人を含め数パーティーと行き交った。そのうちの一パーティーはばあちゃんじいちゃんたちが30名以上も連なる集団であった。奇妙なことにこの集団は列の前半が女性、後半が男性という構造で、高純度の性的分化が観察された。すれ違いざまの測定ではばあちゃんたちの方がアドレナリンの放出量でじいちゃんたちを凌駕していた。戦後の靴下は長持ちするのだ。
 西山峠を過ぎた頃から雪の量がぐっと減った。やがて三沢峠から北へ支稜に入ると城山湖のこじんまりした湖面が右手に姿を現わした。土もでてきた稜線を少し行くと、目指す草戸山であった。ナンと我々が到着するのとまったく同時に田原会長ら京王高尾駅からの本隊一行も到着したのであった。単なる偶然とは思えぬバツグンのタイミング。サイコ力学によるこの必然的帰結に働いた人知を超えるダイナミズムをどう形容してよいか、アタシは存じません。飲み会となると我が三峰はおそろしいほどの息の合い様を見せるものだと、今さらながら驚く服部なのであった。
 合流すると、一刻も早い飲酒体勢をとアセる会長の掛声に、志を同じくする会員たちが慣れた動きで応える。マット上には酒と肴がたちまち並び、背中合わせに輪ができて、各輪挨拶のゴングも待ちきれず宴が開始された。頂上には6~7名の先着パーティーが先に鍋を囲んでいたが、人数と声の大きさでは我が方がはるかに勝っていた。山頂の支配権は完全に我が方に移り、我が銀蓙(マットのことですね)上のボルテージは急上昇して行ったのである。
 メイン・ディッシュのメニューは今年も参加者各自が好き勝手に持ってきた具でつくる寄せ鍋である。首都圏の流通ルートから中央線並びに京王線の長い道のりを経てこの山頂の一角に集合した種々雑多な具を、シェフの原口さんが片っ端からうまうま鍋に仕上げて行く。日溜りの中でいただく具だくさんのキムチ鍋は最高でありました。
 鍋と酒に舌鼓を打ちおしゃべりを楽しんだ山頂の宴も2時半頃にはおひらきとなり、全員で記念写真を撮って解散となった。京王高尾山口から登ってきた者のほとんどは三沢峠から林道経由で駅へ戻り、大垂水峠からの別動隊と若干の者は稜線の道を直接高尾山口へと下りて、各自帰路についた。皆さん、お疲れさまでした。そして原口さん、誠にご苦労さまでした。出来上がる端からみんなの腹に消えてゆく鍋を、ひとり笑顔で、もくもくと作ってくださいました。毎年のことですが、感謝とともにご馳走さまを申し上げます。

〈別動隊行動タイム〉
大垂水峠(8:50) → 大洞山(9:20) → 中沢山(10:05) → 西山峠(10:35) → 三沢峠(11:10) → 草戸山(11:25~14:50) → 京王高尾山口(16:05)

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