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岩登り講習会・三ッ峠
鈴木 光太郎
服部 寛之

開催日 1998年5月23日~24日
参加者 (L)小幡、山本(信)、金子、尾崎
     23日のみ 鈴木(光)
     24日のみ 服部
     【 】=執筆者

5月23日(土) 晴れ
【鈴木】
 行って来やした、定例山行。
「おまえ誰?」 ぼく、あのー幽霊会員のー。全然行ってないんですけどー。
 というわけで、途中かなり略していきなり、三ッ峠岩壁直下、一般ルート取付部です。あいにく富士山は、もやって見えませんが天気は晴れ。気温推定25度。同業の山岳会ウジャウジャ、当会5名という感じで始めました。
 一応第一バンドにトップロープを張って一般ルート左から日山協ルートまでの間で適当にやりました。あと地蔵ルート右も。小幡リーダーはもっと上のピッチへ行こうよ、とうながしますが、怠惰なわたしはエヘラエヘラとぼけます。
 15:00頃、他の会の人の不幸な事故が中央カンテ2ピッチ目左上ランペで起きました。当会のベテラン1名も救助に協力しましたが、わたしも身の引きしまる思いでした。
 土曜1日参加の私は夕方、テント宴会の誘惑を必死に我慢して下山しました。下山中、山小屋の玄関先で小屋主に手をついて「申しわけありません」を言っている先程の山岳会の人を目撃。小屋主は柔和ですが、見ていてつらいものがあります。

5月24日(日) 曇のち雨
【服部】
 土曜の夕方、受話器を取ると携帯の雑音とともにゲンさんの声。「ハットリよぉ、あす朝何時頃来れる? いま峠におるんだけど、きょう事故があってよぉ」
 翌日曜日早朝、東名をぶっとばして三ッ峠に向かう。事故の報せをもらったので気分が重い。電話では一瞬うちの誰かが落ちたかとドキリとした。午前中くらいは何とか保つと思っていた天気も早くも御殿場インター手前でしばらくパラパラ来て、暗灰色の低い雲が重い気分に拍車をかける。
 8時頃富士見荘に着きゲンさんの携帯にかけるが通じない。そのまま下の岩場に降りてゆくと、右フェースの下でみんなを発見。ゲンさんの確保で尾崎氏が岩に張りついている。一般ルート周辺はすでに数パーティーで混み合っていた。いずれも山の会の講習会風。見ていてもしょうがないので、雨が落ちてこないうちにどこかと思っていると、小幡さんが声をかけてくれた。有り難く登らせてもらう。1年ぶりの岩登りなので、まず身体馴らしに中央カンテの下、第一バンドまで登る。初級レベルのここは誰もいない。第一バンドには、昨日の事故の血溜りがまだなまなましく残っていた。
 右フェース下に戻ると、ゲンさんたちはまだ同じルートに取り付いている。金子氏は肩が痛いと見物。東面の草溝ルートで新たに講習会が始まったので、うちらは次に地蔵の左ルートを登ることにする。小幡さんの次に登ってゆくと、出だしは良かったがじきにひっかかってしまい、うしろからトップで登ってきた女の子(と言っても中堅OL風)にせっつかれてもがいてみるが突破できず、腕が利かなくなってスゴスゴとぶるさがって降りる。チョーナサケナカー。できるなら岩登りは月面でやってみたいと思いましたね。体重6分の1ならオレでも結構登れるんじゃないかしらん。でもこれは体重よりもバランス、バランス以前に運動神経、という問題かも。
 そうこうしているうちに雨が降りだしてしまい、あれよあれよと言う間に岩は濡れ、きょうはこれまでと相成りまして候。まだ10時過ぎだぜぃ。オレはここまで何しに来たんだいったい!
 何しに来たのかというと、河口湖駅前でカツ丼喰らいビールでしこたま喉を潤したみんなを八王子駅まで送り届けに来たんですね、ったくもう。
 それにしても今回の講習会の参加者はたったの6名。前回の雪訓時の3名と比べ200%もの伸びと考えれば、大変オメデタイか。講習会経験者としてひと言申し上げますが、講習会は自分のマウンテンライフに何かしらプラスになります。デブ精でお悩みの方も、身体を使っていろいろやってみますと山歩きの自信につながるとともに体脂肪の燃焼にもつながり、デブ症も解消されます。これ実感。 ちなみに、24日付の山梨日日新聞によると、前日三ッ峠で転落死されたのは小金井市に住む水野さんという39才の主婦の方だったとのこと。山岳会名は記載なし。ザイルパートナーは彼女のご主人だったと聞きました。心よりご冥福をお祈りしたいと思います。今回はたまたまうちらの会員ではありませんでしたが、危険箇所は簡単と思えるところでも馬鹿にせず基本に則した安全確保を心がけるようお願いします。


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