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茅ヶ岳まさかの敗退と太刀岡山
(及びパンツ→ブルマー問題について)
服部 寛之

山行日 1998年3月28日~29日
メンバー (L)服部、鈴木(光)、井上(博)、(村瀬)

 去年の秋の終り頃、曲岳から黒富士までの縦走と太刀岡山を1日でかたづけてくるという計画を立てて出掛けたことがあった。その時は、前夜太刀岡山近くの林道脇の空地に天幕を張り、翌朝観音峠から曲岳に登って黒富士まで縦走したのだが、メンバー全員が続いて太刀岡山に登るような気分にならなかったので、そのまま帰ってきてしまった。
 今回の山行は、(1)その時の宿題である太刀岡山を登る、(2)久しぶりに茅ヶ岳を今度は観音峠から登る、という2本立てで計画したものである。

 28日土曜の朝8時にJR八王子駅南口で待ち合わせ、服部のくるまで中央道を西へ向かう。韮崎インターで降りて右折、茅ヶ岳の深田記念公園方面へ向かう。この道は昇仙峡ラインと云い、昇仙峡へ西からアプローチする道だが、深田公園を過ぎ、ホッチ峠の桔梗温泉(後述)を過ぎ、敷島ゴルフ場を過ぎてその先、道幅が狭まった急なぐねぐね坂を福沢の集落へ下り着いたところの小さなT字路を観音峠方面へ左折(昇仙峡へは右折)すると、2~3分で太刀岡山の切り立った岩壁が右手に現われる。
 この山の岩壁はロッククライミングのゲレンデになっており、鈴木さんと井上のお父さんは岩場の様子を見てよかったら登りたいとのことなので、くるまを停めてみんなで岩場に行ってみる。と言っても、この岩場に関しては資料が入手できなかったのでルートもアプローチも分からない状況だったが、目についた踏跡を辿るとゲレンデの一角らしきところに出た。見たところ岩はかなり立っていて難しそうだが、2人はトライしてみる気になったので、くるまへ戻って2人の荷物を降ろし、3時半にその場所で待ち合わせることにして、私と村瀬さんはくるまで観音峠へ向かった。
 ところがである。曲岳に登った時の経験から、観音峠には5~6台、その手前の茅ヶ岳登山口の周辺にも数台の駐車スペースがあることが分かっていたのだが、しかし林道自体が冬期閉鎖されているとは考えてもみなかった。道の途中に鍵付の鎖でとうせんぼしてある。あっちゃあ、なんてこった。しょうがないので道の脇にくるまを停め、峠まで舗装路を30分歩く。
 今年の冬は太平洋側は例年にない大雪だったためか、林道脇の雪もまだ解け切っていなかったが、観音峠から茅ヶ岳へ登る登山道にはまだ20~30cmの雪が詰まっていた。最近踏まれた形跡無しで、倒木がところどころ道をふさいでいる。登り始めて間もなくすると岩っぽい細い尾根になり、鎖がつけてある箇所も出てくる。やがて1時間弱で大きなピークを越す地点にさしかかると、道は尾根の北側にまわり、雪が一段と深くなった。アイゼンを付けて急斜面に取りつくと、氷化した雪の中に鎖が凍り付いているではないか。ピッケルでこづけば掘り出せない堅さではないが、この季節こんな状態は予想もしていなかったのでピッケルもザイルも持ってこなかった。その場所は取付が切れ落ちた崖の上にあり、樹林の中だがしっかりした幹や根っこなどホールドになるような手掛りも得られない。上りは前爪で登って行けるだろうが、下りにザイルの確保がないと村瀬さんを安全に下ろせないと判断し、彼女には申し訳ないが茅ヶ岳はあきらめてもらってそこから引き返すことにした。
 スゴスゴと観音峠まで戻って来ると、まだ1時半だ。この山域は村瀬さんは初めてだとのことで、峠の反対側の曲岳に登ることにする。曲岳は1642mのピークで峠からだと標高差は250m位だが、水平距離がないぶん結構な急登が連続している。ここも林床を残雪が埋めている。途中、岩尾根の北側をへつるように捲くところは雪が凍っていて、アイゼンなしでは緊張した。緩斜面の倒木に腰掛けて15分ほど休憩し、2時半に山頂到着。『山梨百名山』の標識が立っていた。樹林に囲まれた狭いところだが、岩の上に乗ると茅ヶ岳はもちろん南アや八ヶ岳も見える。
 引き返してくるまに戻り、15分程遅れて約束の場所で井上さん、鈴木さんと合流。岩場のルートは結構難しかったそうで、2人はエキサイトするほどの満足感は得られなかったようだが、井上のお父さんは「岩に触れるだけでも満足」と言っていた。その夜は昨秋張ったのと同じ林道脇の林の中のスペースに天幕を張る。

 29日(日) 朝6時半には撤収し、くるまを太刀岡山登山口近くの駐車スペースに移動してから出発。標識の案内に従い小さな橋を渡って集落に入り、手書きの標識をたどってゆくと、一軒の農家の塀の脇を伝ってその家の裏にある登山口にたどり着いた。
 太刀岡山も麓から急に立ち上がっており、登山道は林の中をジグザグに折り返しながら上がって行くが、よく整備されていて歩きやすい。しばらく登ると頂上への道からそれて水平にトラバースしてゆく踏跡があったが、これがどうやら岩場に行く道のようだ。太刀岡山の岩場の天辺にはチョキの形をした大きな岩(ハサミ岩)がヌッと岩壁を見下ろし常に登攀者にジャンケンを挑んでいるが、道は一旦この風変わりな岩の裏手に出てくの字形に方角を変え、さらに頂上へと上って行く。
 登り始めて1時間、そろそろ休みたいなと思う頃タイミング良く山頂に着く。真新しい『山梨百名山』の標識が建っていた。樹林の中であまり展望は良くないが、伸びた潅木越しに周囲をなんとか見渡せる。ここからだと、茅ヶ岳と金ヶ岳そこから右に観音峠へと延びる尾根がよく見える。今日改めてしげしげと見ると、茅ヶ岳もその横の尾根も山腹に雪がまだ結構残っている。「やっぱ今年は雪が多いや」。曲岳は首が曲がって見えるからその名があるということだが、ここからではその立派な曲がりぶりはよくわからなかった。(後日蛾ヶ岳から見たら、頂上が東の方にちょこっと曲がった様がよくわかった。)この標識のある所は山頂部の南端の部分で、下山は山頂部を縦断して北側へ下りる。薄い残雪の急坂をひやひやしながら下ると未舗装の林道に立つ。その道をしばらく行くと平見条の集落で、牛舎や鶏舎が建ち並んでいる。牛が泥んこになって寝そべり、犬が興奮して広い芝の広場を走り回っていた。そこからくるままでは徒歩30分ほどの道程であった。
 帰路は、韮崎インターから高速に乗る前に桔梗温泉に寄り汗を流す(税別800円、大小のタオルセットを貸してくれる)。ここはテニスやゴルフやプールで遊ぶホテル付リゾート施設のようで、フロントの壁にはメンバー企業の名前が並んでいた。駐車場脇の金網の中ではテニスのにいちゃんねえちゃんたちがパッカンポッコン忙しい。テニスをやっているのを見るたびにオレはいつもギモンに思うのだが、どうしてテニスの女はいつもパンツ丸見えの短いスカートをはくのか? それになぜパンツの色は決まって白なのか? スカートの丈は短い方が動き易かろうとは思うが、なぜ退化痕よろしく極短に残存させヒラヒラさせておく必要があるのか? 小さい女の子のパンツが見えるのは可愛いが、大きいお姉さんのパンツの場合はそれだけでは済まないものがある。(済ませたい場合もある。) この問題はマスコミなどでもこれまできちんと論議されてこなかったように思うが、これは本質的に男の品性に関わる問題を含んでいるのである。テニス中継などでは(男の)アナウンサーや解説者はパンツのことなどオクビにも出さないが、本当はパンツを話題にしたら楽しいだろうなと思っているのだ。それを望んでいる視聴者も大勢いるに違いない。でなければ、覗き趣味の写真週刊誌があんなに大量に売れるはずがない。男の女子テニス観戦はパンツ観賞のひとときでもあるのだ。腰を屈めて構える女子プレイヤーの後方からのショットは、視覚刺激を受けた男の動物的性本能と社会的文化的な抑止力たる品性とが相克し合う修羅場なのである。とりすました解説で中継放送などしているが、その裏には何万何百万という不埒な眼望が渦巻いているのだ。その現場で報道に携わりながらパンツ観察眼を鍛えている彼ら放送関係者こそ、優れた陰のパンツ評論家であるとオレはふんでいる。
 しかるにオレは提案したい。そんなことならいっそのことスカート部分は全部取り去ってしまったらどうか。もろ見えパンツでは恥ずかしいなら、ブルマーにするのがいいだろう。その方が見た目スッキリするし、余計なヒラヒラもなくなって合理的である。それに観戦する男の方もパンツに気を取られていた分、ゲームにより集中できるというものだ。「それでは楽しみが減る」という奴は必ずいるだろうが、そういう輩はブルマーに対する評価を変えるべきなのだ。女子臀部界から姿を消して久しいブルマーだが、復権の暁には懐かしき良俗に歓喜の涙を禁じ得ない諸君も多いに違いない。ブルマー採用の際は、生地はなるべく薄手で、そして色は黒でお願いします。
 思いも寄らぬ展開になってしまったが、これで山行報告を終わります。

〈コースタイム〉
28日 観音峠林道閉鎖地点(11:15) → 茅ヶ岳登山口(11:45) → 1620m付近引返し地点(13:00) → 茅ヶ岳登山口(13:25) → 曲岳登山口(13:30) → 曲岳(14:30~45) → 曲岳登山口(15:15)
29日 駐車スペース(7:05) → 太刀岡山(8:05~20) → 北側の林道(9:00) → 駐車スペース(9:55)

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