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日高ヌピナイ川~ソエマツ岳~ピリカヌプリ~クマ沢川
山沢 幸子

山行日 1998年8月11日~17日
メンバー 山沢、他4名[(L)堀井、西山、佐々木、あや子]

 いやな予感はしていた。
「福間さんが滑滝で滑ったって! でも歩いて帰れたから大丈夫でしょう」そういう話を聞いた。
 北海道から予定表とその沢の紀行文が届いた。すぐ福間さんへ送った。次の夜電話が鳴った。・・・・元気のない声。
「実はあまり痛いので病院へ行ったら腰椎が圧迫骨折をしていて、入院はしないけどコルセットをつけているの。3ヶ月は安静に、ということなの」・・・・・・・・ガーン!
 沢を遡行時の不安、この時滑ったらどうなるのだろう? 歩きながらそう考える時がたびたびある。若いときはその不安よりも沢歩きの楽しさが勝り、バランスだけでガンガン登った。それでも小さな失敗はあり、西ゼンで滑って滝壷へボチャン、とか、ザンザ洞で尾骨骨折をやったりとかはあった。この頃は不安の方が大きく、おまけにバランスも悪くなり、2級までの沢しか行けなくなった。それでも沢の魅力は大きく、ちょっと難しい沢へ行く時は福間さんや陽子ちゃんに助けていただいた。
 福間さんは私の沢の恩人である。ケガが完治し、復活することを心から願っている。
 さて、そこで考えた。昨年のクワウンナイ川も福間さんとだから行けたのであって、あの増水した沢を他の人とだったらどうなんだろう。・・・・ヤメていたナ・・・・。今年のヌピナイ川は中級位とのこと。懸垂下降も2~3回あるとのこと。体力は何とかなるケど、岩場は?ザイルワークは? ガントレはやっていない。頼りになる福間さんはいない。
 それで昨年のクワウンナイ川を一緒に行った(西山)カメさんに相談の電話をかけた。
「堀井さん(リーダー)がザイルを結んでくれるというから大丈夫だよ」
 という返事。飛行機の手配は済んでいる。休暇も取ってある。雨具も軽アイゼンも沢タビも新調した。・・・・行くっきゃないな、ダメなら一人で大雪山でも歩いてくるか・・・・。そんなこんなで北海道へ一人で旅立った。

1日目(11日)
 帯広空港1:30着。堀井さんとカメさんが車で迎えに出ていてくれた。・・・・感謝、感謝・・・・。  さっそくヌピナイ二俣まで林道を行き、終点の河原にテントを張り、クマ沢へ釣りに出かける。昨年同様カメさんが釣具一式貸してくれる。・・・・そうそう吉田久美子さんがカメさんと釣りに行き、8匹も釣ったとのこと。こっちはまだボウズなのに・・・・。
 入れてすぐカメさんがかかった。大きな白い腹がはねている。大きい・・・・。すかさずメジャーを出して測っている。丁度30cm。
「尺イワナダー、初めてだ」
 と喜んでいる。隣で堀井さんが、
「いや29.5cmだ-」
 2人でやり合っている。私はニヤニヤ・・・・。
 3人はバラけて釣りに入った。一人になると何だか恐い。砂の上に熊の足跡まで見つけてますます・・・・。皆の後を追う。はるか向こうに堀井さんの影を見つけて安心した。
 6時に帰路につく。私はボウズ・・・・もうあきらめた。カメさんは尺イワナ1匹、堀井さんも1匹のみ。あまり食わないとのことだった。
 幕場に着き、後から到着したクマさん・あや子さん夫婦と宴会が始まる。私の持参の八海山一升と福間さんが送ってくれた一人娘一升がころがっている。私は明日のゴルジュ越えを考えると酔ってはいられない。1本のみ空いて皆いい気分・・・・。

2日目(12日) ヌピナイ函越え (くもり)
 朝6時起床、食料を分けて9時出発。幸い、天気も曇りながら暑すぎず、寒すぎず、丁度良い。堀井さんは二日酔いのためか「クラクラする、函までに酔いを覚まさないと・・」としきりに言っている。 ゴルジュに入った。へつったり、直登したり、高捲きしたりと進む。雪渓が今年はないのと、水量が少ないのとで、ずいぶん楽とのこと。滝で1ヶ所左岸を登るのにちょっとしょっぱそう。リーダーがザイルを付け、空荷で登る。少しハングしている所で強引に上に持ち上げている。ザイルを付けて次に出発。ところがどうしても後方に振られ、上に登れない。しばらくやってみたが疲れてしまい、とうとう戻ってしまった。確保していたクマさんが私の荷を背負い、上まで登り、そして戻ってきた。カラ荷になったら何とか登れた。あや子さんはスイスイ。もう面目なくて、こんな迷惑は今後かけないようにしようと心に誓う。
 まだ大きなハングした滝があるはずだ、と思って歩いていると、いつの間にか滑床に変わっている。気付かずに捲いてしまったらしい。そろそろ奥の二俣(790m)だ。幕場を探しながら歩いていると、「一人2~3本たき火用の木を拾って」と、リーダーの声がかかる。
 島様な所にツェルト2張と、たき火用の大きなタープ1張の場所を確保する。堀井さんは手慣れたもので、ノコで木を切り、支柱にし、たき火と燻製用の囲炉裏までつくってしまった。(食事はすべてたき火でまかなった。)
 たき火の火付けはカメさんがうまい。アッという間に火を付け、燻製用の綱をつるし、フキの葉で燻しはじめた。私は昨年のフキの味が忘れられず、やわらかいフキを探しに沢すじに入った。小さな沢がすぐ隣に流れている。クマさんはフキの空筒で水道を敷く。
 フキの皮ムキをしながら隣でたき火。そして歌とハーモニカと酒。酒のつまみはフキの煮物。雨がパラパラくるも、タープでまるで気にならない。なんてとびきり極上の贅沢なんだろう・・・・。そして2日目が過ぎた。

3日目(13日) 停滞 (雨)
 朝から霧雨。リーダーと私はソエマツ岳アタック希望。カメさん、クマさん、あや子さんは雨の行動は嫌だと言う。2対3で破れ、1日停滞となった。それでは・・・・と、タープの下でたき火の番をしながら、フキの煮物、フキのサラダ、セリ(北海道のセリは大きく、新島で食べたアシタバに似ている。一番内側の出たばかりの芽をポキンと折る。)と山菜料理を作る。そしてアッという間に1日が過ぎてしまった。尚且つ3日目で酒もきれてしまった。

4日目(14日) ソエマツ岳アタック (晴のちくもりのち雨)
 天気よさそうだ。出掛けにソエマツ岳(1625m)の頂が見えた。(1週間の山行で、頂が見えたのはこの時のみ。)
 カラ荷なのでスイスイ登る。少し登った二俣でルートは右だというがガレている。左は快適そう。一応右を登ったが、大分上までガレていて高度をかせぐ。そして滑が現れ、滝が現れ、楽しみながら行く。しばらくして源頭となり、少々のハイマツヤブコギで頂上へ出た。ガスで見晴は良くない。・・・・残念。
 30分ほど昼寝をした後、下りにかかる。今度は左沢への下降だ。こちらはハイマツはない。しかし掘り返した跡があちこちにある。熊のしわざだという。
 クライムダウンは慎重に歩く。ちょっとやばいなという所はリーダーがすぐお助けザイル(10m)と称する6mmザイルを出してくれるので安全だ。明日の練習ということで、滝の懸垂下降を2度ほどやった。エイト環での懸垂は初めてだったが、堀井さんの指導よろしく、うまくいった。
 左沢は滝も多く、現在のルートはこちらに代っているようだった。楽しいソエマツアタックも済み、今日のねぐらの二俣に着く。もう3日目、すっかり自宅気分だ。
 今日はお盆に入ったせいか、パーティーが4~5入ってきている。さすがは日高の人気の沢だ。
 夜、たき火を楽しんでいると、雨が大降りしてきた。ヌプナイ水道の沢からどんどん増水し、あっという間にたき火のまわりは池になってしまった。我々のツェルトはいまは大丈夫だが、あと20cm水位が上がるとヤバイ。寝ている間の移動は嫌なので、上のヤブの中に木を切り、2張の場所を確保しやっと眠りにつけた・・・・。増水のスピードがおそろしく速い。

5日目(15日) ピリカヌプリからクマ沢川へ (くもり)
 トヨニ沢出合での尺イワナ釣を楽しみに、ピリカヌプリ(1631m)の山越えに出発。左俣を軽快に登る。途中、リーダーの知り合いの人達に会う。ピリカヌプリを往復して、もう下りの途中、今日中にソエマツもアタックするとのこと。・・・・若者はすごい。
 源頭からは草原で登りやすく、道まである。草原はハイマツと違って人が踏むといつまでもそのままだという。
 ピリカ頂上10時半。11時、南のコルめざして出発する。尾根すじなのにハイマツヤブコギで道はない。沢タビは滑るのでなかなか難儀する。そこでリーダー一言、
「アイゼンつけて」
 なるほど、靴を持たない山行は、沢タビにアイゼンをつけるのか・・・・と感心する。しかし、東京で買った私の軽アイゼンはゴムバンドで2箇所パチンと留めるだけ。ハイマツに引っ掛かると伸びるし外れるし、歩き方に神経をつかう。北海道の皆さんは快適そうである。・・・・又一つ学習!
 ガスで周辺の尾根は見えず、高度計のみで南のコルを探す。しかし、クマさんとカメさんの高度計は合わず、降り口と思い下った沢は沢すじ2本行き過ぎていたらしい。簡単に本沢へ合流できず、40mザイルを2本つなげ、2回の懸垂で本沢に降り立った。このルートで3時間位かかってしまい、4時過ぎとなり、テン場を捜さなくてはいけなかった。しかし上流のため場所はなく、又、三ッ俣がすぐそこに見える。三ッ俣までには大滝があるはずだ。明日雨が降ると大滝下降も難しくなるので、今日滝下降をしてしまうこととな った。
 大滝は下は滝壷、どうにも下れそうもないと思う所でも、リーダーはルートを見つけてくる。そして懸垂下降中の人達を下で指導してくれる(そのまま右へ行って、その石に乗って沢を渡る・・等々)。ここも40m2本つなげてもギリギリだった。・・・・本当に神懸り。ところが、3回も懸垂してもなお三ッ俣は近づかず、薄暗くなる頃、先行していたリーダーがテン場を見つけて戻って来た。切り立った上のテラスでザイルをつけて登る。周囲にザイルを張り、ツェルト2張分やっと確保した。・・・・おやすみなさい。

6日目(16日) クマ沢迷走 (霧雨のち大雨)
 皆、少し緊張しているのか、珍しく4時に起き、6時前に出発した。三ッ俣がすぐそこに見えているのに、遠い。クライムダウンを2~3回繰り返して、やっと到着した。この三ッ俣は、堀井さんが20歳代の頃完全登攀した沢だそうで、懐かしそうだ。沢は洗われて滝が随分出てきたとのこと。沢は変わる。三ッ俣までに2時間半もかかってしまった。
 次の目標は大イワナがいるというトヨニ沢出合。距離的にはすぐ近くなのに、ワイルドな沢でなかなか近づかない。そして雨が降り始めた。珍しく堀井さんがあせって急いでいる。まだ午前中だし、雨も小降りだし、と思いながら後を追う。いやなへつりだなと思っていたら、左手のホールドが滑り下の流れにポチャン。流れにまかせて泳いだらクマさんがシュリンゲを出していてくれた。・・・・命びろい。もう一度気を引き締め直す。
 堀井さんが急ぐわけがわかった。この沢すじは両岸とも等高線が細かく、少々の雨でもすぐ増水する。小降りの雨だったのに、たちまち水が白く濁り、水量が多く、両側の小さな沢が滝になって落ちてきている。水量が多いため沢すじに下ることは無理。高捲きでトラバースを繰り返す。その高捲きも並でない。急斜面の岩に泥と草がついている。アイゼンでだましだましトラバース。それでも危ない時は草と木の境まで登り、木づたいにトラバースしていく。
 問題はトヨニ沢出合。水量が多過ぎて渡れるだろうか。上から見るところ水量多く、巾せまく、とても渡れそうもない。荷物を置いて堀井さんが偵察に行く。1回の懸垂下降で渡れた。いつものことながら、堀井さんのルート探しは神懸かっている。上りも下りもできないような急斜面でも、堀井さんのルートだけは進める。クマさんが言っていた、「それが長年の経験と知識によるカンなのだろう」って。でもそのカンはいくら経験しても、勉強しても身に付くものじゃない! 私にはオーラが見えた。あんなに尺イワナを楽しみにしていたカメさんも、このトヨニ沢出合では言葉もナシでひと休み。1日の行動食であるオールレーズンを2~3枚食べ、すぐ出発。
 又又、高捲きのトラバースが始まった。朝早くから緊張して行動していた皆は、今日中に下山は無理とわかり(明日でも無理かもしれない)、3時頃からビバークサイトを探し始める。高捲きから少し下るが、両側が切れていてなかなかテラスがない。しかし又、堀井さんは透視能力で、1回の下降でピタッとテラスを探し当てた。
 タープを広げ、ツェルト2張やっと張る頃から雨足が強くなってきた。沢なのでラジオは入らず、天気予報はわからない。3人用ツェルトに5人入り、ホエーブスで暖をとる。4日分の食料を6日分に食い延ばす相談を始める。
 今日下りきると思っていたのに、直線距離で3km位しか進めず、まだ函の3分の1しか来ていない。これで雨が止まないで水が引かなければ、明日もビバークになりそう。明日(17日)の飛行機には間に合いそうもない。・・・・でも今は足手まといにならないことだけ考えよう。
 しかし、ますます豪雨となってき、10m下の沢は濁流となり、ゴロンゴロン、ドスンドスンと岩のころがる音が響いている。堀井さん曰く、
「そういえば、日高の沢で雨でテラスで何日もビバークしたという記録がありましたよ」
「このテラスが安心なのは木があったでしょう、一応草付までは水がくると考えられるのですよ」
 クマさん曰く、
「堀井さんと来る時は雨が多いんですよ。20歳代の頃日高の沢で20日間位雨でビバークを繰り返した事もありますよ」
 と、皆のんき。
 シュラフに入るが、ツェルトの中を水が流れているし、斜めの補正が正せず身体は不安定。シュラフも服もビショビショ、寒くてガタガタ震えがくる。一晩中ゴロンドスンが聞こえ、眠れず朝が来た。

7日目(17日) 無事帰宅 (晴のちくもり、のち夕立)
 結局、みんなも眠れなかったみたいで、3時半起床。おじやをつくる。
 4時半頃外へ出ると、薄明りの中で川はゴーゴー流れているが、雨は止んでいる。とにかく函を早くぬけなくちゃと早めに出発したが、クマさん、あや子さんは、
「水が引くのを半日位待って、沢沿いを行った方が労力が少なくて済むんじゃない」・・・・なるほど。
 函沿いは水量が多くて行けないので、今日も高捲きルートでちびちび進む。ちょっとのトラバースでも木がないと危険だ。下に落ちれば水に飲まれ、一巻の終り。そんな時はリーダーがお助けザイルを出してくれるので、本当に安心していられる。ある時、ザレをザイルで登る時、右足のアイゼンが岩に当り、カチャンと外れ、川の中へ消えてしまった。まだまだ高捲きがある。その時堀井さんは、すぐ自分のアイゼンを片方貸してくれた。とても申し訳なく、お断わりをしていたら、クマさんが「堀井さんは大丈夫だから借りた方 が良いよ」・・・・これ以上迷惑をかけるより私がしっかり歩く方が大切と思い、ありがたくお借りする。
 そしてお昼頃やっと函をぬけ、今日中に下山できる目処が立つ。休憩の時、尺イワナがワサワサいたという淵にカメさんはサオを入れてみた。・・・・食いつかない・・・・水量が多すぎ、流れが急すぎてダメみたいだ。なるほど、ここなら尺イワナがいるだろう。釣り師も入れないような沢だ。たまにケモノ道があっても、その先にはクマが食べたフキが倒れていたり、フンがあったりである。・・・・ここはクマ沢川だった。熊については堀井さんから注意があった。
「僕は何10年も北海道の沢に入っているけど、まだ一度も会ったことはない。もし会ったら絶対悲鳴をあげてはいけない。逃げてもいけない」・・・・と。
 そして今日はもう帰れないな、と思っていたら、昼に逆算してくれた。私が飛行機に間に合うためには(帯広17:04発の特急に乗れば、千歳発20:30の便に間に合う)、
「帯広まで車で1時間半はかかるから、車に3時、ぎりぎりだね-」
 ところが川巾は広くなっても水量が多く、なかなか徒渉ができない。そこで今度は、
「最後に徒渉教室を始めます」
 と、リーダー。流れが急な時はボッコ(木の枝)を使い、川下に女性、川上男性、そしてザイルの使い方もいろいろ指導。3度ほど徒渉を繰り返し、時間通りに下の二俣に着いた。
「これで初級沢登り教室はおしまい。山沢さんは中級の沢へ行けるよ」・・・・・・エッあれが初級!
 とにもかくにも車をとばしてもらい、帯広駅へ5時10分前に着いた。何とかキャンセル待ちはせずに済み、お盆明けの混雑のなか飛行機も遅れて、自宅に着いたのは夜中の12時をまわっていた。

 18日からが大変! 1週間分の緊張の糸が切れたのか、脳は眠りを欲しがるし、身体は休養を欲しがる。仕事をしていてもまぶたが自然と落ちてくる。その週は週末(月曜に帰ってきたのだ)が待遠しくてたまらなかった。
 ・・・・こんな究極の冒険は初めで最後だろうな・・・・。
 ・・・・でも平均年令50才の中年登山隊なのに、よくやったな・・・・。

 追記
 堀井さんは、昔、北海道の沢で尺イワナを40匹もあげ、重くて持って帰れないほどの時があったという。今は林道が切れ、釣人も増え、北海道といえども尺イワナはなかなかお目にかかれなくなってしまったそうだ。そこで、今釣りに夢中のカメさん曰く、
「その恩返しに沢への稚魚の放流を毎年やっているのでしょう!」
 ・・・・多分、堀井さんはイワナが少なくなったのが淋しいのでしょう。そういえば2年前、北海道の山小屋で台風を避難していた時会った堀井さん達は、放流しに行く途中だったっけ。


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