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編集後記

 富士山での滑落事故はラッキーだった。危うい瞬間を人はスローモーションで憶えているものだが、なぜかあの滑落はリアルタイムで記憶している。理由はわからないが、実際に滑り落ちながらも夢の中の出来事のような非現実感を感じていたからだろうか。
 しかしあの時は、滑り落ちながら死を覚悟した、というより、すんなりと生をあきらめてしまった自らの執着心の無さに驚いていた。これがオレの最大の欠点だ ― 今思えば、己れの欠点の根本を直感した瞬間でもあった。まったく、オレという人間は、こういう体験をしなければそれに気付かないとは、随分と情けない。
 安全のための「自己確保」。全体的な状況の中で、己れの居る位置を把握し、自らの心をしっかりと捉まえておくこと。「セルフ・コントロール」でことばが足らなければ、「セルフ・サステイナビリティ」とでもいうのだろうか。それは技術の練習とは別次元の、それ以前に持つべき心構えであった。

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 今号を以て岩つばめの編集を降りることになりました。長い間好き勝手にやらせてくださいまして、会の皆様には感謝申し上げます。
 私が編集に携わった最初は第258号(昭和61年7月)、小泉周子編集長(現金子夫人)に助手として鍛えられながらの出発でした。以来今号まで42冊。表紙をめくると、各号それぞれに思い出すことがあって、感無量です。しかしそれは、多大の忍耐をもって要領の悪い私と一緒に作業してくれた方々の笑顔があったればこそ、できたことでした。笑顔はときどき引きつっていたような気もしますが、そういう場面は都合よく忘れました。改めてお礼をいいます。ありがとう。表紙絵の安田章氏には、特に感謝したいと思います。彼は元号が改まった平成元年4月の第269号以来、私の勝手な注文に応えて毎回山の絵をこつこつ描き、不器用な誌面に花を添えてくれました。順に並べてみると絵が変わってゆくのが解ります。その変化をむすんだ歳月を画伯とともに分かち合って来れたことは、誠に幸いでした。本当にありがとう。今後とも変わらずお付き合いください。
 次号300号からは小堀新編集長にバトンタッチします。例えて言うなら、新しい社長に会社を渡して去ってゆく旧社長といった心境でしょうか。一抹の淋しさと未練があります。好きな仕事でしたから。しかし信頼して任せられる才能なので、安心しています。決して傲って言うのではありませんが、新たな千年紀を目前にした今、299号という切れの良い号で仕事を終え小堀氏へバトンを渡せるのは、ひとつの時代の終りと新たな時代の幕開けを象徴しているかのようで、何だか運命的なものを感じます。原稿指名者閻魔帳として使ってきた「なかよし」の付録のノートも、ちょうど使い切りました。これは10年前、当時新婚ホヤホヤの安田直子さんがプレゼントしてくれたものでした。こんど新たな閻魔帳を見て「ゲンコー鳴き」するのは小堀氏の番ですが、どうか皆さん、協力的に応えてあげてくださいね。切に、切に、お願いいたします。
 長い間、本当にどうもありがとうございました。

     うさぎの年の花粉の春に 赤眼こすりつつ  服部寛之


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