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富士山・雪訓
服部 寛之

山行日 1998年12月13日
メンバー (L)服部、小幡

 毎度お馴染みの正月合宿に向けたトレーニングである。人数限定ではないが、今年はとうとう二人だけになった。トレーニングは自分のためである。
 12日土曜の夜、小田急線本厚木駅南口で小幡氏と待ち合わせ、服部のくるまで東名~東富士五湖道路を経由してスバルライン入口まで行き、テントを張る。夜空を縁取る黒い森。その上に散らばる無数の星々。澄んだ大気はキーンと冷えている。気持ちがリフレッシュする。
 翌朝9時にゲートが開くと先頭を切って五合目に上る。ムキになってアクセルを踏み込み「一番だ、やったぜ!」と思う単純さに自分でもあきれるが、しかし意味などなくても一番というのはやはり気分が良い。僕らにつづいて山ヤのくるまが数台上がってくる。どのパーティーも雪訓のようだ。みんなで身体をほぐしている大人数のパーティーがうらやましい。今年は太平洋側は雨が少ないので五合目辺りには雪はないのでは?と思っていたが、左にあらず。みやげ物屋の前の登山道入口には30センチの積雪があった。それにしても今日は雪訓の当り日のようで、あちこちで大小のパーティーがアイゼン歩行やら滑落停止やらを練習している。雪の時期富士山にはたびたび来ているが、これだけの数の雪訓パーティーを見るのは初めてだ。
 僕らは二人だけなので、取り敢えず足慣らしでしばらく上に登り、適当なところでビレーやら滑落停止の練習をすることにする。六合目手前でアイゼンをつけ、2~3のパーティーと後先になりながら登って行く。七合目の小屋を過ぎた辺りで、右手崖下に障害物のない広い雪斜面が現われる。数パーティーが雪訓中だ。僕らもそこへ行って練習しようと、斜面をトラバースしようとした時だ。大きな段差を降りようと足を下ろした先行の服部がモナカを踏み抜きバランスを崩して後向きにひっくり返り、頭から滑落してしまった。手から離れたピッケルは取り戻しようもなく先に流れ、目出帽はずれて視界をふさぎ、体勢を立て直すこともできずアッという間に150mを流された。その時は焦るということはなく意外と冷静で、「ああ事故はこうして起きるのか」とか「オレも岩に頭ぶつけて死ぬのか」などと考えた。誠に幸運なことに、徐々にスピードが落ちて崖っぷちで止まった。小幡氏が心配しているだろうと思い、慎重に立ち上がって少し登り返し、立ちすくんでいる小幡氏に手を振った。特に怪我はなかった。振り返ると、止まった先は10mほどの垂直な崖になっていて、その下には岩まじりの雪の斜面が波打ちながらずっと続いていた。恐ろしい目に合うと膝がガクガクしたり心臓がドキドキしたりするものだが、なぜかそういうことはなく、自分でも不思議なほど落ち着いていたのだった。
 それから当初の予定通りそこでスタンディングアックスビレーの練習をしようとしたが、思ったほど積雪がなくピッケルがシャフト半分位しか差し込めないのであきらめ、次に今しがた図らずも本番で実践できなかった滑落停止の練習をしてみるが、オレは右のケツを打ったらしく身体を回転させるのがしんどく練習に身が入らない。それを見た小幡氏はもう今日は切り上げた方が良いと判断したのか、「降りましょう」と言う。
 五合目まで降りてくると、オレはまだ練習し足りない気分で、このまま帰っては小幡氏にも申し訳なく、もうしばらく滑落停止でもやるかと提案したが、小幡氏は続けてやっても怪我するだけだと思ったのか「いや、帰りましょう」と言う。彼の気遣いをありがたく思いつつ、上りの渋滞が始まった東名を途中で降りて新松田駅で小幡氏と別れ、早めに帰宅した。
 その夜、湯ぶねに浸かりながら今日の事故を思い返していると、寒さと緊張感で固まっていた思いが解凍されてきたのか、じわじわと心の底から恐ろしさが込み上げてきた。もしあの崖っぷちで止まらなかったら・・・・。思えば、今日上りの途中で出会った、アイゼンつけて下降してきた初心者のあんちゃんのぎこちない腰付きに、かつての自分の姿を見て笑ったその自己過信が気の緩みを呼び、見通しの甘いトラバースルートの選択に結びついていったような気がする。
「傲るべからず」
「山を侮るべからず」
 今でもこの体験は神様からのありがたい戒めと思って肝に命じている。この記録はそれをいつまでも忘れないためである。


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