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五月合宿 浅草岳・守門岳周辺
その5 五味沢定着 浅草岳・守門岳ピストン
服部 寛之

山行日 1999年5月1日~4日
メンバー (L)服部、勝部、大久保

4月30日(金)晴れ
 品川駅前に夜11時に集合、服部のくるまで出発する。目黒インターから外環、そして関越道に入り、星空の中をひたすら北上する。小出インターから国道252号線に入ってやや行った右側にトイレと自販機が並ぶ広い駐車スペースがあったので、そこで幕を張る。ひんやりとする外気の中、駐車スペースの中央にはまだ大きな雪の山が残っており、雪国にやってきた感を強くする。2時半頃就寝。

5月1日(土)快晴
 7時頃出発。大白川の駅にくるまを停めて朝飯。大久保氏は以前、オレとそぼ降る雨のなか守門から下山してきてこの駅で一息つかせてもらったことがあると言うが、オレはぜんぜん覚えてない。記憶がないと何度来ても新鮮だ。
 予定では、今日は五味沢周辺でうだうだして過ごすことになっている。この上天気になんたることかと思うだろうが、本パーティーの3分の2は普段山に行けない半トド化した隊員で占められており、今日はひとまず山の空気に慣れねばならないので、これでいいのだ。
 時間は有り余っているので、どこまで行けるか、六十里越トンネルの方へ行ってみる。事前情報では、今年は雪が多く大白川から先は雪が残って通れないだろうとのことであったが、このところの天気続きで一気に雪解けが進んだのか、難なくトンネルまで行けてしまった。トンネル周辺はまだ残雪が多く、入口の30メートル手前まで雪で埋まっていた。トンネルの前からは鳥越山からの稜線がよく見えた。うまくすれば小幡・野田パーティーの姿が現れるのではないかなどと期待しつつ双眼鏡で覗くと、快適そうな雪稜が続いている。「ちょっと行ってみない?」と2人を誘うが、トドたちは動かず。曰く、我らトドまるを好む。気持がトドこおっている。トドのつまりはイヤなのね。
 引き返して五味沢に菅原隊のテントを捜しに行く。白崩沢の橋のたもとにICIのドームテントが張ってあり、中を覗くと大量のコゴミと菅原氏のマットがあった。テントを見つけたら他にすることもないので、大原スキー場へ守門のルート偵察に行く。スキー場の下部はもう草原になっており、狭い除雪道を上がって行くと、腐り雪の残る上部の一角で若いスキーヤーらがスラロームの練習をしていた。除雪道の終点ではパワーショベルが忙しげに除雪の真っ最中。結局ルートとしては、ゲレンデ左側の尾根に取り付いてみようということになった。
 ビールを仕入れて五味沢へ戻ると、菅原隊と無線が取れた。「守門の南西側の田小屋から登っているが、くるまを置いた道の終点辺りには山菜がたくさんありそう」との山沢さんのおいしそうな甘言に乗せられ、「ではでは」と出かけて行く。餌に釣られりゃトドは動く。藤井さんのくるまが置いてあった田小屋の登山口辺りは景色の良いところで、左手に大きな浅草岳、その右手には毛猛の山々、そしてその後方の雪をかぶった見慣れない高峰は日光連山だろうか。景色に見とれていると、「この辺りはまだ山菜は早い。もう少し下に移動しよう」と大久保氏が言う。その言葉どおり、ちょっとの標高差で春濃度がどんどん濃くなり、100メートルほど標高を下げた棚田の辺りがちょうど食べごろであった。コゴミやらフキノトウやらを採って、郷愁誘う山村の風景をじっくり眺め、田んぼのオタマジャクシに飽きてもまだ菅原パーティーは下りてこない。春の陽射しもまろやかな、絶好のうだうだ日和ではあったが、待てど暮らせど下りてこない。いいかげん待ちくたびれ、3人とも虫の息になりかけたころ、ようやく菅原パーティーが現われた。全員よれよれである。山スキーも疲れるだろうが、うだうだするのだって疲れる。山ヤも日頃忙しくしていると、うだうだのシロートになりさがってしまう。
 菅原パーティーと五味沢に戻ると、ムジナ沢の橋のたもとでしろしさんと明美さんが幕を張っていた。我々もその隣に設営する。菅原パーティーはこれから同窓会に急ぐという山沢さんを除いて風呂へ出かけた。そうこうしていると、明氏親子が到着。その夜はムジナ沢のテントに菅原隊の面々も顔をだして盛り上がった。

5月2日(日)晴れのち曇り
 今日は浅草岳に登る。ムジナ沢の橋が浅草岳への夏道の入口になっており、そのトレースを辿る。スキーを担いだしろしさん、明美さん、明氏に健太君も加わって総勢7名。出発して1時間、誤ったトレースを辿ってしまい変なピークで行き詰まってしまった。引き返して本来の夏道に戻ったと思ったのも束の間、またもや小高い林に入ったところでそれまで導かれてきたはずの赤ペンキが消えてしまった。一緒だった幾つかのパーティーもそこで三々五々各自の脱出路を求めて散らばり、我々もルートを探すがいまひとつ判然としない。ここで1時間ロスし、結局しろしさんが先頭に立って一旦北側の谷へ下り斜面を登って行く。しばらくすると1070メートル付近を横切る林道が見えてきた。既に午後1時。浅草岳の頂上はまだまだ遠い。ここで頂上はあきらめ、スキーを担いだ4人は林道を滑って下りることに決め、我々は来た道を引き返すことにした。この時我々と同じようにこの地点まで辿り着いた2パーティーも時間切れとみたらしく、ここで引き返した。我々が最後に下りてゆくと、しばらく下った先で2パーティーとも休んでいたが、お互い引き返すハメになってなんとなくバツが悪く、目を合わせて互いにニヤッと苦笑い。いやはや、この時期のルートファインディングは難しいっすね、皆さん!
 さんざん苦労して登った高度も下りる時はアッと言う間。帰幕すると、ムジナ沢の対岸に設営中の小堀パーティーが手を振っている。本来なら彼らは昨日のうちに来るはずであったが、案の定、寄り道した野沢温泉で一泊してきたと言う。今日は既にどこかに登って下りてきたとのこと。まだ3時、何はともあれ小堀パーティーとともに近くの洞窟風呂で一風呂浴びる。ここは夕方5時までの営業。昨日駐車場はガラ空きだったので空いているかと思いきや、今日はなぜか混んでいる。ホテル大自然館の「洞窟風呂」というから探検隊気分で入れるのかと思いきや、どこにでもあるような風呂が岩盤の中に作られているだけで、面白くもなんともない。せめてギャオスのタマゴぐらい湯船に浮いてて欲しかった。
 その夜は、ムジナ沢の対岸に構築した田原基地に宴席が設けられたが、疲れのため早々に切り上げた。

ムジナ沢(6:40)→林道(13:00)→ムジナ沢(15:40)

5月3日(月)曇りのち雨
 早朝、明氏親子が新潟へ向け出発。しろしさんらは何処かへ出かけるらしい。我々は小堀パーティーと合同で守門岳に登る。小堀氏と井上のお父さんは山スキーだが、田原氏は徒歩でうちらと合流すると言う。聞いてないけど、本人はもう決めている。
 おとといの偵察で目をつけていた場所にくるまを停め、腐り雪の残るゲレンデを横切って尾根の末端に取り付く。取付きの手前に川が流れていたが、運良くまだ雪の落ちてない個所を渡れた。いきなりヤブの急斜面。田原氏先頭に、所どころ斑点のように残る雪を拾いながらズガズガ登る。スキー担いだご両人は長さに余る板をもてあまし気味にしばらくヤブと格闘していたが、やがて匙ならぬストックを投げ、板を地面につきたててバンザイ。スキー担いでヤブコギピークハンターに付き合うのは所詮無理があった。しかし尾根近くまで来ると谷筋には入り乱れたスキーの跡が・・・。
「ウーム、なかなかやるなあ・・・」
 尾根に出ると見かけよりもヤブが濃い。だが同じことを考えるご同輩はいるようで、ヤブコギ跡は明らかだ。
 あちこち引っかかりながら9時10分、約2時間の四苦八苦で稜線に出る。ここでずっと連絡が取れないでいた小幡隊がシーバーに飛び込んできた。あせり気味のパワフル声の呼掛けも、うちらの応答にホッとしたのか、落ち着きを取り戻してゆく。まなじりを下げた小幡・野田両氏の顔が目に浮かぶ。田代パーティーとも明瞭な交信が取れ、それぞれ五味沢での今夕の再会を約して無線を切る。
 稜線上はまだ一面の銀世界。大量の雪がたおやかな雪稜を形作っている。その向こうにもっこり頭をもたげたピーク目指して、大雪原を横切る。すでに雪をはがされた最後のひと登りを、へろへろになりながらも草熱れに春の嬉しさを感じつつ登る。
 守門頂上は雪もすっかり姿を消し、春が周囲に先んじて降りてきていた。オレはここは2回目のはずだが、憶えてないのでまたもや新鮮。こういうのは得なのか損なのか? これまで「何度来ても新鮮!」という奴の言葉を信じていなかったが、もしかしたらこういうことを言うのかも知れないなあ・・・。ン?ちょっと違うか?
 頂上には三々五々登山者がやって来る。反対側からも登ってくる。展望があって気分はいいが、灰色の空は明らかに水気をためこみつつあるようだ。
 身体が冷えてきたので下山にかかる。例のヤブ尾根の下り口まで来ると、途中で抜かしたパーティーが付いて来てしまった。そこで
「シロートさんはあっちからね」
 と、エラソーに言ってやる。実際うちらは"苦労徒"だもんね。だから、途中で下るべき支尾根の分岐を通りすぎてしまっても、じゅうぶん言い訳にはなるのだ。その時は、双眼鏡でさっき地面に突き立ててきた赤いスキーを確認して戻ったが、しかし先頭を切って下っていた田原氏がいち早く「あれ?何かおかしいな」と気付いたのはサスガと言うべきか。
 思わぬ役に立ったスキーを回収し、1時半過ぎ、最後はズリ落ちるようにして取付きのスキー場に下り立った。もちろん、小堀・井上両氏はスキーを履きくるままでの300メートルを大滑降する。
「そのために持って上がったんだもん」
 くやしい気持ちはよく解かる。
 その足で入広瀬の寿和温泉に行き汗を流す。その夜は生憎の雨となってしまったが、田原基地の幕屋に、無事下山してきた小幡・田代両縦走隊の面々を交えて皆が集まり、うれしい再会を祝し三峰の発展を祈念して乾杯した。オレにとっては、委員長になって初めての合宿が無事に終わり、ホーッとした瞬間であった。その後、田原号の脇で焚火が始まった。嬉しくてつい飲みすぎてしまったオレは早々にシュラフに潜りこみ、小雨に煙る橋の向こうで手拍子とともに夜のしじまに吸い込まれてゆく酔声を聴きながら眠りに落ちた。

スキー場(6:55)→稜線(9:10~25)→守門岳(10:40~11:00)→スキー場(13:25)

5月4日(火)小雨
 今日あたりから上りの渋滞が始まりそうなので、早立ちとする。5時過ぎに出て行ったしろしさんたちに続いて、6時前には出発する。うちらのくるまには小堀氏がジョインした。さすがに道はガラ空きだ。関越道は前橋を過ぎると上り線のくるまも増えてきたが、それでもスイスイ。順調に外環、首都高を抜け、品川駅まで4時間チョイ、時過ぎには到着となった。意外とあっけない帰路であったが、家に帰ってニュースを見るとすでにあちこちで上り線の渋滞が始まっていた。


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