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谷川岳/一ノ倉沢・烏帽子岩南稜
小堀 憲夫

山行日 1999年5月30日
メンバー (L)菅原、小幡、小堀

 たしか大集会の後の飲み会だったと思う。最近元気づいてきた三峰が嬉しくて、ビールもまわって良い気分の菅原さんが、「こぼちゃん達谷川行ってみる?」と、岩の話しをしていた小幡氏と私を誘ってくれたのは。同じく良い気分でわけが解らなくなっていた私は、うかつにも「うん、行くっ。」と答えてしまった。
 5月の連休に予定されていた合宿の前に、一度岩トレに行こうと張り切っていたが、天候のせいで中止。そのかわり、合宿から帰った翌週の土曜は広沢寺でしっかり登り込んだ。なにしろ毎日10キロ欠かさず走り込んでいる小幡までが少しバテてたほどだ。おかげで、翌週かなり上半身に筋肉痛が残った。たった一回のトレーニングだから、トレーニングと言うよりもお互いの様子拝見といった感じだった。小幡氏とは前に何回か岩に行ったこともありお互いどの程度か分かっていたが、菅原さんとは始めてだった。で、その菅原さんだが、最近は岩自体やっていないと言いながら、流石に昔とった杵柄で身のこなしが柔らかい。小幡氏がパワーでガツガツ登るのに対して菅原さんはムーブでひょいひょい登るといった感じだ。お互いのザイルワーク等も鋭く?観察したりして、「ふむふむ、これならなんとか行けるだろう。」と納得。なにしろ、今年に入って始めての岩だし、練習らしいことをやっているのは小幡氏だけ。南稜だからと言ってあなどれない。それに、毎日ボロボロになって働いて、ろくにトレーニングもしていない身には、ほんちゃんの岩は正直怖い。なら、なにも無理して岩なんか行かなくてもいいじゃないかということにもなろうが、これが止められない。こういうのを未練と言うのだろうか。「お楽しみだけの山行に落ち着くのはまだまだ先。老いぼれるにはまだ早いよ、オレたちゃ。」ということらしい。そう、「おじさん達の意地」としての岩登りだ。
 それにしても、今回の山行、私ごとで恐縮だが、その前にあまりにも忙しい日々が続いた。会社の仕事の話しだ。まあ、普段気合いの入った山行がある時は、多少はトレーニングらしきものを週末だけでなくやるのだが、今回はまったくできなかった。週中ならまだしも、週末も出勤が続いたもので、身体はボロボロ。おまけに自棄酒ぎみで、あろうことか上っ腹が出てきた。「ああっ、あぶねーなぁ、こんなんじゃテールリッジもおぼつかないぜ。菅原さんに謝って止めちまおうかなぁ。」とチラッと考えたほどだ。それでも結局は出かけてしまった。「君は行くのか~、そんなにしてまで~。」どこかで聴いた歌の文句だ。たしかタイトルは「若者達」だったかなぁ。そう、「おじさん達の意地」の第一の理由が「若さ」への未練にある。若さというのは肉体的な若さのことだけだはない。月並みな言い方だが、「冒険を求める心」が若さの特徴だと言えるだろうか。また、自分を忘れるほど真剣に打ち込めるものを持っているかどうか、心の若さはこれにかかっている。そもそも人類の進歩は群れから離れた若い固体の冒険にあった。いや、「サル学」の最近の成果では人類の始まりは幼生のサルだったのではないか、と言われている。幼生というのは、突然変異でもってまだ大人になりきらない内に成熟してしまう固体のありようで、あのかわいらしいウーパールーパーなどがそれにあたるらしい。ある時まだ全身の毛が生えそろわない若ザルが、今までの樹上での生活を捨て、その旺盛な好奇心につき動かされて無謀にも危険がいっぱいの地上に降り立った。本能が十分に開花する前に、また大人達がおきてを教え込む前に、新しい行動パターンにトライした。これが人類の始まりだったのではないかと言うのだ。ようはまだガキのくせして大人だと思い込んでしまったおろかな若ザルのことだ。なにか最近のことではビートルズの登場を思い出させるような話ではないか。そう、人間をもっとも人間らしくしている本質の一つは、この一見おろかな冒険心なのだ。なにやら話しが大袈裟になってきた。「そんなに冒険が好きなら、もっとガンガンやれよ。」と言われそうだが、そこはそれ、おじさんは色々考えてバランスをとる(妥協するとも言う)のがうまい。家族もいるし、色々持ち物も増えてこの世に未練いっぱいだ。で、死なない程度に冒険する方法を考える。危険を省みずのめり込むほど若くはない。おっと、むきになって弁解していたらつい本音がでてしまった。まあ、つまり、だから「未練」と言ったのであって、もう実際は若くないことは十分承知している。だが、あの岩を登っている時の高度感から来る恐怖心に打ち勝って、頭の中が真っ白になるあの瞬間、あの味は忘れられない。
 さて、当日土曜日昼過ぎ、小堀車が待ち合わせの東所沢駅に着くと、2人はビールを飲みながら待っていた。「おーいっ、ずるいぞ、自分たちだけ。」とは思ったが、「いいんだよ、ぼくがちゃんと運転するから、ビールでもワンカップでもなんでも飲んでて。」と口は動いていた。途中地元の生協で夕げの買い出しをすませ、まだ明るいうちに一の倉の出合に到着した。多少ガスが出ているとは言え、車を降りて久々に見上げた一ノ倉は、「やっぱり怖いよ谷川は、一体あれのどこ登るっていうのー。」というほど間近に、しかもはるかに高くおどろおどろしくおおいかぶさるようにおじさんのチキンハートを脅すのだった。実際取り付いてしまえばどうということのないテールリッジも下から見ると登攀不可能な難所に見えた。当たりには夕陽に映える一ノ倉を捉えようと、シャッターチャンスを待つカメラマンや観光客が大勢集っていた。もちろん登攀を終えてよたよた歩いている山屋もいた。そして空いたスペースには、オートキャンプ場で見かけるようなのから山岳テントまで色とりどりのテントが張られていた。我々も早速駐車場の隅にエスパースを張って宴会態勢に入った。ただし、さすがに酒は控えめ。
 翌朝、昨夜少し降った雨もあがって好天の予感。軽く朝食を済ませて出発。雪渓をつめてテールリッジに取り付くころには昨日の恐怖感はなくなっていた。予想どおり空は晴れ渡り、南稜テラスに着いた時には、朝の明るい日差しの中、岩場を自由に飛び回るたくさんの岩つばめの舞いの向こうに中央稜に取付いている岩屋達を眺めることができた。
 ただし、人の渋滞。なんとテラスには我々の前に3パーティーも並んでいた。しかも、何の目的か結局分からなかったが、大きな荷物のプラブーツ集団がいた。それが見事に下手で、なんと2時間以上も待たされた。下からは後続のパーティーが続々と上がってきて、やがてテラスは順番を待つ岩屋でいっぱいになった。流石に「下にたくさんつかえてんだぞう。早く登れ!」とか「降りろ!」とか声がかかりはじめた。我々もさすがにそのパーティーの非常識さに呆れ果て、脇を抜けて登りはじめることにした。それからも途中途中でそやつらに待たされる場面もあったが、ピーカンの中、それなりに久々の岩を楽しめた。特に馬の背リッジから最後の壁に移るポイントは、大きく開いた又の下に200m下の谷底が見下ろせて高度感いっぱいだった。
一ノ倉沢写真  終了点からの下降は、後続が大勢いたので6ルンゼを懸垂せずに上に抜けることにした。が、ほとんどのパーティーが懸垂しながらドコドコ落を落としていた。これまた非常識さに唖然。最近の岩屋のマナーが悪いのか、人気のルートを選んだ我らが悪いのか・・・?
 それから国境稜線に出て、厳剛新道を下って出合いに戻るまでが長かった。登っている時は分からなくても、登り終わるとたまった疲れがドッと出てきた。体は正直だ。最後は一人元気な小幡氏に車をとりに走ってもらった。情けなかー。
 という次第で久々の「おじさん達の意地」の岩登りは終った。トレーニングしなくちゃね。今度はどこへ行こう。まだまだ「未練」はあるもんね。


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