トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ300号目次

湯の丸山たらの芽採り
小山 重彦

山行日 1999年5月15日~16日
メンバー (L)原口、田原夫妻、播磨夫妻、小山

 5月15日(土) キャベツ畑が広がる高原を通って、田原さんが運転する車は、嬬恋村の地蔵峠に登り上がる。峠から脇道をしばらく進むと、広場にでる。閉じている管理小屋、炊飯場があり、湯の丸キャンプ場である。そこに車を停めた。
 早速、皆に遅れまいとザックを担ぎながらパンを食べていると、田原さんは車の荷台でゴソゴソしていたが、なにやら、車の横にシートを敷き始める。そして、テーブルを組み立て、鍋、ガスレンジ、食器を並べはじめ、その横で、原口さんも、なにやら、袋から野菜を取り出し切り始めたではないか。いやはや、食事にはうるさいメンバーと聞いていたが、昼食から本格的なスープ付きおにぎりコースが出来上がるのであった。
 1時間程ゆっくりランチしていると、ポツン、ポツンと雨が落ちはじめる。下山して来るグループが現れた頃に、やっと、雨具を着て出発する。小雨で、江戸時代の浅間山大噴火の火山灰らしい黒土が靴にまとわりつくが、ゆるやかな火山台地の軽いコースなので2時間程で湯の丸山(2101m)のピークを極める。ガレ石だらけの山頂はガスで覆われて視界は10mほどで、感動する眺望がないので、早々に下山した。
 今日のお宿はいつものテントではなく、鹿沢温泉休暇村である。それは、村ではなく、新しい豪華なホテルである。温泉で汗を流し、地ビールを飲み、夕食を食べ、贅沢に時間をすごすが、その後が悪かった。それは、翁が人生訓話を私に説教し、原口さんは呪縛霊のお話で、小心な私はこわごわ聞いたため、その夜は翁に首を絞められる悪夢にうなされた(田原夫人の証言あり)。夜は雨が本降りとなった。
 5月16日(日) 10時頃には雨が上がり、ロビーで播磨夫妻と合流する。お宿の裏山の山道を30分程登った所で、道をはずれ藪へ入り込む。九州では、たらの芽を食べたことはなく、山菜採りも初めての私は、地表に芽が出ているのかと想像していたのであるが、それは薔薇が真っ直ぐ伸びたような刺のある細い木で、その先端にでている芽であると教えてもらう。栄養状態の悪そうな木で、その芽は美味しそうには見えない。周りには、たらの木が群生しており、高い木になると4、5m程にも伸びているものもある。トゲに刺されないよう厚手の手袋をして芽を採りはじめる。夫婦達は要領がよく、旦那は枝を引っ張り、女房は枝先の芽を摘んでいる。両夫婦共老いらくの恋が続いているようである(嬬恋の地にピッタリである)。来年もたくさんの芽が出るようにと、採るのもそこそこにして下山した。
 宿から少し下った所にある休憩小屋に車で移動し、昼食をとることとなった。これから採りたてのたらの芽天麩羅料理であり、それを食べる事を目的に私は来たのである。原口さんがたらの芽を天麩羅粉につけて、煮えたぎった油のなかへ投げ入れ始める(天麩羅とフライの違いが私はわからない)。泡を吹き上げながら、たらの芽が鍋の中で踊っている。火力が弱いのか長めに揚げていた天麩羅ができあがり、早速一口食べると、シャキンとした揚がりで風味と甘味もあり、本当においしかとよ。それからは食って、食って、食いまくったが、さらに、ナスビや竹輪の天麩羅もでてくる。採りたて食材と一流のシェフによる料理に、おなかも心も満足していると、播磨さんと田原さんがなにやらゴチョ、ゴチョ話をしている。聞いていると「竹輪の中にチーズが入っている」、「入っていない」で意見が分かれている。私には美味しければどうでもいい話であるが、2人は論争をやめない。田原さんは広角唾を飛ばしながら後には引けず、播磨さんも徹底して白黒をつけようと竹輪を開き始める。これが翁達の人生哲学「男は、一度言いいだしたら後には退けない。」なのであろう。奥多摩合宿での朝まで論争迷惑事件を思い出す。私はおいしい天麩羅を食べるのに夢中だったので、その結果がどうなったかはよく覚えていない。
 このような山中で酒を飲み、うまい山菜を食べ、そして語らう事は最高の贅沢であり、唐時代における竹林の七賢人の論争もこのようなものかと思いながら、私はたらの芽天麩羅を食べ続けた。


トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ300号目次