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越前岳霧雨行
服部 寛之

山行日 1999年6月20日
メンバー (L)服部、豊田

 愛鷹(あしたか)山は不遇である。越前岳(1505m)、位牌岳(1457.5m)、愛鷹山(1187.5m)など塔ヶ岳や鍋割山にも引けを取らぬ高さの峰々を揃えているというのに、丹沢や奥多摩ほどの人気はない。東名高速から見上げてもそれなりのマスを見せて立っているが、にもかかわらずあまり人目を引かないのは、お隣に日本山岳界のスーパースター富士山がどおーんと御鎮座あそばされているからである。隣に映画スター級の美男子がいたら、それも超でかい態度で構えていられたら、誰だって影が薄くなって当然だ。小渕総理の隣に小林旭がいるようなもんだ。武田鉄矢の隣にシュワちゃんかな。
 その影薄きゆえに注目の集まりにくい愛鷹山に、私は敢えて例会を計画した。三峰の会員もメッタに足を向けぬ不遇状態を拙者が改善してしんぜようと、愛鷹山に情けをかけたわけだ。生類憐れみの令ならぬ愛鷹山憐れみの令の発布である。しかし令を発布した割には、呼込口上が足らなかったのか、参加者は一名だけであった。だが一名といえども貴重である。いみじくも彼は言った。「私も不遇の愛鷹山にかねてより着目していた」と。この良識と行動力を物語る同志の弁に筆者は大いに勇気付けられたのであった。しかも彼にはファイトもある。1粒で300メートルだ。4粒だと1200メートルだ。8粒だと、え~と、2400メートルだ。わおう。12粒だと、え~と、え~と、食い過ぎだあ。
 当日は雨模様であった。本厚木の駅で待ち合わせ、東名を御殿場インターで降りて東麓の須山側登山口の大山祇命神社に着く頃にはポツポツきていた。驚いたことに須山から神社へと入る林道は予想に反してきれいに舗装されていた。神社は大きな杉木立の中に小さな祠がポツンとあるだけ。ここの神様は謙虚で地味好みな性格のようで好感が持てる。道は神社の脇を通ってまず西へ尾根まで上り、そこから尾根を南西にたどって越前岳へ上り詰めることになる。しばらく上ると愛鷹山荘があった。正面にアルミ製の門。山荘に門とは珍しい。小さいが小奇麗な小屋で、登山道沿いに置かれたトイレも清潔に保たれていた。小屋主の几帳面な性格が知れるようだ。小屋を使いたい場合は事前に小屋主へ連絡する旨の張り紙があった。
 さらに上って稜線に出たところで一本。霧雨の中、パンをかじっていると、大砲の音が聞こえてきた。自衛隊の演習だろうか。(だろうな。)
 稜線の道をてれてれ上り、途中富士見台なる雲中の展望地で少々休憩し、さらに樹林の中を上って越前岳山頂に着いた。西~南側が開けているが、残念ながら霧雨で視界はない。意外にも先客が3~4パーティー、10名ほど。おっさんがひとり大きなアンテナを立ててCQCQ忙しい。ひっきりなしにしゃべるおばさんのいるパーティーの横に腰を下ろして少々休む。豊田さんがそのおばさんと何やら話をする。どうやら彼らは北側の十里木から上がってきたらしい。
 これは後で知ったことだが、筆者は以前ここに来たことがあったようだ。ようだと言うのは、頂上の印象がその時とは全く違うからだ。愛鷹山に一度来たことは記憶にあったが、どの頂上に登ったのか憶えてなかった。改めて記録を見ると、92年の6月に大久保氏、田代氏、高木(俊)氏、井上(雅)氏らと越前岳に登っていた。その時の印象では、頂上は樹林に囲まれ倒木の上に乗ってやっと青空にそびえる富士山が見えたように記憶している。記憶違いでないなら、この頂上はその後伐採されたということになる。
 10分ほどで山頂を辞し、「お気をつけて」の声におくられ呼子岳へ向かう。細い稜線を海に向かって南下するのだが、ところどころ見えるはずの青い海原は生憎の雨雲に隠されている。呼子岳は狭いピークで、一面の灰色空に腰を下ろす気分にならず割石峠に急ぐ。
 割石峠には、幾分雨足が強くなった中、老人と50代くらいのおっさんが立っていた。老人はグレーのチェックのシャツが濡れそぼって、いかにもしょぼくれている。しかし下りてきた我々に老人はしっかりとした声で話しかけてきた。力強くはないが腹からまっすぐに出る声だ。何でも愛鷹山麓に住んでン10年(失念した)になるが、今日は息子に案内されて初めて登ってきたのだと言う。その感動が見知らぬ我々に語りかけさせるのだろう。しかし何10年も山の麓に住みながらこれまで一度も登ったことがなかったというのは変わっている。その初登山を雨の日に行なうというのも相当変わっている。だが老人の言葉の端端にはかつての開拓者の気骨が感じられ、この辺りにもそう遠くない昔原野の開拓に賭けた人々がいたのかなあと思うと同時に、その頃とは隔世の感があろう今の情況に時代のテンポの速さを知らされる思いだった。
 割石峠からは北東に下ってくるまを置いた林道に戻る。この道は全体に石がやたら多く荒れたかんじだが、つい最近草刈りをしてペンキをつけ直したようだった。ペンキがなければ多少まごつきそうなてれてれ道である。駐車場所に戻ると、更に2台くるまが増えていた。
 今回は霧雨の急ぎ足山行となってしまったが、雨のしっとり感を味わうのもタマには良いのかも知れない。辻まことのエッセイに「雨と一体に溶けて歩く」のは「精神衛生の上からいえばむしろ爽快な経験として心の中に積重なってくるものだろう」とあるが、そういう感覚は記憶の中から呼び起こすことはできても、では今もその感覚を楽しめるかと問われれば「その覚悟はない」と答えるのが正直なところだ。急ぎ足山行となった所以である。しかしナマった精神を取り戻すにはまだ難しくはないだろう。
 次回は残る位牌岳、愛鷹山に登ることにしよう。登る頂上に不公平があってはいけない。


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