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蝉時雨 雁が腹摺り ハシゴかな
服部 寛之

山行日 1999年8月1日
メンバー (L)服部、豊田

 ヘンテコな名前の山コレクターの必須アイテムである雁ガ腹摺山と笹子雁ガ腹摺山と牛奥ノ雁ガ腹摺山のガンガハラスリ三山。昨年5月、筆者は小金沢連嶺を南下縦走中に最後まで残っていた牛奥ノ雁ガ腹摺山に登り、めでたく雁ガ腹摺三山完登を成し遂げたのであった。そのレポートの中で、この雁ガ腹摺三兄弟が形成するナゾのトライアングルの存在を『雁ガ腹摺三山問題』としてするどく指摘したのだが(岩つばめ第297号)、しかしみんなに理解されぬままヨコメでコバカにされ筆者の心は深く傷ついた。さらに山溪98年11月号でも「くだらないこと」と評され(たと筆者は信じて疑わぬ)、筆者は世の中に蔓延する妖怪学的無知に深いタメイキをつくばかりであった。
 幽霊や妖怪についてはかの南方熊楠先生も認めておられる実存である。いくら早稲田のおかっぱアタマ教授が科学的にどーだこーだとテレビでわめこうが、わが三峰の会員もたびたび経験する現実なのである。心ある者眼を開くべし。人間謙虚が大切、いつなんどき運命が急転して落命し幽霊や妖怪の身にならぬとも限らないのだ。それに幽霊や妖怪がいた方が世の中絶対おもしろい。生活がうるおう。幽霊や妖怪のいない世界なんてクリープを入れない珈琲のようなものではござらぬか。今の世の中、机の上のモニター画面から出てくるのは眼を悪くする悪玉電子(だか何だかよく知らないけど)だけではなしに、メールとともに呪いや妖怪も配達されてきた方が断然おもしろいに決まっている。ひょっとすると、WWWに乗って世界中を駆けまわっている新種の妖怪がもういるのかも知れない。ウィルスがその乗り物であるやも知れぬ。あるいは、アメリカの家庭で日本からのメールを開いたら『あかなめ』にいきなり顔をペロリ舐められたり、『小豆洗い』がニヤリ出現しバスルームでおもむろにショキショキ小豆をとぎ出したりしたらどうだろう。きっと驚く。(そうだ!このアイデア、スピルバーグに売れないかな?)
 いかんいかん、妖怪がでてくるとついつい興奮して話が横道にそれてしまった。とにかく、上記のように今回の山行は、我をヘンテコな名前の山コレクターへの道へといざなった笹子雁ガ腹摺山に再び戻り、初心を振り返って傷ついた我が心を癒そうという、深いタメイキの中から出てきた企画なのであった。当初は電車で行って笹子駅から徒歩で笹子雁ガ腹摺山(1358m)に登り、笹子峠(1096m)から甲斐大和駅に下りる計画でいたのだが、しかしルームでの参加希望者は豊田氏ひとりであった。そこで後日思い直し、くるまで行って二座ハシゴで登ることにしたのである。豊田氏の山の好みからして、ここで昨5月の牛奥ノ雁ガ腹摺山に次いで笹子雁ガ腹摺山に登れば、もうひとつ残った雁ガ腹摺山にも登りたいと思うであろうことはほぼ確実と思われたからである。
 ところで、ルームで豊田氏が傷心のわが心の内をどこまで読んで手を上げたのか、それは判らない。しかし「この暑いのによう、笹子なんかに行くかぁ?」などとノートでパタパタ煽ぎながらノタマった某大久保氏に比べたら、よっぽどデリカシーがあるとつよく思ったねオレは。

イメージ

 当日、笹子峠のトンネル東側の駐車場まで行こうとしたら、道路崩壊の復旧工事のためその手前700メートルで通行止め。道の脇にくるまを停め峠までテレテレ歩く。今日は日曜で工事も休み。クレーン車が据付けられた復旧現場はひっそりとしている。森の中を縫って上がるこの道は、今ではくるまも殆ど通らないだろうが、完璧な全面舗装である。晴天下の暑さも標高千メートルの森の中ともなれば随分と和らいで、大きな樹の陰に入ればさらに違う。静けさを際立たせる蝉の声が汗を誘う。峠の小さなトンネルまで上がると、反対側から吹き抜けてくる風がさわやかだ。ローマ建築の円柱をあしらったような凝った造りの入口の装飾が、トンネルが掘られた当時の時代を物語っている。
 トンネルの手前右側に雑草で囲まれた大きな駐車スペースがあり、その隅に笹子雁ガ腹摺山への標識が立っていた。急登を尾根に上がり、樹林の中の尾根道を東へと辿る。すぐにトンネルの反対側から上がってくる道に出合う。道はじきに尾根上を外れ尾根の南側に沿って辿るようになり、南北に横切る送電線の鉄塔のところで一旦大きく視界が開ける。峠から1キロ足らずの地点である。正面にめざす笹子雁ガ腹摺山が大きくたちはだかっている。あとは急登をひたすら詰めて行き、何度かそこが頂上か?と思った末に狭い頂上に飛び出た。前回来たときは寒い冬の時期だったので印象がずいぶんと違う。東側に展望が開け、米沢山~お坊山へとつづく山並が見渡せる。その向こうには昨年縦走した小金沢連嶺がひときわ高く連なっていて、豊田氏と眺めているとその時のことが思い出されてくる。標識の前で交替で記念の写真を撮り、腰を下ろしたところで、「ではでは本日のスペシャルティを進ぜよう」とそれぞれザックから取り出したものが、なんと二人とも氷入りのポカリスエットで大笑い。「頂上で飲むにはこれに限りますなあ」と意見が大一致したのであった。
 同じ道を引き返し、最後に往きとは反対の峠の北側に下りてトンネルを通ってみる。今はもう役目を終えた200メートル足らずの照明もないコンクリートのトンネルは、新たに化粧をし直され、齢を重ねても尚品位を失わぬ老媼のような穏やかなたたずまいを見せて、深い緑の中で静かに休んでいた。通り抜けてふと気付くと、吹き抜ける風の向きが先程とは逆であった。
 次は雁ガ腹摺山である。甲州街道を引き返し、下真木の集落を北へ折れて登山口の大峠へとつづく林道に入る。長いガタガタ道かと思いきや、すばらしく快適な舗装路である。大峠(1567m)は東に雁ガ腹摺山(1874m)、西に黒岳(1988m)を見る尾根上のコルで、10台は裕に置ける駐車場には既に数台のくるまが停まっていた。仕度をして、おしゃべりに興じている数人のバイクツーリングらしきグループを横目に雁ガ腹摺山への山道に入る。100メートルも行くと冷たい水が勢いよく流れでている湧水があった。快適なアプローチと駐車場に近い水場の揃った大峠は一夜の幕営場所としていいかも知れない。その先のやぶ斜面では中年の夫婦のような二人が袋を手にウロウロ。何ぞや食えるもんでも探しているのか、袋の中身が気になるところだ。道は頂上の南側へと山腹を捲くようにして上って行き、最後に樹林からお花畑の広がりに飛び出ると北へ向きを変えてお花畑の中をまっすぐ山頂へ上って行く。駐車場から頂上まで1時間である。山頂は樹林の中だが、うまい具合に展望のあるお花畑の方向に例の500円札の富士山が望めるようになっている。ここも私には二度目だ。前回は金山から数人のパーティーで長い尾根歩きだった。途中でしろしさんがモゾモゾしだして脱落し、大峠からは原口さんらが登ってきて頂上で落ち合ったような記憶がある。その時は曇っていて500円札の富士山が見えなかったので今回は期待したのだが、またしてもダメであった。お金には縁のないこの身だが、眺めることさえかなわぬとなると懐具合だけでなく気分的にも寂しくなる。しょうがないので、カレーパンをかじって大きめの石にゴロンとフテ寝すると、豊田氏がレモンのはちみつ漬けをめぐんでくれた。ありがたやありがたや。しばらくして、大峠から中年の男性がひとり上ってきたのを期に腰をあげ、その人に静かな頂上を譲って下山した。
 帰路、入浴の看板を見て真木温泉に寄ったが、くるま1台がやっと通れる狭い道を苦労してやってきたにもかかわらず入浴料がバカ高く(正確に憶えていないが1800円くらいだったか)、失礼しやしたコノヤロウ、庶民を入れぬなら看板出すなコノヤロウと呪いつつ、早々に退散したのであった。
 今回は最後に風呂で締められなかったのが残念であったが、豊田氏にとってはこれで一気に雁ガ腹摺三山完登となり、私にしてみれば懐かしき雁ガ腹摺回顧旅となり、そのうえ氷入りポカリスエットの頼もしい威力をお互いしみじみ確認するという夏休み宿題絵日記的山行となったのであった。豊田さん、お疲れさまでした。


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