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上州三峰山
服部 寛之

山行日 1999年8月8日
メンバー (L)服部、大久保、豊田

 三峰山という名の山は全国的に散在しているようだが、三峰なる山があるとなれば、同名の山岳会に所属している身としては、名前のよしみで登ってみたくなるのは、人間として誠に正しい反応であろう。日本も完全に自動車社会となり道路網の整備も進んできた昨今、山行スタイルもくるま利用への比重が増え、マイカーで行く山のガイドブックが頻繁に発行されるようになった。この山の案内を見つけたのも、そうしたもののひとつ『関越道の山88』(白山書房)なるガイドブックである。この本は親切にも、インターから山頂までの経路が、途中のコンビニと帰りの温泉付で図示されていて、非常にウッシッシなのである。本屋でこういうウッシッシ本を見つけたときには特に注意が必要である。モロにウッシッシ顔でカウンターに近づくと、レジのおねえさんに白い目で見られる危険性がある。
 ではこの山はどこにあるかというと、月夜野インターのすぐ右側(北側)、鉄道でいうと上越線後閑駅の北側である。名前の通り、追母(おいば)峰、吹返(ふきかえし)、後閑峰なる三峰が南北につらなったなだらかな台地状の山で、1122.5mの頂上が北側にある。登山口が既に440mなので、標高差は680mほどである。ガイド本によると、この山は山中に三峰沼なる「小さな沼も秘めている」とあり、筆者は「秘めている」というのが特に気に入った。常に浪漫を求める筆者は神秘を湛える山中の湖水に美少年の頃より惹かれる傾向にあるのである。深い森に囲まれた湖沼の写真もなかなかよろしい。
 この山は南側から攻めるようになっており、登山口のそばの竜谷寺の駐車場で宴会・仮眠すべく、7日の夜月夜野インターで降りたはいいが、初めて降りるこのインターの造りがあまりにも突飛なので、いきなり驚いてしまった。この辺りの関越道は山の中腹を走っており、インターから一般道へ降りるアプローチ道は、下の谷底の国道に沿って延びる街並みの上を高架で一気に飛び越えて、向い側の山裾までまっしぐらに突っ込んでゆくのである。こんなのってない。夜間初めて降りる者は驚くに決まっている。料金を払ったらいきなり暗黒の谷空間に投げ出され、アッと驚くのも束の間、眼下の闇野に広がる灯りはなんだなんだなんなんだと気が動転している間にもくるまは対岸に向け一直線に突き進み、対岸は容赦無く迫りきたりてワワワ化した精神状態のところへいきなり二俣が出現して二者択一を迫るのである。道を間違えるわけである。
 このインター出口での動転はその後もあとを引き、入りくんだ細い道に迷っていると、大学生風の20名ほどのグループが男女二人ずつのペアに分かれ真っ暗な山の夜道で肝試しのようなことをやっているのに出会った。間髪を入れずムッとする。肝試しになんでペアを組まねばならないのかっ!ドン!(机をたたいた音)。肝試しは一人ずつ行なうのが正しいのだ。ドン!しかもわざわざ男女でペアを組むとはっ!ドンドン!しかも相手の女は若い!ドンドンドン!
 肝試しはどうでもいいけど男女がペア!という一点に異常な反発を覚えた我々はその道を何度か往復し、暗闇で手なんかつないでいるやつらに正義のパッシング光線を浴びせかけてやったのだ。ザマミロ。と思いつつも他に人がいないのでそいつらに竜谷寺への道を聞くと、親切に教えてくれたのである。意外にいい人達なのだ。最後に、
「こんな時間に竜谷寺なんかに何しに行くんですか?」
と聞かれたので、
「肝試し!」
とキッパリ答えてやったら、目を丸くして驚いていた。ケケケ。
   だがここで突如としてわたくしは、うちらがこれから寝ようとしている駐車場はお寺のものであるというかなり明確な認識に到り、続いて「お寺」→「墓地」→「幽霊」という連想が我が胸の内に去来したのであるが、しかしここまで来て引いたらオトコがすたると思い沈黙に徹した。こういう時は酒飲んでさっさと寝てしまうに限る。(と書いてはみたものの、ホントは酒なんか飲まずにさっさとシュラフに潜り込みチャックを上までピッタリ締めて明るくなるまで出てこないのに限るのよ。)
 翌朝明るくなって見回すと、駐車場は堂々と墓地に隣接していた。だが墓地も駐車場も隣に広がる田畑と同じように空が明るく開けていて、あの世方面からお出ましになるような雰囲気はなく、ホッとしたのであった。
 テントを撤収して6時45分出発。竜谷寺のすぐ北側には畑の一角がパラグライダーの着地場所になっている。その脇を抜けると、間もなく登山口。尾根の末端である。脇の木立の中に石仏が数体。まっすぐに延びたゆるやかな登山道には桔梗がたくさん咲いていた。雑草に混じって咲く清楚な桔梗には、山奥に逃げ果せた公家の子孫のような、俗の中にも高貴さを残す品位が感じられる。やがて道は雑木林の中に入ると傾斜を増し、細かくジグザグを繰り返して行くと突然舗装路に飛び出た。舗装路は間もなく小祠に突き当たって終点となる。そこで一本取っていると、エンジンのうなる音とともに麓のパラグライダースクールのジャンパーが数名ハイエースで現われた。小祠の裏手には荷物用のモノレールがあって、パラグライダーをこれで運ぶのだそうだ。人間はそこから10分ほど離陸地点まで登山道を行くとのこと。小祠からは大石の散在する登山道となり、数分で河内神社に到着。子持山、赤城山などの展望が広がる。神社から3~4分行くとパラグライダーの離陸地点で、南側に向いた斜面が広く伐採され、土留めにゴムが敷き詰められていた。丁度さっき上がって行った連中が離陸するところなので、しばらく見物してゆく。皆20代の若い男女で、なんとこれが初フライトになるとのこと。緊張でこわばった顔に茶髪のインストラクターのお兄さんからゲキが飛ぶ。助走路の斜面の下を覗くと400mくらい何も無い。それでも皆次々とカラフルなキャノピーに風をはらませスーッと空中に飛び出て行った。う~ん、最初怖そうだけど気持ち良さそう! 空高く飛びながらコキジ撃てたらさぞかし気持ち良いだろうな、でも風に煽られて自分にかかっちゃうのかな、そうなるとヤベーな、アッでも両手ふさがってるからダメか、でも最初から出しとけばどうだろう…などといろいろ想像をめぐらせる。
 道はそこから北向きに折れ、本格的に森の中へと入って行く。大きな赤松が文字どおり林立する広い森だ。こんなところにこれほど立派な赤松林が残っているとは驚きだ。
 30分ほどで三峰沼に出た。沼は二つあり、双方とも水は澄んではいるが、龍神様が住むほどの神秘感はなく、また河童たちが住めるほどの賑やかな生態系でもなさそうだ。人が放したものか、鯉を数匹見かけたが、沼としては中流の上クラスの平凡さを湛えて、特に秀でたところは見うけられなかった。道は南から沼を半周して北側へ抜けた。
 沼の先も見事な森が続いており、数人がかりで抱えるような巨木がそこここに見られるのも驚きだ。深い森の雰囲気を楽しみつつなだらかな尾根道の起伏を辿って行くと、やがてぐっと地面が盛り上がり、樹林に囲まれた中に三峰山頂の標識が立っていた。展望はなし。セミのBGMにしばし耳を傾ける。
 山頂のベンチでしばらく休憩し、さて下山である。ガイド本によると、少々往路を戻ってヤブ尾根に入り、是非とも温泉に入りたい一心で強引に下りて行くと温泉に出られるとある。まさにわれわれ向きじゃん。先ほど目星をつけておいたヤブ尾根への分岐点まで1キロほど戻る。この分岐点には標識があり、その先の踏跡沿いにも所々標識が立ってるが、どれもきれいで最近立てられたもののようだ。「なんだ、標識を拾って行きゃあいいのか」と思って追って行くと、ヤブが生い茂った沢にでてしまった。なぜか標識は濃密なヤブの中に強引に立てられている。「なんだこりゃ?」
 沢のヤブ漕ぎなんてご免なので、右岸の尾根に逃げ、落ち葉を蹴崩しながらしばらく下り、最後は伐採斜面に出て下方に見える林道まで強引に下りた。この『後閑林道』はダンプでも通れるくらいの幅のある砂利道で、三峰山の西側山腹に沿って付けられている。暑い陽射しを避けて日陰で一服していると、南側の空高く緑やピンクのパラグライダーが舞っているのが見えた。「おう、やってますな」
 林道を1キロ弱北上し、南西の温泉の方角へ延びる細い好展望の尾根に入る。好展望なのは皆伐後に植えられた苗がまだ育っていないためだ。下部まで下りてくると、密生したヤブに阻まれてしまった。「地図では山道があるはずなんだがなぁ」とレレレ化しつつ左側の小沢に下りてちょっと行ってみると、廃道らしき登山道があり、やがて林道に出られた。やれやれだ。20分ほど林道を下ると目指す『月夜野町営温泉センター』(300円)に辿りついた。
 タクシーを呼んで竜谷寺の駐車場に戻ってみると、ナンと駐車場がくるまで埋まっている。荷物を見るとパラグライダーの連中だ。「そうか、ここは休日には人気のパラグライダー・フィールドなんだな」と思っていたら、その夜のNHKニュースに今朝見物した三峰山のパラグライダー離陸場が映っていたので驚いた。何でも『仮装パラグライダー大会』だったそうだ。それであの駐車場の賑わいが合点いったが、しかしヘンテコな格好してても飛べるのであれば、創意と工夫次第ではコキジだって・・・と、少しは希望が見えたような気がして、嬉しかった。

〈コースタイム〉
竜谷寺(6:45) → 小祠(7:50~8:00) → 河内神社(8:07~15) → パラグライダー離陸地点(8:20~8:35) → 三峰山頂(10:20~35) → 温泉センター(12:55)


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