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集中山行 万太郎山
その4 「元橋~平標山~万太郎山」縦走
豊田 哲夫

山行日 1999年8月28日~29日
メンバー (L)豊田、大久保

 我が山師、いや山の師、服部氏が腰の病に倒れて結局は二人の山行になってしまったが・・・・・・。師のご学友である大久保氏が素人の長い縦走を危惧してか、はたまた憐憫の情からか急遽同行してもらえることとなった。今回は全4コースになったが、元々高いのと水が生まれつき苦手であり、唯一の「平場」コースをとることになってしまった。

<第一日>
 我々のコースは豪華絢爛、金には少々糸目をつけた楽々手抜きコースであるため、まずは新幹線で越後湯沢に向かう。バスで元橋下車し、松手山への指導標に従い登山を開始する。今年の猛暑は8月末のこの時期に及んでも収まってくれない。無風の樹林帯の中を第一の目標点である120Mの巨大鉄塔に向かう。大久保氏、5月の集中山行以来の本格登山とかで、また日ごろの超激務からか、なかなかピッチあがらず水をどんどん補給する。結局、元橋~平標山の家まで約4KMの道程で2リットルはお飲みになり、ちなみにリッター当り2KMという超大型ダンプなみの燃費効率ということになる。さて、120M鉄塔までくればようやく涼風が吹きぬけ、ひとまず小休止。松手山は眼前にあリワンピッチで届き、平標山へは広々とした稜線歩きとなる。一の肩直下は急登となるが斜面一帯はお花畑となり初秋の花が咲く(花の名前に疎いので花名はわからない、しかし奇麗)。
 平標山山頂ではあいにくのガス状態で、仙ノ倉山~谷川連峰の眺望は得られない。時間は腐るほどあり今度は大休止。アベックが二人(当たり前)・・・なんと若いオトコが10リットルは入るポリタン持参。女の子は手を洗うやら、顔を洗うやら、さすがに体だけは洗わなかった。もう何十歳若かったらこれ位ガンバルンだとしばし顔を見合わせる。平標山ノ家までは20分強の下り道。明日またこの道を登り返さねばならないが「酒」が待つから仕方がない。夜7時就寝。年寄りは夜が早いのだ。

元橋(10:55) → 大鉄塔(11:50~12:10) → 松手山(12:40) → 平標山(14:20~14:50) → 平標山ノ家(15:10)

<第二日>
 5時前起床、5時20分朝食、40分出発。小屋の眼前に広がる仙ノ倉山が朝空に浮かぶ。私「今日はよい天気になりそうですね」と、小屋主人曰く「下界がこれだけ暑いと下からガスがどんどん沸いてくるよ」と。(昼前には雨模様になってしまった)朝のスタートから昨日下ってきた長い長い階段を平標山まで登り返すことになる。地図上では途中から鞍部にショートカットする道もあるが、植生保護のため通行禁止。平標山から仙ノ倉山へは一度下るが、この時間まだ青空が広がり快調に進む。仙ノ倉山頂からははるか先に目指す万太郎山、そして尖峰・トマの耳まで望める。山上で昨夜この下の避難小屋で泊ったという夫婦と出会う。「寝心地はいかがでしたか?」「・・・・・・」いよいよ11時集合の万太郎山に向けての長い平場コースが始まる。まずはエビス大黒ノ頭に向けて急降下。途中ドラム缶らしきものが見えるが、近づけばどうも避難小屋らしい。人間二人が身動きできないくらいのまさしく"避難缶"なるシロモノ。
 いよいよ北の谷からガスが沸いてきて視界はなし。毛渡乗越着8時50分。集合時間まで2時間もあり、ここらで1回目の時間調整。次に慶応大学避難小屋(昭和37年のワンゲル部員の遭難死を期に建てられた立派な小屋)で2回目の時間調整。本日最後の登りで万太郎山頂に至るが、人影はなし。風が強くなり、山頂直下で風を除け他隊を待つ。しばし休憩後、大久保氏「MOTO~」→呼号あり←「MOTO~」、勝部・谷川隊と定刻10分前に無事合流する。(参考までに勝部隊は山頂200m下の吾策新道分岐で待機中であった)以下、赤谷隊と毛渡沢隊とは合流できず、勝部隊と雨の中を4時間かけて土樽まで下る。当然、我々"楽々手抜き隊"は、タクシーで湯沢に戻り、お風呂に入り、新幹線で帰京する。

平標山ノ家(5:40) → 平標山(6:20) → 仙ノ倉山(7:05) → エビス大黒の頭(8:00) → 毛渡乗越(8:50) → 慶大避難小屋(9:35) → 万太郎山(10:35~11:20) → 土樽(15:40)


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