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弘法山・新年山行
服部 寛之
山行日2000年1月23日
メンバー (L)服部、金子(隆)+子供2、原口、田原、播磨夫妻、伊藤、広瀬夫妻、江村(し)、勝部、藤居、冨岡、井上(博)、箭内、福間、小堀、堀田、鈴木(嶽)、湯谷(良)+子供2、荻原一家、他4名 (合計大人26名、子供6名)

 今年の新年山行は、久々に秦野の弘法山で行なった(前回は91年1月27日)。当初の年間計画では集中形式で行なうはずであったが、夏から足の故障を引きずる私が委員長であることをいいことに山頂付近までくるまでアクセスできる場所を強引に選定してしまった。集中を楽しみにしていた会員もいたと思うが失望させてしまい、申し訳なかったと反省しています。ごめんなさい。
 当日は、雨天の天気予報がはずれて朝から青空がひろがる気持ちの良いハイキング日和となった。朝9時30分小田急線秦野駅改札前に集合。子連れの金子会長をはじめ友人を連れた白髭入道の田原さん、毎年山形からはるばる参加のモンちゃんこと鈴木(嶽)氏、箭内センセ、イトーちゃん、原口シェフ、藤居さん、小堀編集長などが続々集合。ここは以前『大秦野』といって駅前はひろびろとしたロータリーになっていたが、今や堂々たる駅ビルの橋上駅に建て替えられており、どこかのんびりとした空が広がっていたかつての面影はなくなっていて少々寂しい気がする。
 10時頃後続を待つみんなを残し、原口シェフ、藤居さん、モンちゃんと私の4人はタクシーで一足先に出発。「めんようの里」(面妖の里?スワ妖怪ランドか!と思ったら綿羊の里でした)の先までタクシーで上がるとそこはもう稜線で、桜並木の石畳坂を150mも上がれば弘法山の山頂広場に到着。足が悪いとはいいながらこんな楽していいんでしょうか、と思うほどあっけなかった。皆が来るまで時間があるので、テーブルを占拠して賑やかに飲み食いしているパーティーを横目で見ながら、うろうろと梵鐘やらお堂やらを見物したり、風景を眺めたり。お堂の脇にはたわわに実った蜜柑の木が一本。落ちた実がお堂に三つきちんと並べられていた。この山頂にはなんと井戸があり、緑色の手押しポンプが妙に懐かしい。子供の頃家に同じようなポンプのついた井戸があって夏にはよくスイカを浮かべたものだった。皆が来る前に準備をと、日当りの良い場所を選んで大鍋に湯を沸かしていると、ハイキングの家族連れやカップルや犬の散歩がやってきて、休日の弘法山は結構人気があるようだ。梵鐘を衝いてやった飼い主に興奮した犬がもっとやれとじゃれついていたが、鐘の音でコーフンするとは、犬の耳にはどう響いているのだろうか?
 やがて、11時半頃だったか、権現山を越えて皆がぞろぞろやってきた。駅から1時間の距離は皆には少々物足りないかなと思っていたのだが、明美さんや福間さんは僕の顔を見るなり「けっこうキツイね!」とハ行五段活用的感想(ハー、ヒー、フー、ヘー、ホッ)を申し述べたので面食らった。これってキツイ冗談???。それとも本音???。それともタクシーでズルしたことへのアテツケ???。いくつになっても乙女(ですよね)ゴコロはわかりましぇんねぇ。と思っている間にもさっそく銀マットが広げられ、宴会が始まった。メニューは例年通り参加者が持ちよった具でつくる原口シェフ特製の超多彩具だくさん鍋弘法山風銀筵仕立て。おしゃべりに興じるなか鍋は第二弾、三弾とつづき、酔いも次第に良い加減にまわってゆく。箭内センセと明美さんは、散歩?にやってきた麓の乗馬クラブの子供たちに頼んでポニーに乗せてもらい、すごく嬉しそう。そうこうしているうちに子供連れの荻原氏や湯谷(良)氏が普段見せないパパ面下げて現われたり、堀田さんや播磨夫妻がやってきたりで、宴は一段と賑やかになっていったのでした。やがていつの間にやら雲に覆われはじめた空から霧雨が舞いはじめたのを機に2時頃切り上げ、皆で記念写真を撮って解散とした。家族連れなどくるまで来た人たちは駐車場へ戻り、残りは尾根道を鶴巻温泉へと下って温泉好きは風呂で暖まってから帰京した。私は播磨さんのくるまで堀田さんと共に秦野駅まで送っていただいた。皆さん、お疲れさまでした。そして原口さん、今年もおいしい鍋をありがとうございました。鍋とおしゃべりでポカポカになった新春の宴会山行でした。

新年山行メンバー一同

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