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雪洞・ビーコン講習会@谷川
服部 寛之

山行日 2000年3月11日~12日
メンバー (L)服部、細川、小林(と)、野口、田口

 44回目の誕生日の朝は早起きして新幹線に乗った。貧乏性のオレに新幹線は合わない。高い乗り物はゆったり座っていても気持ちの底では尻が着いていないのだ。ましてや外も見えない薄暗いデッキの便所前で立ちっぱなしを強いられるともなると、腹立たしさを通り越して世の中を呪いたくなってくる。神様はなぜこんなにも人をお造りになったのかー。おい、コキジ踏んだその靴でオレのザック踏むなよな。いつものように高崎駅で寝る道を選ばなかったのは、誕生日くらい贅沢をさせてやろうという災難つづきの我が身をいとおしまんとする老婆心から出たことであった。だが、切るのは所詮身銭。投資額に見合わぬ待遇は不条理であるとの思いはつのるばかり。
 高崎駅からの各駅停車で心休まる揺れに身を任せて疲弊ぎみの老婆心を慰撫したのち、水上駅での乗り継ぎ車内で特急で来た田口さんと合流。ひきつづき慰撫に取り組みつつ土合駅で降りると、天に昇るかのような遥かなる階段の彼方に希望の光が・・・。
 足萎えリーダーを気遣って闇の底まで迎えにきてくれた野口氏に導かれ地上に這い上がると、そこは輝く一面の銀世界であった。昨夜から野口車で来て駅前で寒気順応中の細川氏と小林とみさんが笑顔で手を上げる。これでメンバー全員集合である。今回の訓練メニューは、今日はマチガ沢出合付近の樹林で雪洞を掘りそこで宿泊体験をし、明日は午前中いっぱいどこか広い場所で雪崩ビーコンの捜索練習を行なって帰京、というスケジュールだ。
 くるまを駅前に残し、例年より過激な雪景色をいぶかりつつ指導センターまでやってくると、およよよよ、センターの前からすでに大量の雪の山。いきなりのトレースはまだ踏み固められてもいない。センターの脇ではどこかのパーティーが雪洞掘りを始めていた。センター裏手へ回ったところでトレースははや膝までのつぼ足となり、そこにあるはずの林道は深さ5~6mはあろうかと思われる大量の雪に埋めつくされていた。谷川でこんな大量の積雪は見たことがない。息をととのえながらしばし唖然。まったく、ニンゲンといい雪といい、神様には「生産調整」というアタマはないのか。
 早くもマチガ沢へ行くのは絶望的となった。しかしこれだけ雪があれば雪洞掘りはここでも充分。股ラッセルで林道上に出てみると、まあまあの傾斜で谷側に落ちているところがある。
「ここにしよう」
 さっそく斜面上部を削ってテラス作りに取りかかる。2mほどの間隔をおいて二手に分かれ、垂直に掘りすすんでゆく。テラスを切ってのち2方向から掘りすすめ中で合体させる作戦である。1mも掘ると雪は締って堅さを増してきた。時間は充分あるので天井の厚さが充分に取れるよう深く掘る。今回は5人が入れる大型のものを掘るので、背丈ほどの高さが必要だ。天井は薄い方が軽くて良いと思われるかも知れないが、薄いと強度がなく崩れ易くなるのだ。テラスは狭いと作業効率が落ちるので広めに削り取る。選んだ斜面の傾斜が少々甘かったため、テラス構築はやや大型工事化してしまった。ま、しゃーねーか。
 続いてテラスに対して水平・直角にトンネルを掘る第二段階に入る。トンネルはやや余裕をもって四つん這いで通れるくらいの大きさにする。このとき奥に向かって緩やかに上り勾配をつけるようにするとあとで室内の冷気が逃げ易くなる。ここでも奥に掘りすすむに従い雪は堅くなり、部分的にコチンコチンのところも出てきた。ここで役に立つのがノコギリだ。今回スノーソーの調達が間に合わず野口氏が普通の折りたたみ式ノコギリを持ってきたが、これでも充分役に立った。雪面にスコップの幅で縦横に何本か切れ目を入れスコップでこづくとブロックで取れる。ブロックがおもしろいようにカッポカポ取れると幸せな気分だが、雪があまりに堅いと小片状に崩れてしまいせっかくの努力が顧みられずガックリくることがある。このとき気持ちを「くんにゃろう!」化させてまなじり吊り上げムキになってスコップをたたき込んでも腕が痛くなるだけだ。そういうときは逆らわず
「あらそうお、おたくガード固いのね、ならいいわ、お兄さんコチョコチョしちゃうから、お待ちになって」
 と柔軟路線もしくはオカマ風流し目路線に転じ、ノコギリでテキの背中にコチョコチョ細かく線をつけスコップの剣先でウフウフもしくはクリクリしてやるとテキはアッ、アッ、と身悶えしながら崩れてゆくのですね。
(注)ここで「アッ、アッ、と身悶えしながら」というのはあくまでも理解促進のための比喩であり筆者の願望とは無関係ですので念の為。(と言っても誰も信じてくれないだろうなあ。)
 トンネルがいいかげん深くなったら、今度は平行して掘っているもう一本のトンネルの方へと方向を転じ、工期はいよいよ第三段階の連結・拡張作業に入ることになる。トンネル掘削工事は細川・小林組が快調にとばし、野口・服部組に先んじて第三段階に突入した。それが野口・服部組の対抗意識に火をつけ、ムムム化した屈強な男たちは(オレたちのことね)黙ってポリタンから水をゴクリ飲み下すと腹の中で「ファイト一発!」と叫ぶのであった。(田口さんは両チームのお助けウーマンとして活躍していました。)今や必殺掘削人と化した野口氏も間もなく連結作業へと移り、もくもくと掘りすすむ。やがて双方とも雪壁の向こうに互いのスコップ音を聞くようになり、そしてついに「やったあ!」の声とともに細川・野口両氏が連結部の穴越しに力強く握手を交わしたのであった。青函トンネル開通に勝るとも劣らない(劣るか)感動がわき起こる。谷川の森もこころなし喜んでいるようだ。こういうときヒトはどういう行動に出るかというと、一方の入口から入ってもう一方の入口から出てみたくなるのですね。やってみるとすごく嬉しいのだ。これは5人全員同じ気持ちであった。
 工事は佳境に入った。連結部を拡張して室内空間を創出する。壁を広げ、天井をドーム型に高くし、床を平らにして、狭い方のトンネル(野口・服部側)入口を雪ブロックでふさぐ。仕上げにドーム天井をできるだけなめらかに削る。(天井がデコボコだと水滴が落ちてくる。)入口はツエルトの垂れ幕でふたをした。苦闘4時間、5人がゆったり寝られる立派な白亜御殿の完成である。さっそく銀のフローリングを施し、落成祝いの宴となった。自分たちで言うのもナンだが、どこに出しても恥かしくない堂々とした雪洞である。入口のツエルトを縄のれんに替えれば営業さえ不可能ではない。うまい具合に美形の女将と若女将もいるし、ホストだって揃っているのだ。もはや何人も断りの言葉を持ち得ぬであろう。
白亜御殿  たまたまであろうが、この地点の雪はゴミの混じらぬきれいな状態でしっかりと締っており、しかも気温も暖かすぎず寒すぎず、中で火をたいても雪はベトつかず水滴も落ちてこずといった非常に良好な状態で、さらに翌朝天井も下がっていなかった(たいてい翌朝には天井が下がってくる)。シュラフも濡れず、余りに快適なのでうっかり寝過ごしてしまうくらいであった。こんな快適な雪洞生活はめったに体験できるものではない。
 翌朝、小雪のパラつくなか、後ろ髪を引かれる思いで我らが努力の結晶を後にする。念の為「中でキジ撃つ奴は呪われよ」とおまじないをかけておく。
雪洞  今日の雪崩ビーコン訓練は当初白毛門へ入るところの駐車場広場でやろうと思ったが、途中の道のカーブのところから下を見ると、既にその場所にはゾンデを突き刺しているパーティーがいる。「考えることは誰も一緒か」と周りを見渡すと、遭難者慰霊碑のところがちょっとした雪原になっている。台座の上でザイルを抱え祈るブロンズ像の足元まで雪で埋まり、数本の立木以外なにもかも雪の下だ。
「ここでやろう」
 さっそくビーコンを出して練習開始。テキスト(『最新雪崩学入門』山と溪谷社)を参考に、各自の発信・受信を確かめるグループチェックをしたのち、まずは1台だけ埋めて捜し出す。それを何度か繰り返し、次に2台を少し離して埋めてやってみる。2台だと二つの電波を同時に捉えるのでピーピー音が重なってわけが分からなくなってくる。だがピーピー音は微妙に違うので判別は可能だ。機械を手に雪原をうろうろしていると、たまに前を通るバスやくるまが何事かとジロジロ見て行く。一方、ザックを背負った山屋は「おっ、やってますな」といったかんじで通り過ぎてゆく。山屋の世界ではビーコンは一般的な装備として認知が進んでいるのであろう。
雪洞  今回練習をした感触としては、複数のビーコンの同時捜索(実際の現場ではこれが大方のケースではなかろうか)も皆いいところまで範囲を絞り込めるようにはなったが、まだビーコンの電波特性を理解する段階のようであり、確実に5分以内にピンポイントで捜し出せるようになるにはあと数回の練習が必要ではないかと思われた。
 11時過ぎに練習を切り上げ土合駅前のくるまに戻ってみると、ナンと驚いたことに金子会長が家族を連れくるまで来ていた。今回の訓練の指導役は足萎え委員長ひとりだけだったので、心配してドライブを口実に様子を見にきてくれたのであろう。ありがたいことです。帰路は渋滞を嫌って風呂にも入らず全員野口車で帰京した。みなさん、お疲れさまでした。また不料簡な拙足を気遣っていただき、ありがとうございました。


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