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甲武信ヶ岳集中
その五 千曲源流リハビリ隊+十文字峠
服部 寛之

山行日 2000年6月3日~4日
メンバー (L)服部、井上(博)、四方田、山沢

 昨夏以来10ヶ月ぶりの山だった。一時全く歩けなくなったときはどうなるかと思ったが、足の故障は少しずつ回復しているようだ。3月、谷川に雪洞掘りに行った際はまだ踏ん張りがきかず、何でもない下りでもコケまくっていたが、次第にそれもごまかせるようになった。街中を一日出歩いてもなんとか持ち堪えられるようになったので、山ではどの程度のものなのか、一度試してみたかったのだ。5月の三ツ峠の岩トレでそれをやろうと思ったが、雨で流れてしまった。だから今回、沢沿いに緩やかに上るコースのある甲武信ヶ岳集中は、絶好の機会だったのである。千曲川の源流を眺めながらゆくこの道は以前歩いたことがあり、乗越すような岩場もないことから、たとえ一人でもなんとかなるだろうと踏んだのだ。募集の結果、"チンタラ"を承知のうえで、久々登場の四方田氏と、井上のお父さんが付き合ってくれることになった。これで万一となっても安心だと思ったら、四方田氏も山は10ヶ月ぶりで、ザック背負って上まで行けるかどうか甚だ自信はないと言う。井上のお父さんも、(実はこれは往路の車中で告白されたのだが)、いや最近まで足が痛くてかなわなかったのだと言う。だから二人ともチンタラで丁度良いのだとのたまう。
 という訳で、期せずしてリハビリ隊結成となったのである。それにもうひとり、山沢さんが加わった。花好きの彼女は十文字峠の石楠花がどうしても見たくて、天気が許せばひとり十文字峠経由で尾根道を行き、甲武信小屋で合流するという計画である。
 3日、朝7時にJR八王子駅南口で待ち合わせ、服部車で出発。天気はくもり。今日はコースタイム3時間半のタラタラ道を上まで行って幕を張るだけなので気が楽だ。チンタラが長引いても、すでに日は長い。
 中央道を須玉ICで降りる。ここを走るのは久方ぶりだが、清里へ上がってゆく道も、野辺山から廻り目平へ向かう道もすっかりきれいになっていて、驚いてしまった。のんびり歩いた記憶のあるモウキ平手前の農道では、高原野菜の畑作業だろうか、土起しのトラクターが忙しそうに動いていた。
 モウキ平に着くと、またしても驚いた。40台置けるという広い駐車場がくるまでいっぱいなのだ。くるまはあってもせいぜい数台だろう、と思っていたのに・・・。ナンとか片隅にくるまを押し込み、仕度をして出発すると、またまた驚きの事態に目を丸くした。その先の林道もスペースというスペースにくるまが詰まっているのだ。う~ん、この山はリピーターが多いのだろうか。どこまでくるまを入れられるか知っている人は知っているというかんじなのだ。
 5分ほど歩くと千曲川源流遊歩道と十文字峠への道との分岐で、ここで山沢さんとはしばしの別れ。そこからはやや傾斜もまし、三人でチンタラ歩いていると、後ろで石がはじける音がする。「ん??」と振り返ると、満員のハイエースワゴンと、大型のパジェロと、さらにもう1台紺色の乗用車が道幅いっぱいにでかい顔してヌッと迫っている。脇に寄ってアッケにとられていると、ワゴンからおっさんとおばさんが降りてきて馴れた手つきで誘導し目の前の平坦スペースに3台とも収めてしまった・・・。
 驚きの連続する林道なのである。
 その先で林道は終わり山道となった。いくらなんでもくるまはもう来まい。ひと安心である。道は沢に付いたり離れたりしながらゆるゆると上って行く。森もきれいで愉しい道である。
 12時、山沢さんとの交信時間だ。しかしここはまだ尾根に囲まれた谷筋、呼べど声は聞こえず。その直後だ。それまでいくらか明るかった空がにわかに暗転したと思うと急速に雨のニオイが立ち込め、雷がゴロゴロ鳴って大粒の雨が落ちてきた。あわてて傘とカッパを出しザックカバーを被せる。雷は結構近い。ここは谷間の樹林だからまだいいが、尾根にいるであろう山沢さんが心配だ。時間的にまだ十文字小屋の近くだろうから小屋に逃げ込めばいいが・・・。
 雨は1時間ほどで止んだ。雨が上がってもしっぽり濡れた樹林の中はかなり涼しく、休んでいると寒ささえ感じる。これじゃ沢の連中はキビシイのではないか。きっと「誰だ、こんな時期に沢の集中なんか計画した奴は!」などとブーたれている奴がいるに違いない。ヘッヘッヘ、計画したのはオレです。
 やがて千曲川源流の水源標(標高2200m付近)に着くと、6月だというのに沢脇の林床にはまだ小さな雪の斑点が残っていた。しょえ~、これじゃ寒いわけだよ。
 以前ここに来たときは、大きな木の根元から壊れた水道管みたいに水が柱となってほとばしり出ており、「これが水源というものか!」と感心したのであった。だが今回なぜかそれがない。沢にも水がない。まだこの辺りの地中は凍っているのだろうか? それとも水脈が変わったのか? 今回はしみじみ水源観賞に取り組もうと心の準備をしてきたのに、とても残念だ。
 そこからは急坂となって一気に稜線に突き上げた。稜線に出たところに先行パーティーが休んでいた。といっても樹林の中で展望はない。その先で一本取ろうと腰を下ろすと、目の前に石楠花の木が一株。花はついていない。山沢さんは石楠花を見られたのかなとみんなで話す。
 やがて道がぐんと傾斜を増すと、上の方から人の話し声が聞こえ、樹林が切れて岩場にかかった。
「おっ、山頂だ」あと一歩でへばって立ちつくしているおっさんを抜き、頂上に立つ。
「やったぜい! へなちょこ足でもなんとか辿り着いた」時計を見ると14時55分。歩き始めて5時間経っていた。
 山頂にはでかいケルンが築かれ、その上に『日本百名山甲武信岳』と書かれた標柱がそびえていた。その前で交替で写真を撮る。このときは風があって寒く、展望があったかどうか憶えていない。撮った写真を見ると重そうな雲が垂れこめている。
 10分ほどで山頂を辞し、甲武信小屋へ下りると、驚いたことに幕場はテントですでにいっぱい。十数張並んでいる。それでもなんとか最下段に幕を広げた。幕場代を払いに行くと、小屋の中もお客がいっぱいでごった返していた。下に停めてあったくるまの人間が全員ここに集まったかのようであった。
 幕を張り終え、中に荷物を入れていると、「モートー」の甲高い声とともに山沢さんが現われた。
「ずいぶん早かったじゃん。うちらさっき着いて今幕張ったところ」
「いや~、疲れた! アップダウンが結構きつくてねぇ」
「石楠花きれいだった?」
「それがあんまりなかったのよ~。十文字小屋の周りだけで。あとはぜんぜんないの~」
「そりゃあ残念だったね」
「でも、着いたら幕張ってあるのって、いいわぁ~。うれしー!」
 そりゃそうかもね。ぼくらも山沢さんと一緒に晩飯が到着してくれて、すごくうれし~。
 それからすぐ例のごとく「とりあえず一杯」が始まり、当然一杯では終わらず出るものが全部出たわけだが、山沢さんの話では尾根上は雨は降らなかったそうだ。翌日沢パーティーも雨に降られたと言っていたので、どうやら雨は谷だけに降ったらしい。そんなこともあるのだ。雷は?と聞くと、丁度鎖場を通過していたところで、鎖には触らず身を低くして走ってきたという。よくぞおへそ守り通した。取られなくて良かった良かった! それにしても十文字峠から稜線を来たのは山沢さんひとりだけだったそうだ。お疲れさまでした! 晩飯は彼女特製の激辛鍋であった。ぼくにはちょっと辛過ぎたので、コメントは差し控えさせていただきます。
 その夜はかなり冷えた。シュラフに入っても寒く、沢のパーティーが思い遣られた。真夜中ひとしきり雨が降ったが、3時頃キジに起きたら星が輝いていた。翌朝小屋のご主人の話ではマイナス1度まで下がったそうだ。朝方「薄氷が張ってる!」と誰かが叫んでいた。

 翌4日は朝から元気な太陽が出て晴天になった。8時から交信なので、7時半にテントを閉め皆で木賊山に向かう。大方のパーティーはすでに出発していて、残っているテントは2~3張。小屋から5~6分行くと大きく開けたガレ斜面となり、素晴らしい展望だ。目の前に甲武信ヶ岳。きれいな三角形をしている。その左奥に八ヶ岳。上部にはまだかなり雪が残っている。頂きにポツンと突起が見えるのが金峰山。その左、国師岳との間の大弛峠の上には北岳がまだ真っ白な頭を覗かせている。雨で大気が洗われ、はっきりくっきりの総天然色パノラマだ。
 山頂に上がって交信を取る。真ノ沢の金子パーティーは細川さんの声で、あと3時間くらいで小屋に着くだろうと言う。釜ノ沢は章子さんが出て、あと1時間少しで抜けるとの見通し。よしよし順調だ。予想より早いくらいだ。しかし鶏冠谷パーティーはいくら呼びかけても応答がない。どして???
 交信を終えると山沢さんは、所用のためどうしても早く帰宅しなくてはならないとかで、ひとり戸渡尾根を下山して行った。この山頂は樹林の中で日が当たらず寒いので、ひとまず甲武信小屋に戻る。戻ったところで所在無いなあと思ったら、小屋前のテーブルが絶好の日向ぼっこポイントと判明、ここに陣取り皆を待つことにする。しかしオレは鶏冠谷のパーティーが気になり、9時に再び木賊山に登って呼びかけてみた。しかし依然応答がない。う~ん、どうしたんだ???
 再び戻って粗方乾いたテントを撤収していると、9時40分、釜ノ沢の章子パーティーが到着した。藤井さんがにやにや手を振っている。メンバーのひとり吉岡氏と顔を合わせるのは何年か振りで、ひどく懐かしい。オールドメンバー(といってもぼくより若いけど)が復帰してくれるのはすごく嬉しいものだ。沢からポカポカ地帯に抜け出ると、皆昔トカゲだった頃の記憶が甦るのか、さっそく濡れた装備をあちこち広げて乾燥大会が始まった。終いにはフライも出てくる始末。
 占拠したテーブルにツマミを広げてうだうだやっていると、10時45分、こんどは幕場の下から金子パーティーが上がってきた。やあやあどもどもと、さっそくテーブルを囲む人数が増えてうだうだが盛り上る。これで残るは鶏冠谷の二人だけとなった。11時の交信にオレは再度木賊山に登り返して呼びかけてみたが、三度目の正直も叶わず。どうしちゃったというんだいったい??? 単に電波が届かないというだけなら良いのだが・・・。
 小屋に戻ってみると、テーブル上にはすでに缶ビールが数本転がり、うだうだはさらに大きく盛り上っていた。この時点で金子パーティーの一部にも物干し行動が観察された。小屋のご主人山中徳治氏はヒゲ面の気さくな人で、次第に我物顔に盛り上ってくる小屋前の一団に興味をもったのか、そのうち話に加わって皆を笑わせてくれた。以前大きなワンちゃんがいましたよね・・・?と陽子ちゃんが聞くと、「去年死んじまった」とぶっきらぼうに言う。だが哀しそうな眼はごまかせない。いい人なのだ。
 意外だったのは昨夜の寒さだ。寒くてよく眠れなかったと話すと、沢ではべつに寒くはなかった、ここは標高が高いから寒かったんじゃないのと言う。しかし久々復帰の吉岡氏は寒がっていたらしいので、オレが寒かったのも山の気候を身体が忘れてしまっていたためかな、とも思った。その後章子さんや陽子ちゃんらが「せっかくだから甲武信の頂上まで行く。だって甲武信山頂に集中でしょ」と宣言して出かけ、さらに数人が後を追った。そういえばそうだ。集中は甲武信山頂のはずだった・・・。マ、いっか!。
 12時、交信の時間だがオレにはもう木賊山に上がる元気はない。情けない話だが、もう一度上がったら甲武信山頂に登り返して向こう側に下山する気力がなくなりそうだ。そこで、細川さんが強力なシーバーを持っていたので鶏冠谷パーティーを呼んでもらう。しかしやはりダメ。尾根(鶏冠尾根)向こうの谷にいたのではやはり電波は届かないか・・・。シーバーがダメならケータイはどうだ?と何人か挑戦するが、やはりうまく通じない。そこで藤井さんに頼んで木賊山中腹のガレ場まで上がってケータイをかけてもらった。結果は、小堀氏宅からは山に行っているという返事で、小堀氏のケータイ自体は応答がないとのこと。そうか・・・、こうなったらもう二人を信じて待つしかないと腹をくくる。
 そろそろ13時というところで、全員で小屋をバックに記念撮影。ご主人にシャッターを押していただく。
 そして約束の13時。しかし鶏冠谷パーティーは現われず。仕方ない、時間切れだ。鶏冠谷右俣は戸渡尾根に出てくることになるので、もしかしたら西沢入口へと下る途中で二人に会うかも、という可能性に期待して解散にする。
「来たら言ってやるよ、1時まで酒飲んだくれて待ってたってよっ」
ご主人の気遣いに感謝しながら、沢の人は戸渡尾根へ、尾根の3人は甲武信ヶ岳へと足を向けたのであった。
 下山は、昨日5時間かけて登ってきた同じ道を、今日は3時間半で下れた。くるまに辿り着いたときはよれよれだったが、足もつらずどうにか歩き通せたことが嬉しかった。お陰さまで「がんばれば何とかなる」とちょっとは自信がついた。私のヒョコヒョコチンタラ歩きにお付き合いくださった井上のお父さんと四方田氏には感謝申し上げます。また足をご心配くださったみなさん、ありがとうございました。

 帰路中央道の渋滞に巻き込まれ、家に帰り着いたら10時半だった。すぐ金子会長に電話すると、「ご苦労さん。20分くらい戸渡尾根を下ったところで下から登ってくる二人と会って一緒に下山したから」ホッと胸を撫で下ろした瞬間だった。

〈コースタイム〉
3日 モウキ平発(10:00) → 十文字峠・遊歩道分岐(10:05~10:15) → 休(12:00~12:20) → 休(13:22~13:35) → 稜線(14:20~14:35) → 甲武信ヶ岳(14:55~15:05) → 甲武信小屋(15:30)
4日 甲武信小屋(13:00) → 甲武信ヶ岳(13:15~13:20) → 休(14:35~14:45) → 休(15:35~15:40) → モウキ平(16:25)

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