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救助講習会・渋谷消防署
小堀 憲夫
実施日 2000年7月29日
メンバー 金子親子、服部、藤井、田原、小林(勝)、藤居、箭内、牧野、菅原、野口、四方田、紺野、小堀

 猛暑の真っ只中だった。強い陽射しで脂汗が滲み出るような土曜日の早朝、集合場所の渋谷駅ハチ公銅像前。少し早すぎた到着。
「変わっちまったなぁ・・・」景色と一緒に人種も臭いも変わり果てた渋谷の街を呆然と眺め続けていた。最近は夜の渋谷しか来たことがなく、いつも目的の店と駅の間を息を詰め、目を塞ぎ、雑踏をかき分け通り抜けるだけなので、街の様子をゆっくり眺める余裕もないし、無論その気にもならない。あらためて眺めた早朝の渋谷の街は、まるで朝帰りの化粧を落とした水商売の女達のように、かさかさに疲れていた。見てはいけないものを見てしまった気分・・・。やがて藤井さんが到着し、彼のやさしい笑顔を見ても、さっきからの嫌悪感は消えなかった。
「ここは子供のころから学生時代までずうっとオレの遊び場だったんだぞ。それをこんなにしやがって・・・」そうこうするうちに、こちらの感傷とは関係なく、今回の救助講習会参加者が集合した。いつもは山か夜の町でしか見かけない連中を、早朝の街中で、しかも渋谷の街で見るのは不思議な気分だった。
 会場の渋谷消防署まではゆっくり歩いて10分くらい。うだるような暑さの中、田原さんを先頭に渋谷の街らしからぬ集団がヨロヨロと歩いていった。署ではまさに出動訓練の真最中だった。厚底サンダルの茶髪ムスメ達が徘徊する街の片隅で汗水流して必死の訓練。この渋谷消防署もこれまた気の毒なほどに渋谷の街らしからぬ存在になってしまった。堅実で地味で実社会生活を縁の下で支えるリアルな世界であるだけに、渋谷の街にあってはここだけが別世界の観がある。二階の事務所に顔を出して到着した旨を係りの方に伝える。講習会の部屋は裏に回った一階の広い部屋だった。クーラーが寒すぎるくらいに効いていた。真中に青いビニールのシートが広げてあり、その周りを折りたたみ椅子が囲んでいる。椅子に腰掛けて暫し汗の引くのを待った。
 講師の方は、痩せ型中背で、50過ぎのベテランという感じの眼力のするどい人だった。マッチョな20代の助手の署員を二人引き連れ現れた。ぼそぼそと話すその口調は、良く聞いていないと聞き取れない場合もあるくらいだが、話し方はそうとう慣れているようで、しっかり笑いも取る名調子だ。簡単な導入説明が終わり、静かに講義が始まった。先ほどまでの感傷とはひと時お別れ。
 まずシートに助手を寝かせる。路で突然倒れた人に遭遇した状況設定だ。
「さあ、こういう場合皆さんだったらまず何をしますか?」
いきなりの質問に皆戸惑っていると、金子会長が指名された。倒れた人の横にひざまづいては見るが、どうして良いか分からない様子。私も含め、全員がどう答えて良いのか分からない。最初から、えらく実践的な講義が始まった。以下は(財団法人)東京救急協会の講習会用テキストも参考にした講義の概要である。

1. 観察の順序と応急手当
 (1) 事故現場の観察
   倒れている場所が安全かどうか。事故現場が危険な場合には、すぐに安全な場所に移動する(安全の確保)。
   ただしこの際、頚骨の骨折などが予想される時は、首を固定しつつ移動する等の注意を要する場合がある。
 (2) 大出血の観察
  大出血があったら、すぐ止める(止血)。
 (3) 意識の確認
   倒れている人がいたら、まず意識があるか、ないかを観察する。意識が無ければ、近くの人に協力を求め、救急車を呼ぶ(救急車の要請)。
 (4) 口腔内確認
   口の中に何か詰まっていたら取り出す。血液や唾液も拭き取る(異物除去・口腔内清拭)。
 (5) 気道の確保
   口の中を確認したら、空気の通り道の気道を確保する(気道の確保)
 (6) 呼吸の観察
   呼吸が止まっていたら、すぐ人工呼吸を行う(人口呼吸)。
 (7) 脈拍の観察
   脈も触れなかったら人工呼吸に併せて心臓マッサージを行う(心肺蘇生・人工呼吸+心臓マッサージ)。
この観察と応急手当の順序は、皆大事なものだからどれから先にやっても同じということではけっしてなく、この通りしかも素早くやらなくては目の前に倒れている人は死んでしまうかもしれないのだ。だから身体が覚えるまで何度も何度も繰り返し練習しなくては意味がない。実際そのような状況に合ってみた人は分かると思うが、なかなか冷静に対応できないものだ。
 先の観察と応急手当の中で、その方法に要領が必要なものにつき次に続ける。
2. 意識の調べ方
  意識の観察要領は、肩を軽くたたきながら名前を呼んだり、「大丈夫ですか」、「もし、もし」と呼ぶ。呼び掛けは、初めは普通の声で、次に徐々に大きな声で2~3回、名前が分かれば名前を呼ぶ。呼び掛けで目を開ければ「意識あり」、何も反応がなければ「意識なし」と判断する。体を揺すったり動かして観察をするのは良くない。意識があれば傷病者の訴えを聞き、必要な応急手当を行う。
3. 気道確保
 (1) 異物除去
   意識の観察の結果、意識がないと判断した時は、指を交差させ親指を上の歯に、人差し指を下の歯に当て開口する。次に傷病者の顔を横に向け、指にハンカチ等を巻き付け、異物をかき出す。血液や唾液などの場合は、口の中を良く拭き取る。その際異物を口の奥に押し込まないように十分注意する。その他、喉の奥のほうにある異物を取り除く方法として、背部叩打法、上腹部圧迫法(ハイムリック法)等がある。
 (2) 気道確保要領
  (a)頭部後屈あご先挙上法
    最も基本的な方法。人差し指と中指のニ指をあごの先に当て、もう片方の手を額に当てる。あご先を持ち上げるようにしながら、額を静かに後方に押し下げるようにして頭を後ろに反らせる。
  (b)下顎挙上法
    二人以上で応急手当てを行う場合の方法。頭の後ろから両手で下あごを引き上げる。
  (c)昏睡体位(側臥位)
    気道確保を行って呼吸があるときは、傷病者を体を横に向けた姿勢とし、さらに気道確保を維持できる昏睡体位をとらせる。横向きに寝かせた傷病者の上側の肘を軽く曲げ、手の甲にあごを軽く突き出すようにして乗せる。上側の膝を曲げさせ、つま先を下側のふくらはぎに絡ませるようにして体位を安定させる。
4. 人工呼吸法
  マウス・ツー・マウスが最も一般的な方法。頭部後屈あご先挙上法で気道を確保した後、額を押さえていた手の親指と人差し指で鼻をつまみ、鼻の穴を塞ぐ。次に大きく口をあけて空気を吸いこんだまま、傷病者の口をおおって吹き込む。吹き込み終わったら口を離し、顔を傷病者の胸とお腹の方に向け、その動きを見ながら、また耳で呼吸音を聴きながら、吐き出される息を頬で感じ取り、気道の確保を確認する(呼吸の観察は約5秒間)。この際、最初だけ2回吹き込み、後は通常大人の場合、5秒に1回の割合で1回の吹き込みに1.5~2秒かけて吹き込む。また、感染防止の為、ハンカチやできれば人工呼吸用のマウスピースなどを使用するほうが望ましい。
5. 心臓マッサージ
 心臓が動いているかどうかは、人差指と中指の2指をのどぼとけの上に当て、頚動脈で観察する。観察時間は約5秒間。脈拍が触れない時は、直ちに心臓マッサージを行う。心臓を圧迫する部位は、鳩尾の少し上辺り、胸骨の中央下部の切痕と言われる部位から指1本分頭側の位置。傷病者の胸に直角に生体し、膝は適度に開いて、つま先を立てて座る。圧迫部位に両手の平の付け根を重ね、両肘を曲げずに垂直に圧迫する。その際、成人では胸骨を3.5~5cm押し下げる程度の力で1分間に80~100回の早さでリズミカルに圧迫する。
6. 止血法
 通常、成人では1リットルの出血を急激に起こすと、出血性ショックとなり、1.5リットルの出血では生命の危険が大きくなる。止血法には、直接圧迫止血法、間接圧迫止血法、止血帯法がある。

と、以上が講義の概要であるが、読んでいただいてお分かりのように、読んだだけですぐできるようなものではとてもない。繰り返すが、身体が覚えるまで何度も何度も繰り返し練習しなくては意味がない。
 こうして、実践的な講義が終わった。この知識、技術を使う機会は無いにこしたことは無いが、いざという時に混乱し、後悔することが無いよう、会としての定期訓練に取り入れて行く必要を切に感じた次第である。
 現地で解散の後、消防署を後に暑い渋谷の街へ紛れ込んで行った。朝方の感傷に再び襲われる。駅までの道、何度もすれ違う、種としての親近感をまったく感じられない若者の群れに、つい思ってしまった。
「コイツラが倒れていたら、オレは本当に今日習ったことを実践するだろうか・・・?」
「でも、渋谷消防署の隊員達はそうするんだろうなぁ」いくら仕事とは言え、本当に頭の下がる思いである。


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