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戸隠山と虫倉山
安田 章

山行日 2000年9月9日~10日
メンバー (L)佐藤(明)、安斎、小幡、安田

 戸隠神社奥社は戸隠山の麓、森の中にあり、奥社に続く長い参道の両脇には大きな杉の木が立ちならぶ。参詣の人たちに混じって我々も10時前に歩きはじめた。とても静かでよい心持ちであると言いたいところなのだが、昨夜の酒が残って、少し足もとが覚束ない。前夜、明氏の車で東京を発ち、上信越自動車道の甘楽(かんら)パーキングエリアで幕を張った。そこでちょっと飲みすぎたようだ。
 奥社の裏手からいきなりという感じで急な登りがはじまる。戸隠山は岩山で、ゴツゴツとした山容で知られているが、岩場となるのはその上部である。最初は急な山道が続き、ひどく汗をかく。体が徐々に目覚めてくる感じだ。天気は曇り。稜線を越えてふく風の音が聞こえているが、山陰にいる我々にはとどかない。
 はっきりとはわからないが、おそらく鹿であろうと思われる鳴き声が山間にかすかに響く。岩場にさしかかる頃、今度は上のほうから女性の叫び声がする。先行するパーティーの女性であった。理由は簡単。岩場が怖かったのだ。鎖はあるものの高度感があり、確かに怖い。私もかなり緊張した。安斎さんは鎖を使わずがんばっている。叫び声の主が無事に登りきれることを祈りながら追い越した。
 直登あり、トラバースありのルートを行くと、やがて核心部である「蟻ノ戸渡り」といわれるところに出る。蟻が歩くほどの幅しかない恐ろしい場所だ。実際には犬や猫くらいなら安心して歩けるが、二本足の我々にはちょっと無理で、四つ足状態になる。両側とも鋭く切れ落ちており一歩間違えれば100、いや200メートルの垂直降下の旅となる。突風でもきたらいやだなと思いながら、ひとつひとつホールドを探し慎重に手足を動かす。先頭を行き、無事に通過してにこにこ顔でこちらを見ている明氏から、こういう場合どちらかの斜面に身を投げ出してトラバースの要領でいくと簡単であるとアドバイスを受けた。素直にそのようにした。簡単であった。皆無事でよかった。叫び声の女性はどうなったであろうか。
 「蟻ノ戸渡り」をすぎると程なく稜線に出た。「八方睨」の名があるところだ。吹く風が気持ちいい。小幡さんが年代物のカメラを出して、何年も前から入っているフィルムを早く使い切るのだと一所懸命なのがおかしかった。残念ながら雲が低くて黒姫山や飯綱山は裾の方が望めるだけであった。
 野尻湖の湖面が少しだけ見えていた。ナチュラリストであり、作家でもあるCWニコル氏が野尻湖のそばを流れる鳥居川のほとりに住んでいる。私が愛読してきた氏の著作の多くが、今自分の視界の中にある森で生まれたのだと思うと、この風景が身近に感じられ、親しみを覚えた。氏が育てているという森もここにあるはずだ。  「八方睨」からは急な登りくだりの続く稜線の道である。山の東面は断崖の連続と言ってもいいくらいで、その眺めは陰鬱な感じで私にとってあまり気持ちのいいものではなかった。西面は傾斜がゆるく豊かな森がひろがり、やはり山頂を雲に隠した高妻山の麓に続いていた。
 途中雨がおちてきたが、カッパを出すかどうか迷っているうちにあがってしまった。1時間半ほどで九頭龍山を越え一不動の避難小屋に着いた。小屋はブロック積みで大きいものではないがしっかりした感じだ。中では一人の中年男性が我々に目を向けることもなくじっと週刊誌を読んでいた。小屋の裏手で用を足し一息ついた。
 小屋からは高妻山への道がのびているわけだが、我々はここから東側の沢筋を下った。大洞沢という名である。途中に不動の滝と呼ばれる落差10メートルくらいの滝があり、その脇を降りていく。岩が濡れていて滑りやすい。大丈夫かなと思いながらやはり転んでしまった。転んだ拍子に右手を傷めた。その痛みが原稿を書いている今も少し残っている。
 傾斜が緩くなってくるともうそこは戸隠牧場である。草原のひろがる中に大きな木がたくさんあって、いかにも避暑地らしい気分のよさがある。牧場のしたはキャンプ場になっている。夏も過ぎようとしている今は客も少なく、静かで落ち着いた雰囲気がいい感じだ。ここにきてようやく黒姫山の頂上を見ることができた。ゆるやかな円錐形で優しい印象のいい山だ。戸隠山の峻険さと対照的である。今度はのんびりと黒姫に登ってみようと素直に思った。
 キャンプ場にある食堂でさっそくビールということになった。車をおいてある戸隠神社まではまだ2、30分歩かなくてはならないが、気にすることもなく、戸外のテーブルで一人ジョッキ2杯ずつをあけた。高原の風に吹かれてまさに天国である。
 さて今宵のキャンプである。焚き火である。場所を探さなくてはならない。
 戸隠から鬼無里(きなさ)村に向かう。途中の道路脇で野菜を売っているオバチャンがいて、トマト、トウモロコシなどを買う。オバチャンは、畑で今日自分がとってきたばかりなのだから新鮮なことこの上ないと、訛りのある言葉でさかんに売りこんでいた。鬼無里の集落では今晩の食料とビールなどを仕入れた。車にもガソリンを補給。明氏がスタンドで応対に出た女性に対して、「ねえちゃんがきれいだから満タンにするよ」というようなことをさらりと言う。リーダーはこうでなくてはいけない。そう言われてにっこり笑った彼女は実際に可愛かった、と思う。
 ひとやま越えて中条村に入る。明日登る予定の虫倉山の近くでキャンプしようということで、あたりがだんだん暗くなっていく中、場所を探す。カーナビの力も借りてようやくという感じでいい場所が見つかった。虫倉山の麓に、おそらく村おこしの一環で作られたのであろうと思われる、天体観測のできる小屋をしつらえた小さな公園があり、ここに幕を張った。
 明氏が用意した牛ヒレ肉450グラムの塊二つをやすにさし、焚き火の火であぶる。少し焦げ、煙で燻された表面を薄切りにして食べる。味つけは塩と胡椒のみであるが、ビールとよくあいうまかった。ワイン、日本酒と飲みすすむうちに安斎さんが歌い始めた。しんみりと歌う安斎さんの声は絶品で、私は未だかつてあのような声を聴いたことがない。もののけ姫のカウンターテナーばりである。小幡さんはたいへん大きな声で、「俺はここにいるぞ。なにか文句あるか」とでも言うかのように歌い上げる。残念ながら二人が何の歌を歌ったのか、私の記憶にはない。南の空には雲を通してぼんやりと光る月が見えていた。
 翌日の虫倉山は登って下って2時間半。駆け足である。山頂からの眺めは、周囲の山々に雲がかかっていたため、北の方に戸隠山、南に八ヶ岳方面が見えただけだった。晴れていれば北アルプスの連なりがすべて望めたはずであった。虫倉山は1400メートルに満たない山であるが、ずいぶんと高いところにいるという印象を与える。雲の合間に見える空がぐっと近づいた感じがした。頂上には倍率40倍の立派な双眼鏡が備え付けてあって、覗きこんだ小幡さんは麓の看板の文字が読める、読めると言ってよろこんでいた。使用料はただであった。
 同じ中条村の梅木というところに鉱泉宿があり、そこで風呂に入った。一人200円であった。明氏がここの名物のおやきを食べたいと宿の人に言うと、まだ営業時間ではないとのひとことで片付けられてしまった。宿の入口には営業中の札が掛けてあったので、裏返しにして準備中としてやった。親切は風呂とともに気持ちがいい。
 帰りは善光寺参りで観光客に変身である。有名な戒壇めぐりで真っ暗闇の中をさまよった。1400年の歴史がずしりと暗い、ではなく重かった。
 高速道路にのる前に蕎麦を食いたいと皆の意見が一致した。蕎麦屋を探しながら行くと「手打ち」の大きな看板が目にとまった。よかった、よかったと胸をなでおろしながら、さっそく店に入り席に着く。メニューを開く。あれっ、と思った。「そば」の文字がひとつも見えないのである。代わりに「うどん」がずらりと並んでいた。手打ちうどんの店であったのだ。
 ここは信州である。手打ちである。ならば誰もが蕎麦だと思うだろう。店の外の看板にもうどんの文字はなかったように思う。この日の朝にうどんを食べていたので明氏以外の三人は飯に切り替えた。しかしさすがにリーダーである。明氏はうどんをたのんだ。しかも大盛りである。大根のおろし汁に味噌を適当にとかし、それにうどんをつけて食べる。からい、からいと言い、もう食えねえ、もう食えねえとうめきながら、全部たいらげた。かな。
 鬼無里の村では、棚田に稲穂が輝き、真っ白な蕎麦の花が満開であったのだ。


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