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吾妻スキー
さとう あきら

山行日 2001年2月10日~11日
メンバー (L)佐藤(明)、江村(し)、飯塚、菅原、冨岡、(谷川)

 2月9日、荻窪と西日暮里にそれぞれ集合後、車2台に分乗し出発。今宵の宿は、東北道の那須高原サービスエリアだ。いつもの幕営場所は除雪もきれいにされており、ご来場をお待ちしておりましたといわんばかりである。テキパキとテントを設営後、早速ランタンとちゃぶ台をセット。到着後わずか15分で宴会体制に突入となった。
 翌2月10日、6時半出発。福島飯坂インターより13号線を米沢に向かう。雪道でスピードが出ず、また除雪作業による片側通行などもあり、今日の登山口である白布温泉着が9時半になってしまった。出発前の最終チェックで各自の雪崩ビーコンの動作確認をする。渡されたケースごと、ザックに放り込んでいる者もいる。ビーコンはちゃんとヤッケの下に装着するようにしようね。明美さん。
 ゴンドラで上がった天元台は猛吹雪。駅舎から出るのもためらう程だ。それでも取り合えず、という事でリフトを乗り継ぎ、ゲレンデ最上部から登り出すが、視界が悪いこともあり稜線直下で引き返す。その後白布温泉まで滑り降りるが、江村氏と菅原氏はおそろいの新調カービングテレマーク板ですこぶる快調。冨岡嬢も山スキー板に乗り換え、だいぶオーバースピードぎみ。
 米沢へ戻り有名蔵元での日本酒の試飲後、米沢牛を調達。いちばん安い切り落としでもグラム5百円だって。今日は地元名産品お試し山行になってしまった。
 二泊目のお宿は厳選の結果、板谷駅構内の引込み線の線路上に。奥羽線の福島米沢間は勾配がきつく、汽車をスイッチバックさせる目的で要所に駅が作られた。ここ板谷駅もその一つだが、性能の良い電車が運行されるようになり、このスイッチバック用引込み線も、そして駅自身も不要になりつつある事は寂しい限りだ。駅構内を広く覆うドーム状の屋根は、往年の豪雪に耐えてきたとはいえ、まだまだ現役十分を感じさせる。一方その下のレールや安全標識は無秩序に取り外され、まさしく廃墟、である。激しい降雪の中、本線を往来するラッセル列車に時折目を覚ましながらも、快適な一夜を明かした。もちろん銘酒、高級牛肉に美女付きだゼ。
 2月11日、江村氏の車をここに残置し、もう1台に全員で乗り出発。しかし途中近道をしようと入った道が失敗だった。除雪も不充分で、引き返すにも車を転回させる場所もない。そのまま峠越え道に引きずり込まれてしまい、大幅な時間ロス。積雪地方の鉄則である、「幹線道路への急がば回れ」を思い知らされた。その後コンビニでの朝食調達後、吾妻スキー場到着8時半。午後から大荒れとの天気予報だが、まだ青空も見える。急がねば。
 リフトを乗り継ぎ、最上部よりシールをつけての登行開始9時15分。谷川氏の快速トレースに導かれ、1時間半でチェックしておいた下降地点に到着するが、ブッシュも濃く滑り出しにちゅうちょしてしまう。それでも標高差50mばかり滑り降りると、追分から家形山荘へ向かうルートを発見。しかし目指す五色温泉へのルートはいま一つ不明瞭なのに加え、天候悪化も気がかりなため断念し、11時半、往路を戻る。粉雪の中、来たルートを滑るのは快適だったが、スキー場に到着する頃には視界、降雪ともに厳しくなり、撤退の判断もまあ妥当と連日不本意な自分に言い聞かせた。
 その後滑りやすくなった雪道をヒヤヒヤしながら戻り、板谷駅で雪まみれの江村号を回収。そしてお楽しみ、三泊目の宿へと急いだ。
 ここ五色温泉はまさしく山あいの一軒宿で、「秘湯を守る会」の看板に恥じない。男女別の内湯と雪囲いのされた半露天風呂とが冬期でも入浴可能とはなっているものの、風雪吹きすさぶ中、宿のゴム長靴にはき替えての半露天への雪道は険しい。しかも沢水混じるかけ流しで、一度入ったらなかなか上がれない湯温なのだ。とは言っても入り口別、中は混浴という私の大好きパターンなため不必要に長湯となってしまった。
 翌日も朝から吹雪。ゲレンデスキーも取りやめとし帰途につく。途中で飯塚嬢に運転を代わってもらうが、その間熟睡出来たのは私だけだったとの事。途中で目覚めなくて良かった。でないと、皆と同じようにそのスーパースピードに目がさえてしまったかも。昼食は宇都宮の有名店の餃子。店の外まで延びるお待ちのお客さんからの無言のプレッシャーが気になり、せっかくの味もいま一つでした。


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