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一ノ倉・中央カンテ 変形チムニー敗退の顛末
安斎 英明

山行日 2000年10月7日~8日
メンバー (L)小幡、安斎

 10月6日(金)夜9時30分、谷川岳へ向かうため新宿スバルビルの前で小幡さんと待ち合わせ、翌7日の午前1時に一ノ倉沢の出合に到着した。そこで河原にツェルトを張り、お約束の酒である。本当は早く寝るべきなのだが、ビールとワインを嗜んでいるうちにたちまち時間が過ぎてしまい、結局、寝たのは2時半だった。
 2時間半後の5時に起床。ツェルトを這い出すと、岩場に向かうクライマー達のヘッドランプの光が目に入った。我々もすぐに行きたいところだが、もちろんそうはいかない。各自で軽く食事をしてからツェルトを撤収したが、準備を終えたときは6時を過ぎてしまっていた。
 岩場に向かう前に船橋労山の本田・村田両氏に出会った。村田氏は初対面だが、本田氏とはかねてから懇意にしていたので、気軽に声をかけてきた。聞けば我々と同じく中央カンテを登るのだという。これは楽しくなりそうだという予感と嫌な予感がしたが、残念ながら嫌な予感の方が的中することになる。
 6時15分に出合を出発した。まもなくヒョングリの滝を高捲きするが、そこでいきなり順番待ちである。何しろ沢に雪が全くないので結構高さもある上に、懸垂下降どころかロワーダウンする初心者までいるので遅々として進まない。ようやくテールリッジの末端に取り付いたときは7時25分になっていた。しかし、取り付くやいなやスパートである。船橋労山の両氏を遙か後方に置き去りにしてテールリッジを登り、中央カンテの取付点に到着したのは8時だった。 天気は見事な快晴である。蒼穹に映える山並の美しさを何と讃えるべきだろうか。しかし感動も束の間、そこには既に3パーティーが順番を待っていた。予想はしていたものの、やはり失望は隠せないのであった。
「予定を変更して変形チムニーにしましょう」と小幡さんが言い出した。なるほど、見れば変形チムニーを登攀するのは1パーティーだけである。即座にルート変更が決定した。
 やがて船橋労山の二人が登ってきた。村田氏がバテてしまったので、南稜にルートを変更するということである。「次は是非一緒に登りましょう」という二人と別れて変形チムニーに取り付いた。1ピッチ目は小幡さんがトップで登った。順調に登れると思ったのだが、これが大間違い。ビレイポイントの手前で先行パーティーに追いついてしまい、空しく赤信号である。2ピッチ目は私がトップで登り、変形チムニー下まで到達した。ルート図では変形チムニー下まで4ピッチあるはずだが実際は2ピッチだった。本来ならそのまま軽快に高度をかせぐはずなのだが、そこでは先行パーティーのセカンドがまだビレイ中だったので、長期停滞となってしまった。
 とはいえ、変形チムニーはなかなか楽しいルートだった。岩が剥がれかかっていたりして、結構本気になってしまうこともあった。もちろんランニングビレイのヌンチャクを掴んだりすれば簡単に登れるのだが、何しろ根がフリークライマーなので、岩以外のものには本能的に拒否反応を示してしまう。もっとも、そうでなければ楽しくないだろうけれど。
 変形チムニーを抜けると壁をトラバースして中央カンテに合流する。この時トップだった私は、ルートを見つけられなかった。そこで小幡さんがトップになり、無事にルートを見つけることができた。合流後の最初のピッチもチムニーである。私がトップでチムニーを越えた。しかし、チムニーを抜けると、そこは大渋滞だった。3パーティーが順番を待って長期停滞中だったのである。比較的広いスペースがあったので小幡さんも登ってこれたが、ここで順番待ちの悲哀をさんざん味わった。1時前に到着したのだが、2時を過ぎてもまだ動けない。稜線の上から顔に照りつけていた陽も隠れてしまい、急激に冷え込んできた。トレーナーを着込んだが、それでも寒い。私は次第に不安になってきた。暗くなってしまってはとても登れない。といって、シュラフどころか酒もなしでビバークなんてまっぴらだ。夏ならいざ知らず10月なのである。すぐ前にいる人に
「まだ詰まってますか?」と尋ねてみたところ、
「我々の前にもう1パーティー待っていて、その前のパーティーが今登ってます」という返事である。これを聞いて私はすっかり登る意欲をなくしてしまった。
「小幡さん、降りましょうよ」と意気地のない私。既にモチベーションはゼロである。
「いやー、ここは降りるルートじゃないですからねえ」と小幡さん。まだ登る気でいる。しかし、さすがに寒いとみえて、上に1枚着込んだ。
「降りるルートもなにも関係ないでしょう。どうせもう下から登ってくるパーティーはいないでしょうから大丈夫ですよ」
「いや、下降用ルートではないから支点がしっかりしていないでしょう」
「トップがリード中に10メートルも墜落すればハーケンも抜けるでしょうけど、懸垂下降で静かに降りる分には大丈夫ですよ。ビレイポイントには、ハーケンやボルトが沢山打ってあるはずですから」
こんなやりとりが続いたが、なかなか結論が出ない。しかし、そのうち見慣れない金属の輪が残置されているのに気がついた。
「小幡さん、ちょっとこれ見てくださいよ。これ懸垂下降したあとじゃないですか?」
「どれ?」
「これ。どう見てもビレイ用じゃないですよ」
「本当だ。下降した人もいるんだ」
というわけで、これが決め手になった。しばしの沈黙の後、突然小幡さんが、
「降りよう!」と言い出した。あとは一目散である。持っていたシュリンゲをほどいて支点を補強してからザイルをかけ、ひたすら下降するのみである。最初のピッチは知っていたから簡単に下降できたが、次からは中央カンテの下部になるため、ビレイ点を探しながら慎重に下降していった。幸いちょうど良い地点にビレイポイントがあったので(当たり前か)、4ピッチでやや広いテラス状のところまで降りられた。しかし、烏帽子スラブはまだ下である。5ピッチ目を一気に下降し、ついに取付点まで戻った。ときに午後4時ジャスト。登り始めた頃にはやかましいくらいだったクライマー達のコールも、遙か彼方で響くのみで、なにやら物悲しかった。
<夕されば 谷の秋風身にしみて 悲しく響く クライマーの声>といった感がある。そして、テールリッジを下ること1時間20分、無事に出合まで戻った。既に夜の帳が辺りをつつもうとしていた。出合で子供を連れた女性から、
「南稜方面で黒いヘルメットのクライマーを見かけませんでしたか?」と尋ねられた。未だ戻らぬご主人を案じているのだろうが、残念ながら見かけなかった。船橋労山の両氏の姿もなく、車だけが主人の帰りを待っていた。村田氏の体力に不安があったので、帰る前に両氏の無事を確認しておきたかったが、結局会えないまま帰路についた。タイムリミットにより敗退したが、好天に恵まれた上、いろいろな経験をした山行だった。


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