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雲取山・ヨモギ尾根
大雪注意報発令! 七ツ石小屋に緊急避難
小堀 憲夫

山行日 2001年1月27日~28日
メンバー (L)小堀、古川、四方田、山崎、吉良

 どこへ行こうか迷った時は、雲取山と決めている。という訳で、今年も出した新人山行用の雲取山の例会計画だった。月並みな山なのでだれも行かないかなぁ、と思っていたら、古川さんと入会希望の山崎さんと吉良さんが行くという。間際になって四方田くんも行くことになり、ぼんやりしているうちに5人もメンバーが揃ってしまった。前日になって大雪注意報が出たが、中止にする気はまったくなかった。正月の連休に奥秩父で大雪に大当たりし、新雪のラッセルを堪能した記憶が、むしろその予報を歓迎していた。
 ただ、身の周りに気にかかる事が少しあって、いつもは山に行けることがただ嬉しいのに、今回は今一つ気分が乗らなかった。
 土曜の朝7時15分、こちら方面へ車で行く時のいつもの待ち合わせ場所、新宿駅西口スバルビル前に集合。雪は既に降り始めていた。少し早めに到着してしまい、たばこをふかしながら、空から湿っぽい雪が落ちてくるのをビルの影から眺めていた。家庭や仕事の事、その他にもすっきりしないことが色々あって、心模様はその日の空とどんよりとした色で繋がっていた。
 家では、中学生の娘が高校受験を翌月に控えていて、重苦しい空気が立ち込めていた。高校生の息子が恋愛問題と学業の間で揺れ動いていた。勤め先では、同じ部署での勤めが10年近く続いて飽きが来ていた。その間、幾つかのプロジェクトを立ち上げてきた。その時は面白いが、できてしまうと途端につまらなくなる。その前の仕事が研究開発だっただけに、経理のルーティンワークはどうも退屈だった。このままでいいのだろうか? その他もろもろの中年の悩み症候群。
 そうしてぼんやりしていると、目の端に熟練の喜劇俳優の舞台登場のように、ひょこたんと辺りを見まわしながら古川さんが現れた。雪山用の本格装備だ。
「どうも・・・、雪が降ってますなぁ・・・」
 まるで眠そうなコロンボ警部だが、この人、職業は科学警察の技官。スゴイ人なのだ。数年前の忘年会の時、神田のカラオケ屋でマイクを離さなかった・・・。実にユニークな人だな~と思った。それ以来だ。こういう頭脳明晰な人は、いわゆる人生の悩みをどういうふうに科学処理するのだろうか? 思わず聞いてみたくなったが、あまりに唐突なことで止めた。続いて山崎さん、吉良さんとちゃんと時間通りに到着。お二人とも装備は申し分ない。最近入会希望の人が多い。
 寒いので、皆逃げ込むようにして車に乗り込み、直ぐに出発した。どうせ空いているだろうと、高速道路は使わずに20号を走っていくことにした。確かに道は空いていたが、案の定、山が近づくに連れて雪が多くなってきた。辺りでは、轍にハンドルを取られてふらつく車が出始めた。今回車を出してくれた四方田くんの愛車は、スタッドレスを履いたメイドイン・イングランドのプリメーラワゴン。パワーもあるし、安心、楽チン。通り過ぎる大雪被害状況をただ他人事として眺めていた。そこまでは・・・。
 五日市街道が青梅街道と合流する青梅市役所下の交差点だった。ゆるい下り坂を赤信号で慎重に停まった。と、突然、ドドォーンと後ろから強い衝撃を受けた。一瞬何が起こったのか分からなかった。
「あっちゃー、やりやがったなぁ!」
 さっきまでの他人事が急に我事になった。降りしきる雪の中、四方田くんと車外へ出てみると、後ろの車から、
「ブレーキ踏んだら、滑っちゃたんです~」と若い女の子があっけらかんと現れた。
 ひょろ長い身体に地味なコートを着込み、手編みの襟巻きを首に捲きつけて、化粧っけの無い顔に無造作に束ねた縮れ髪の端が少しかかっていた。近くの大学の陶芸科に通うというその女子大生の、その後の態度はリッパだった。
「やだ~、ここ通学路なんですぅ。友達が通るかもしれない。あっ、××子がバスに乗ってるぅ。オーイ、××子~」
『オイオイ、自分の立場分かってるぅ?』
 携帯電話を取だし、友達に近所の警察の電話番号を調べさせ、やっと電話が通じると、
「えっー、パトカー全部出払ってるぅ?! でも、早く来てくれないと困るんですぅー。狭い坂道だから二次災害が起きても知りませんよ~」
『オイオイ、おまえが事故起こしたんだぞー』
 こちらはこちらで、降りしきる雪の中、四方田くんが保険会社と懸命に連絡をとっていた。雪道を、エッホエッホと自転車こいで来てくれたお巡りさんも、その女子大生のあっけらかんぶりに苦笑い。事故証明が終わり、やっと車を出した時は小一時間が経っていた。車に戻り、
「いやー、災難だったねー」と声をかけると、
「ホントに。でも小堀さん、何でオレじゃなくて、彼女のほうに傘差し掛けてたんすか? 同じ仲間と思えないな~」とやや憮然顔の四方田くん。
「えっ、ホントーッ? いやっ、ごめんごめん。ほらっ、四方ちゃん、カッパ着てたしー・・・」大慌てで弁解した。
 毎晩必死に受験勉強している娘の姿と、その美大生の姿がだぶって見えていたのかもしれない。これから卒業制作に向うのだという彼女に、
「頑張れよっ!」と別れ際に声をかけていた。許せ、四方田。
 奥多摩に入ると雪はますます多くなり、奥多摩湖辺りからは、トラクターによる地元のラッセルも追いつかない状況になっていた。予定どおり丹波の後山林道入口まで行くには行ってみたが、車を降りると踝が雪にスッポリ埋まった。土の林道にはさらに積もっており、とても普通車で入れる状態ではなかった。それでも気分は不思議にめげていない。どーもこのメンバーには、その事態を喜んでいるような気配さえ漂っていた。
『そうか、この人達も人生に退屈してるのね』と勝手な想像は、中年悩み症候群の典型的な一症状。
 それならばと、途中の路で考えた幾つかの代替案を提案した。
(1) 水根から鷹ノ巣山に登り、鷹ノ巣避難小屋に泊まる。
(2) 鴨沢から七ツ石山に登り、七ツ石小屋に泊まる。
(3) 後山林道を三条ノ湯小屋まで入り泊り、翌日最短距離で雲取をピストンする。
 皆周りの顔色を見ながら二言三言。最後はリーダー一任ということになり、一応登りの山道で、かつトレースを期待できるということで、(2)番の七ツ石小屋コースに決定した。
 鴨沢の県道脇の駐車場に車を停め、身繕いを済ませ、午前11時ころゆっくり歩き出した。雪は相変わらず降り続いたが、30分も登ると汗をかくくらいに暑くなった。1枚脱いで再出発。その後、1時間に1本くらいの割合で休みを取りながらゆっくり進んだ。雪は一向に弱まる気配を見せない。見慣れた夏道も真っ白に装いを変え、新鮮だ。いつもは退屈な植林の杉林も、雪に覆われ白と緑の幾何学模様を描いてみせてくれる。そのうち雪山が始めてという吉良さんが少し遅れ始めた。心配になる。確かに、始めてであの大雪は少しきつかったかもしれない。こちらも、いつもはどうと言うこともない距離も、大雪の中では長く感じた。小屋手前まで来ると、所によっては腰までのラッセルになり、こちらも流石に疲れてきた。それでも、どうにか4時ごろには全員無事に小屋に到着。
 小屋に入ると、薪ストーブのある狭い土間のスペースには人と干し物がいっぱいで入り込む隙間がない。
『少しは凍えている人に席を譲ろうとかいう気が無いのか』と驚く。
 仕方がないので寒い寝間のほうへどうにか上がり込んだ。それも上がり口に積んである、先着の連中のザックを乗り越えてである。まあ、皆大雪の被害者気分なんだろうが、
『もう少しなんとかならんかね、山のマナー』
 それでも我等5人、寒い部屋でめげずに鍋を囲み酒を飲み出すと、次第に元気を取り戻した。消灯までの数時間、即席パーティーの宴会を楽しんだ。その日初めて組んだパーティーだったが、今までの山暦、仕事の話、家庭・子供の話、景気の話、遊びの話、下ネタ・・・。なんの話だったか、古川さんが、
「子供は可愛いですよ」とお子さんの事をポツリと言った。
 その時、フワーッと古河さんの普段の生活風景が浮かんできて、今までのイメージがガラリと変わった。こういう瞬間が人と飲んでいて一番楽しい。同じ時間を共有している実感。四方田くんと古川さんが意外に仕事で繋がっていることが分かったり、入会希望の山崎さん、吉良さんの話も楽しかった。
 ただ、それでも朝からの中年悩み症候群は消えなかった。最近疲れがしつこく残るようになった。
 その内に雪も止み、小屋の外へ出ると星空と夜景が綺麗に見えた。すぐ近くで、小屋の前で歳代後半と見える熟年カップルが、暖かそうに寄り添い、
「素適ね~、街の灯りが・・・。あの辺りが××かしら・・・」とやっている。見ると、女性の方の腕が男性の腰に回っている。それが妙に印象的なカップルではあった。
『おいおい、シッシッ。こっちは、おじさんばかりのパーティーで、今はキジ打ちタイムだっ。ザックの荷物の外にも色々心の荷物を背負って登ってきてるんだ。そういうのはうっとうしいぜ。熟年恋愛は余所でやってくれ。シッシッ、キジを引っかけるぞ』これも先ほどからの症候群の典型的な症状。
 翌朝はドピーカン。小屋の目の前に富士山がドドーンと現れた。太宰治も言ってたけど、やっぱり富士山は見る山だ。自慢じゃないが、あれは登山マラソンでしか登ったことがない。五合目まではまだ良いが、そこから上は月面のクレーターさながらの砂と石ころの世界だ。下りは落石がごろごろ来るし、その眺めの美しさとは対照的に無味乾燥な世界だ。
 いつもは水が豊富な七ツ石小屋だが、その日はすっかり凍りついていて少しも出ない。しかたがないので比較的綺麗そうな雪を溶かして湯を沸かし、コーヒーを飲み、ラーメンを食した。
 食後の相談の結果、雲取まではラッセルで時間がかかりそうなので、七ツ石のピークまで、水くみついでにピストンすることにした。膝上の深い新雪をラッセルし始めると、山崎さんが是非新雪のラッセルを体験したいと言う。ドーゾドーゾと喜んで交代してもらった。小一時間も登っただろうか、まあるい頂上にはだあれもいない、雲一つ無い360度のパノラマが待っていた。
「いやー、この景色で救われたね」
「来て良かった、良かった」
 流石にこの時ばかりは、心にかかっていた下界の雑事も吹っ飛んでいた。古川さんが持ってきてくれたフルーツゼリーを皆で美味しく食べて、記念写真。パチリッ。
 下りに、雪に埋まった水場を苦労して掘り出して、どうにか飲み水を確保。後は元来た鴨沢に下るのみだ。
 好天の中、新雪のお披露目化粧に目を奪われ、時々立ち止まりながらそれを堪能していた。気がつくと、またあの感覚がやって来ていた。歩いている自分の意識が自分から離れて行き、少し上のほうに並んでいる、そんな感覚。「また」、というのは雪山の静寂の中での行動中、よくそれを体験するからだ。
 流石にもうその時は中年悩み症候群は消えていて、下界のモヤモヤは頭と心から完全に無くなっていた。汗を沢山かいて綺麗な沢の水で体液を入れ替えると、他にも何かが入れ替わるのだろうか?
 途中、小雪崩に埋まったトラバース道ではラッセルにてこずったりしたが、皆無事下山。駐車場で、雪だるまと化したお尻の凹んだプリメーラを掘り出した。
 携帯電話による連絡で、入院中のご尊父の病状が急変したことを知った山崎さんを、そのほうが早いからと奥多摩駅で電車に乗せた。残りのメンバーは、鳩ノ巣でいつも寄る絶品手打ち蕎麦を賞味して帰路に着いた。

七ツ石その1七ツ石その2

【後日談】
 四方田くんの車は、その後美大生の父親の加入していた保険で綺麗に直り、お尻だけピカピカ状態になったとのこと。
 小堀の中学生の娘はちゃんと私立の超難関受験高校に受かり、親の出費を拡大せしめ、バカ息子は彼女との交際を控え、学業に集中することにしたらしく、今この原稿を書いている時も自分の部屋でねじり鉢巻姿で机に向い試験に備えている。彼らのバカ親父は、2月の定期異動でめでたく希望部署に異動になり、ファイナンスからマーケット・リサーチという妙な変身を大いに楽しんでいる。


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