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西穂高 風雪の大脱出
金子 隆雄

山行日 2000年12月30日~2001年1月5日
メンバー (L)金子(隆)、小幡

 今回の合宿(合宿とは名ばかりで実態は例会山行と何ら変わりない)の計画は、12月30日から1月2日の日程で西穂高岳から奥穂高岳へ縦走し、涸沢岳西尾根を下降して下山というものであった。1月3日、4日は予備日とし食料、燃料は6日分用意して山行に臨んだが、これでも充分余裕のある計画だと考えていた。
 当初は剱岳の小窓尾根を考えていたが、9月以降急に仕事が忙しくなり全く山へは行けてなかったので、正直言って自信がなくなり、間際になって山域を変更したのである。

 12月30日 晴れ
 昨夜の急行能登で上野を出発したが、電車は思いの外混んでおり、車内で眠ることはほとんどできなかった。富山で乗り換え、やっと座ることができたので、目的地に着くまで一眠りしようと思ったが、乗り換えが頻繁にあるのでやはり眠ることは無理だった。そんな訳で、全く睡眠時間がとれないまま入山口の新穂高温泉に8時過ぎに到着した。
 直前にかなり雪が降ったようだが、それでも例年に比べて多いという程でもない。登山指導所に計画書を提出しロープウェイ駅に向かう。ロープウェイに乗車したのは大半が観光客で登山者は少ない。運賃は通常1500円なのだが、今回は30周年特別割引というのをやっていて、1300円+荷物代300円で計1600円だった。
 わさび平で一旦降りて第二ロープウェイに乗り換える。第二ロープウェイのゴンドラは定員200名を超える大型で二階建てとなっている。
 穂高口駅から西穂山荘までは樹林の中のよく踏まれた道を行く。西穂山荘の手前でちょっと急になるが、それ以外は概してなだらかで、約1時間半で西穂山荘に到着。時間はまだ正午を過ぎていないので、本来ならこのまま先へ進むべきなのだろうが、なんせ眠くてしかたないので本日はこれまでとする。山荘前のテント場(雪だらけで何処がそうだかよくは判らないが)にテントを設営し、中で少し横になったら何時の間にか寝入ってしまっていた。

 12月31日 曇り
 曇ってはいるが視界はまあまあ良好で、テントを撤収して出発する。実は天候次第では縦走をあきらめて、ここをベースに西穂高のピストンにしようとも考えていたのだが、本日順調に行動できれば天候が大きく崩れる前に奥穂の冬期小屋まで行けると考えたのであった。
 西穂高までのピストンと思われる軽装備の人達に混じり、風で飛ばされて雪の少ない尾根上を先ずは独標を目指す。独標までは特に困難な所もなくロープを使うような所もない。ルートは夏道通りでルートファインディングも難しいものではない。1時間20分で独標に到着。ここから引き返す人もいてこの先の西穂高岳まで進む人は少なくなる。西穂高岳までは独標までに比べると若干ルートは厳しくなるが、夏道を示すペンキ印を見失わなければそれ程問題となる所はない。西穂高岳には10時40分に到着、ここまでは順調に来ている。
 殆どの登山者は西穂から引き返しこの先へ進む者はいない。しばらくの休憩後、今日の幕場予定地である天狗のコルを目指して出発する。ここから先がこのルートの核心部であり、今までと違いルートはかなり厳しくなる。出だしは10m程の懸垂下降で始まる。ルートは複雑でルートファインディングも難しく、ペンキ印も見失いがちになる。岩稜のアップダウンを繰り返し、急な岩場をクライムダウンすると先行者に追いついた。懸垂下降しているようだが、話している言葉が全然解らない。顔を見る限りアジア人らしいが何語を話しているのかさっぱり解らないので、私はモンゴルの人達かなと思ったりもしたが違っていた。彼らが全員下降するまでしばらく待つことになったが、その内にリーダーらしき人が英語で話し掛けてきたのでやっと彼らの正体が判った。彼らは韓国人のパーティーで全員で6名だと言う。それにしても普段テレビやラジオで聞く韓国語とは全然違うので、まさか韓国人だとは思わなかった。そのリーダーらしき人の言うには3名の日本人パーティーが先行しているらしい。彼らも今日の泊りは天狗のコルを予定しているが、先行している3名と自分達そして我々を含めると11名となるが、天狗のコルはそれだけのスペースがあるかと聞いてきたが、私も小幡もこのルートは初めてで、正直言って判らないので答えようがなかった。彼らは山のように大きな荷物を担いでおり、それに6名という人数を考えると、来るとこ間違ってるんじゃないのと思いたくなる。
 大分待たされたが韓国人パーティーが全員下降し終え、我々も準備にかかるが、彼らのザイルが雪面に食い込んで回収できなくなり外してやる。そこは垂直に近い鎖場で成る程懸垂でないと下降は難しい所だった。下降し終わると我々に先に行っていいよと言うので先行させてもらうことにする。ずっとこの調子で待たされ続けたんじゃ堪らないからね。
 ここでの待ち時間が響いて予定の天狗のコルまで届かず、間ノ岳を過ぎた所に幕営する。丁度岩が風を遮ってくれる場所だったので今思えばこの場所に幕営して助かったと心底思う。この日韓国人パーティーは追いついてこなかった。
 夜になりラジオでこの先の天狗岩付近で滑落事故があり、金沢の女性が死亡したことを知る。

 1月1日 吹雪のち晴れ
 朝目覚めると天気がかなり悪く停滞とする。この先ルートはますます厳しくなるので悪天候下での行動は避けたいところだ。午後になり天候は回復してきて青空も広がり出した。だがこれは擬似晴天で翌日から更に天候は悪化したので、騙されて突っ込まなくて良かったと思う。
 正午頃に天狗岩付近で滑落事故に遭った2人パーティーの内の一人と付近にいた3人パーティーが一緒に西穂方面へ下山して行った。2時半頃に遺体収容のためと思われるヘリが飛来し、4時頃まで飛び続けていた。ラジオで遺体が収容されたことを知る。
 夜は街の灯が見える程に天候が良くなっていて、明日は行動できるかもしれないと期待する。

 1月2日 吹雪
 朝起きて外の天気も見ずに出発準備をしてテントの外に出てみるが、強風、視界ゼロ、岩という岩はエビノシッポで真っ白。とても行動できるような天候ではないので、またテント内に逆戻りで今日も停滞となる。岩が風を遮ってくれるので直接風にさらされてはいないが、雪が吹き溜まってテントが変形してくるので何度か雪かきに出る。あとは一日寝て過す。

 1月3日 吹雪
 今日も昨日と変らない天候で行動できずに停滞となる。停滞も3日目ともなると、精神的にかなり辛いものがある。食料はまだ余裕があるが、燃料に余裕がないので火の気のないテント内でシュラフに入って過す。ウトウトすると同じ夢ばかり繰り返しみる。
 天気予報では明日も明後日も天候回復は望めそうもない。いくら節約しても燃料がもちそうにないので明日はどんなに悪天候でも下山することを決意する。ラジオでは、あちらこちらで行動不能に陥り救助を求めているパーティーがいることを告げている。我々も救助こそ求めてはいないが同じ状況である。
 私も結構長い間山をやっているが、これ程長期間悪天候が続いて動けないというのは初めての経験である。

 1月4日 吹雪
 今日も天気は最悪だが、強行下山することにする。風雪の中の大脱出である。今迄つながらなかった携帯電話が何故かつながったので、出発前に本日下山を強行することを伝えることができた。
 歩き出すとすぐにマツゲもマユゲも寒さと強風のために凍りつき、目が開けづらく、視界が極端に狭くなって、足元がよく見えないため苦労する。岩をつかむ手はたちまちに感覚を失い、意識して手袋の中で指先を動かしていないと凍傷になってしまいそうだ。アンザイレンし、やばそうな所はスタカットで慎重に通過する。往路で懸垂した鎖場は雪壁になっており、小幡トップで登ったが厳しいらしくなかなかザイルが延びていかない。
 時々ルートを見失いウロウロしたが、どうにか西穂高に到着しザイルを解く。ここまでに費やした時間は5時間、かなり時間がかかっている。西穂から先ルートは容易になるが、なんせこの天気なのでまだまだ楽観はできない。西穂山荘までは果てしなく長く続く尾根を歩いているような気がした。
 16時過ぎに西穂山荘に到着して、やっと強風から開放された。小屋の周りにテントは一張もなくしんと静まり返っている。今日中にロープウェイ駅まで辿り着きたかったので、小屋は素通りして先を急ぐ。だが、ロープウェイ駅までのルートはすっかりトレールが消え、膝上程度のラッセルを強いられる。上半部は短い間隔で標識があるためトレールがなくてもルートは判るが、下半部は標識もなくなるためルートファインディングが難しい。明るいうちは時々見つかるトレールを頼りに進めたが、暗くなってくるとそれも難しくなる。
 遂にあきらめて幕営しようと決め、本日初めての休憩をとる。考えてみたら朝出発してから一度も休憩を取らずに動き続けていたのだった。また何も口にしていなかったし水分の補給もしていなかった。朝からずっと我慢していたオオキジをうつ。風がなく安らかな気分で用を足せるのが嬉しい。
 さて一旦ここに幕営しようと決めたのだが、あと少しでロープウェイ駅なので思い直して今日中に駅まで行こうとまた歩き出した。しかし、いくらも進まないうちにやはり無理だと解った。ルートが全く判らないのだ。むやみに歩き回っても体力を消耗するだけだし、それに小幡の凍傷も気にかかる。そう、この時小幡は両手の指に凍傷を負っていたのだ。本人は夕方になるまで全然気が付かなかったと言っている。
 テントを設営後、湯を沸かし小幡の凍傷の手当てをする。両手指の凍傷はかなり酷く、第二関節より先が紫色に変色し感覚が全くないと言う。ここではまともな手当ては出来ないのでとりあえずぬるま湯に手を浸し温める。これをしばらく続けると少し感覚が戻ったようだ。そのうち指に大きな水泡ができてきた。水泡を破ってしまうと感染症もありうるので破らないように注意しなければならない。
 ここでも携帯電話が通じたので、ロープウェイ駅近くまで下山してきていることを家族と服部委員長に伝える。

 1月5日 雪
 思った通りロープウェイ駅はすぐ近くだった。15分程でロープウェイ駅に着く。幸運にもロープウェイは運行していたので、朝一番のロープウェイで新穂高温泉まで降りることができた。降りてから聞いた話では昨日までロープウェイは悪天候のため運休していたそうだ。アルプス浴場で温まってから、バスに乗り平湯経由で松本に出てあずさで帰宅した。

 小幡は6日に凍傷治療のため病院へ行ったが、指の切断という最悪の事態は避けられたようだ。しかし、しばらく仕事を休むことになってしまい、2月に入ってもまだ包帯が取れない状態が続いているということだ。
 今回何とか自力下山はできたものの、その代償は決して小さくなかった。私のほうは顔面に軽い凍傷と指先に痺れが残った程度で大したことはなかったが、痺れがなくなるまで2週間以上を要した。
 下山中は、もう年も年だし無事に帰れたら冬山は止めようかなとも考えていたが、しばらく経つと完登できなかったのはやはり悔しいので再度挑戦しようかなんて思っている。まったく懲りないね!

〈コースタイム〉
12月30日 西穂口(10:10) → 西穂山荘(11:45)
12月31日 西穂山荘(7:30) → 独標(8:50) → 西穂高岳(10:40) → 幕場(14:40)
1月1日~3日 停滞
1月4日 幕場(8:30) → 西穂高岳(13:40) → 独標(14:40) → 西穂山荘(16:20) → 幕場(ロープウェイ駅手前)(18:10)
1月5日 幕場(8:30) → 西穂口駅(8:45) → 新穂高温泉(10:00)

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