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新年山行・湘南平リベンジ作戦
服部 寛之
山行日 2001年1月14日
メンバー (L)服部、原口、田原、佐藤(明)、播磨夫妻、鈴木(嶽)、中村、藤居、牧野、堀田、野口、川又夫妻+息子、荻原+息子2、紺野、他12名
(大人28名 子供3名)

 ウィンタースポーツが雪国人の特権とすれば、冬の青空は関東人の特権だ。
 晩秋から冬にかけての関東は、晴天がつづき、大気も澄んで野山が一段と鮮明になる。樹々も葉を落とし、見通しの良くなった森は思いがけぬ景色を演出して、山歩きには絶好の季節だ。そんなとき寒さを押しても山へ出かけぬ手はない。
 ましてや、関東も湘南となれば温暖の代名詞。真冬でも元気な輩はサーフボード抱えて浜へと自転車を漕ぐ。確かに、冬のサーフィンは、見ていると震えがくるし、当の連中にも焚火は欠かせない。一般人の手袋やマフラーの"重装備"は、雪国人の目にはいかにも大袈裟だろうが、しかし雪などめったに降らない気候に慣れてしまった身には、これらは冬気分を演出する外出の友なのだ。
 そんな温暖な、その名も「湘南平」で、今年も新年山行を催した。当地での開催は、丹沢から吹きおろす北風に震えた一昨年につづいて2度目で、無論リベンジを意図してのことだ。この山行はたまたま三峰の新世紀事始的例会第一弾でもあり、天照大神もそれを寿ぎ、当日は朝から抜けるような青い大気に慈愛あふれるあたたかな陽が満ち満ちて、絶好のハイキング日和となった。

新年山行に集った面々

 午前9時前後からJR平塚駅の改札に三々五々あつまった参加者は、9時半頃10数名で出発。湘南平まで駅からバスも出ているが、歩いてもたいした距離ではない。駅から山道入口の高来神社までおよそ30分、そこから森のなかを高麗山、浅間山を経て湘南平まで1時間で到着である。
 違和感ただよわせつつ街中をゆく皆を尻目に、くるまで山頂に先まわりすると、穏やかな山頂の広場にはナンと青や赤や紫のマウンテンパーカに軽登山靴で身をかためた中高年10数名のグループが、2組も、鍋を囲んでいた。いやはや、湘南鍋日和はわが三峰だけの問題ではなかったようだ。駐車場で播磨夫人や川又ファミリーと合流し、しばらくするとシェフの原口さんが大きなザックを背負ってバスでやってきた。宴会場所にはこまらない広い平らな山頂だが、若干風があるので、風あたりの少ない東南の隅に場所を選定する。ポカポカして、木々の枝越しに冬の深い紺青色の海岸線がながめられる絶好の場所だ。と、そのときは思ったのだったが・・・。
 さっそく大鍋に湯を沸していると、11時頃駅からのハイキング組が到着して一気に賑やかになった。銀マットをひろげて腰を据え、食前酒などをやっていると、いつの間にやらバスでやってきた人たちも合流し、やがて荻原氏も二人のかわいいチビスケを引き連れてやってきた。鍋の第一弾ができあがり、舌鼓を打っていると、な、なんと、にわかに丹沢方面から鉛灰色の雲海軍団がインディペンデンス・デイの巨大円盤のごとく上空一面に急来して太陽を遮断、寒風にのせて大量のぼた雪を我々に吹きつけてきたのである。
 風雲急を告げる雪襲に、青空の下の鍋的平和は一気に乱れ暗雲に覆われる事態となってしまったのである。周囲はみるみる間にまっ白。降りかかる湿雪は服を濡らし、またたく間にそこら中をぐちゃぐちゃにし、もはや座ってなどいられない。一同食器と箸を手に立ちあがったはいいが、しかし第二弾を仕込んだばかりの大鍋2コはまだ当分できあがりそうになく、ここは目下鍋の下でシュッシュカ奮闘中のけなげなピークワンたちに頑張ってもらうほかはない。皆どうしようもなく、酒やツマミを手に右往左往していると、オーマイガーッ、無情にも大鍋が一つひっくり返ってしまった。
 カ、カ、カニさんが・・・。
 一斉に漏れるタメイキ酒臭く 思いぞ冷ゆる雪の宴かな
 この非常事態に、お燗の都合上動けなかった田原氏もようやく重い腰をあげた。一方、銀マットにすわらされ全身まっ白と化した荻原氏のチビスケたちは、かわいそうに、冷たく濡れたちっちゃな両手でお椀をかかえながら、「おうちにかえりたい」と半泣き状態。風邪をひかせたらカミさんに怒られると、着いたばかりなのに、降りしきる雪のなか、開けてしまったキリンラガーリッター缶手離しがたく、てんてこ舞いで撤収をはじめる親もまた気の毒である。
 結局、この突然の大雪で、小さな老犬を連れたご夫婦と、小さな人を連れた荻原氏が、退却して行ったのであった。
 だが、その後運命は急転する。昨年の甲斐駒にひきつづき湘南平のリベンジも失敗か、と思われたそのときであった。にわかに雪の勢いが衰えたかと思うと、巨大雪雲軍団は太平洋の彼方へ立ち去りはじめたのである。みるみる視界が回復、展望台に上ってみると、周囲にはすばらしい銀世界が展開していた。
 眼下に湘南平の白い台地。
 フロストシュガーをかけられた波打つような森の膨らみ。
 雪化粧した街並みの向こうには、雪を戴いた青い丹沢の峰々。
 つい先ほどまで穏やかに蒼く輝いていた海は、いまはまだ鈍色のまま幾分ざわめいているが、しかし振りむけばすでに丹沢の上空には青い空が帰りはじめている。
 間もなく我々の上にも青空がもどると、辺りの樹木がキラキラと輝きだし、雪襲をくぐり抜けた鍋もヨロコビの湯気を吹きあげ完成を告げた。食器を手に鍋を取り囲む人々にも笑顔がもどった。天照大神も天岩戸からお出ましになりパラパラを披露、今や虚無の暗雲は去り、希望の光がよみがえったのである。
 だがしかし、希望の光は人々の心を溶かしたばかりではなかった。積った雪をもどんどん融かし、辺りはますますぐちゃぐちゃの混迷度を深めて行ったのである。ザックも食器もツマミも酒瓶も何もかも、一歩足を動かすたびにドロにまみれ、マットを敷き直せる状況ではない。絶好の雪景色に一時は典雅な雪のになるやと思われたが甘かった。もともと典雅とは距離がありすぎる面子ではあるが、ここで根性をだして呑み直していたらドロドロの泥の会となって、まさしく泥酔を演じていたであろう。ここでオジサンたちに理性が働いたのは幸いと言うほかない。
 結局、一同立ったまま原口さん心づくしの美味鍋第二弾をいただき、お腹もくちくなったところで時計も1時半をまわったので後片付けにかかり、最後に記念写真を撮って、2時頃散会とした。大方は大磯駅へと足をのばし、数名は二宮温泉へとくるまを向けたのであった。原口さん、今年もシェフ役ありがとうございました。
 という具合に、今年の三峰新年山行1個小隊名+犬1匹は鍋憤死1(含カニ)の犠牲を出しながら湘南平リベンジ作戦を終えたのであったが、果たしてリベンジは成ったのであろうか?

なんだかとっても悲惨

 ルームで戦況報告した田原軍曹は、不意の雪襲を受けたことを敗北と認むるかのような評価を述べたのち、「コリゴリ、湘南平はもうやめたい」と心境を吐露して締めくくったが、隊長の評価はまったく違う。
 確かに田原軍曹以下特攻酒呑分隊の面々は、不意の雪襲にエンジンの暖気が一向に進まず、苦戦をしいられていた。この点が分隊最大の試練であり、軍曹の評価を下げた要因であった。しかしそれは分隊の火力に問題があったわけではない。分隊の火器には充分な火力があった。注入すべき燃料も充分量装備していた。予想しなかった雪襲に"暖幕"を張る援護を得られなかったのは、タープ装備の不備が原因であり、あの状況では致し方なかったのである。分隊には多少のうろたえが見られ、本隊に痛い鍋憤死1(含カニ)を出したものの、雪襲をなんとかやり過ごせたではないか。イクジはそうした事態でこそ発揮すべきである。あのとき明かに天は我方に味方した。雪暗から一転、天下晴れて御披露目となった天照大神のあの会心のパラパラが、何よりの証拠である。
 隊長の見るところ、湘南平の戦いは一敗一引分けである。ここは士気を高く持って3度目の正直に挑み、湘南平180高地歓楽に、じゃなかった陥落に、賭けてみる価値は十二分にあろう。


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