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富山&伊予ヶ岳 房総渡海旅
服部 寛之

山行日 2000年12月3日
メンバー (L)服部、大久保、福間、飯塚、(藤本)

 海を渡って向こうの陸地へ行ってみたい、というのは、思うに、陸棲生物が持つ本能的な願望ではあるまいか。
 沖合いの島と日本本土とをむすぶ架橋努力の現存する最古の記録は、恐らく、古事記に登場する因幡の白うさぎの一件であろう。
 故事の舞台は現鳥取県鳥取市の白兎(はくと)海岸とその沖合い150mに浮かぶ淤岐ノ島(おきのしま)である。伝えられるところによるとこの白うさぎ、恐ろしげなワニザメ・ファミリーをだまくらかして島から対岸まで一列に並ばせ、その背中をぴょんぴょん跳んで対岸に渡ろうとしたというからすごい。ワニザメがどの位の体格なのか筆者は知らぬが、仮に背から背が50センチ間隔だったと仮定するとざっと300匹のワニザメを並ばせた勘定になる。つまり、ワニザメ眼が600個、ジロリ睨んでいたのである。彼は果敢にもその背を踏んでいったのだ。
 その様を想像して見よ。
 君にその勇気があるか。
 この大胆な構想と実行力! 己の利益の為には他人を踏みつけにしてはばからぬその根性! 大した政治家である。彼の偉業は白兎神社となって現代に伝えられているが(古事記献進から数えても実に1289年間! 政治家の鑑と言うべし)、橋を架けるのは政治家と、昔から相場は決まっていたのだ。
 記録によれば白うさぎ氏はあと一歩のところで魂胆がバレ、怒ったラストのワニザメに文字通り身ぐるみひんむかれ泣きっ面となるものの、地元の有力者にうまく取り入って見事立ち直るのであるが、その辺の行動も現代の政治家を彷彿とさせるところがある。自民党の祖と目されているやも知れぬ。

 東京湾アクアラインができたと聞いて、筆者は是非渡ってみたいと思った。
 新聞を見て、心が踊った。
 テレビを見て、胸が高鳴った。
 タダの橋でなく、トンネルと橋との合体だという。
 おもしろい!
 タダ渡るだけでなく、真ん中に人工島があるという。
 おもしろい!
 料金もタダでなく、4千円だという。
 おもしろくない!
 現代は政治家も官僚も、作るもの作っておいて、その感覚が肝心の庶民とは甚だしく乖離しているところがトンチンカンだ。トンテンカンと橋を作ってトンチンカンなことをやり、チンプンカンなことを言う。アンポンタンでキンコンカン。
 しかし庶民には割勘という奥の手があった。なぜか割勘はイギリス人もアメリカ人も「オランダ人で行く」と言うが、日本人で行ってもべつにいいのだ。国際的にも奥の深い手なのである。
 そこで筆者は一計を案じ、当初の物見高い混雑がおさまった頃に房総のハイキングの例会と組み合わせて行くことにしたのである。それも半日で「富山」と「伊予ヶ岳」に二座連続登頂を果たし、フェリーで凱旋というスケジュールである。言うなれば、お江戸橋立見物+房総で北陸・四国旅気分+東京湾船の旅のゴーカ詰合せという、パック旅行顔負けの誠にお手軽な企画なのですが。
 募集の結果、4名が同行してくれることになった。これでアクアライン体験費用は5分の1で済むことになる。
 うれしい!
 しかも、そのうち3名は美女である。美女含有60率パーセント。
 ますますうれしい!

 当日の朝7時半、拙車にて品川駅前に美女3名をお出迎え。華やいだ空気を乗せて1.5キロメートル移動し、大久保氏の居窟前にて氏が乗車。空気が変わる。
 湾岸高速に乗って羽田空港を過ぎるとすぐアクアラインへの分岐。まずはトンネルで東京湾へもぐる。白っぽいタイルの壁がずっとつづくのみであまり面白くない。美大生にでも壁画を描かせたら面白かろうに。それよりもせっかくの海底トンネルなので天井をガラス張りにして海中を見せてくれたらたのしいのだが、この部分は実際には地球内部へめりこんでるのかな。
 やがて海の底から空へ飛び出るようにトンネルを抜けると空母のような人工島。海面から高度を上げてパーキングスペースにくるまを停める。大久保氏はここへは会社の金で何度か来ているらしく、先輩風がくやしい。エスカレーターで上へあがると、お土産屋やらコンビニやらレストランやらが重なっていた。値段は高め。ウミホタルというだけあって、従業員は皆ウミホタルの格好をしてピカピカ光っている(ウソ)。一番上の階は広場風のデッキで、海の鑑賞にはもってこいだ。まわり中海だらけ。生憎遠くがもやって視界がやや悪いが、川崎方面を見ると海の真ん中に巨大な白いタケノコが生えている。よくよく考えるとトンネルの換気扇かとも思うが、新種のビオランテ*と間違えやすいので注意が必要だ。デッキの反対側へゆくと、木更津方面へ現代の巨大な橋立がつづいている。シュワちゃんのトゥルーライズでハリアー戦闘機が海上に懸けられた橋の上を突っ走るくるまを攻撃するシーンがあったが、ぼくはああいう橋の上を突っ走ってみたかったのだ。これからそれができると思うとコーフンする。1回走ればもういいので、次回ゴジラが東京を襲う際には是非ともこの橋も盛大にブッ壊していってもらいたい。お願いします。(*註 ビオランテは1989年芦ノ湖に出現したバイオ花獣。身長85m体重6万トン。)
 小一時間でウミホタルを退去し、残りの懸橋部分をキモチ良くぶっ飛ばして次なる目的地「富山」へ向かう。
 しかし、値下げしたとはいえトンネルと橋合わせて計15キロで3千円とは恐ろしい。ということはすなわち、1キロ200円也! ン?? みかんより安いか?
 富山は有名な「鋸山」の南方、内房線岩井駅の東3キロにある標高349.5メートルの双耳峰だ。町名は富山「とみやま」だが、山は「とみさん」といい、町民に親しまれている町のシンボルとか。岩井駅の南側で線路を渡り、東へ少し走って右手の町営無料駐車場にくるまを停める。先着車3台。うちらと同時に着いた小学生連れのファミリーハイクより一足先に出発する。
 10分ほど車道を歩くと登山口の福満寺だ。その脇から結構な急登がつづいている。山道のはずなのに舗装されているのは、左右所々に切り開かれた水仙畑に入るくるまのためらしい。この付近は水仙の産地なのだ。やがて登山道らしくなってきた辺りで、大久保氏が姿を消した・・・。一応、スイセンです。どーも、すいせん!
 一汗かいた頃、神社風な古い小さな石段が出現。そこを上ると、開けた平地の真ん中にお堂があった。南峰(観音峰)に到着である。後日目にしたモノの本によると、この山の名前は房州開拓の祖、天富命(あめのとみのみこと)に由来するそうなので、お堂はその方のおうちか、或いは観音峰の名が示唆する観音様のおうちかのどちらかだろうと思うが、いずれにせよ中は小奇麗で、一夜の宿をかりるにはよさそうな処である。山名から当初富山県人がからんだ山かと思ったが、ぜんぜん関係ないのであった。ダマしてごめん。南峰のピークは平地脇の林の中にあったのでそこまで登る。展望はない。ここまで駐車場から丁度1時間。
 次いで北峰(金毘羅峰)へ行く。一旦鞍部に下って10分で到着。三角点はこちら側にある。北~西方向に視界が開け、展望台が立っている。さっそく上って眺めてみるが、ここの景色は正直言って意外や意外、目からウロコであった。少々霞んではいるが、一面に展開する山の重なり具合が秀逸である。
 ウ~ム・・・。
 千葉県は最高峰の愛宕山でも標高408.2メートルと日本一の低山大国なので、山の景色など見るものはないと思っていたのだが・・・、こ、これは・・・。
 千葉県よ、ワリィ、オレが間違っていた。許してくれぃ!と即座に反省しあやまってしまった。そう言えば、東山魁夷画伯が風景画家として開眼した作品という『残照』は、房総の景色が元になっていたと聞く。嶺々の稜線の律動的な重なりと光の明暗が山岳空間の壮大な拡がりを感じさせるこの作品は、山を描いた数多の日本画の中でも最も日本人に知られたもののひとつだろうが、ぼくも以前東京の展覧会でこの作品を見て静かに感動した憶えがある。この作品の元になった風景は鹿野山(かのうざん)の九十九谷の景観なのだそうだ。鹿野山はこの少し北方である。眼下の景色は画家にインスピレーションを与えた景色を反対側から見ているのであろうか。まさに、山高き故に尊からず!「千葉なんか低山ばっかじゃん」などと侮ってはいられなかったのであった。
 「ウーム」と感心したところで、テーブルをひとつ占拠して白ワインを開け、用意したポトフーを賞味する。もともと「賞味する」ようなシロモノではないが、景色がいいと賞味できちゃうのですねこれが。連れも美女連とくればさらにひと味もふた味も違う。と言っておこう。この山は手軽なので結構人気のハイキングスポットらしく、次第に何組ものハイカーが上ってきて周りが賑わってきた。さっき駐車場で一緒だった親子もお弁当を広げている。

富山での昼食風景

 全部たいらげて満腹になったところで12時をまわり、山頂を辞す。それにしても房総の景色はアナドレナイ、アナドレナイとつぶやきつつ下って行くとアナがあった。何のアナかというと、『伏姫籠穴』という仰々しい名前の穴である。説明によれば、滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」で伏姫(ふせひめ)が八房(やつぶさ)という飼犬とともに篭ったとされる洞窟だそうだ。ということは、一応これも女子アナであろうか。ぼくはこの膨大な小説を読んだことはないが、立派な構えの門をくぐって整備された歩道を上って見にゆくと、奥行2メートル弱、人が屈んで入れるくらいの大きさの岩屋で、内部は一面に白い玉砂利が敷かれ、中央にボーリングのボール位の大きさの白い石玉が台座にのせられて鎮座しており、奥の壁際には仁、義、礼、智、忠、信、孝、悌と一文字ずつ記された同じ位のサイズの黒い石玉が八つ並べられていた。ちょっと異様な雰囲気。白玉は伏姫を、黒玉は彼女と飼犬との"作用"で生まれた八徳の玉とやらを象徴しているのであろうか?
 てれてれ歩いてくるまに戻り、次なる目的地「伊予ヶ岳」に向かう。この山も同じ町内にあり、岩峰状に切れ立った山容から安房の妙義山と呼ばれているそうな。くるまで10分ほどの距離だ。登山口の平群天(へぐりてん)神社にくるまを停め、左隣の小学校の裏手へとつづく登山道を辿る。何てことのない山で、20分位登るとベンチのある展望台があり、そこから岩場まじりの急登を7~8分で頂上に到着。妙義山にしてはかなりの規模縮小だ。中年夫婦の先客がいた。頂上は狭く、鎖の囲いがなければおっかない。展望はさすがに良く、今登ってきた富山が西側正面にどんと座っている。均整のとれたきれいな双耳峰だ。「とみさん」と親しげに呼ばれるのが解るような気がする。頭に「お」を付けてもいいくらいだ。富山の左右には低い山並みが連なり、その上に浦賀水道が見えている。左手南側は平久里(へぐり)川沿いに田んぼが広がって、のんびりした風景だ。《伊予ヶ岳 標高336.6m》と記された標識前で皆で記念撮影。伊予ヶ岳という名の由来はモノの本には記されていなかったが、前述の「天富命が四国の阿波の忌部一族を率いて肥沃な土地を求め黒潮に乗り布良(めら)に上陸」したとのことなので、故国を偲んだ移住者がつけた名前なのかも知れない。空模様が怪しく雨のニオイがしてきたので急いで下山する。
 パラリパラリとくる中、麓まで下りてくると、小学校の裏手の斜面にしつらえてある30メートルの大スベリ台と、滑車にぶら下がって40メートルのロープを滑り下りる仕掛けを素通りすることは、やはりできなかった。今日初めて三峰の山行に同行した新人美女約1名は、眼前でくりひろげられるベテラン美女約2名の熱中をただただ驚愕の眼で見つめるのであった。
 くるまに乗って走り出すと雨が本格的に降りだした。さっき見つけておいた「コロッケハウス」という魅惑的な響きのお店は残念ながらもう閉店。今日に至るも心残りである。金谷のフェリー乗場にむかう途中、富山町の物産センターに寄る。その名も「富楽里」。「FURARI」と読ませ、フラリと寄ってってけれ!という地元の願いがとても分かりやすい。各々さりげなく試食に走る。
 本日のツアーの最後を飾る東京湾フェリーの旅は、混雑を衝いてせっかく客室のいちばん前の席を確保できたものの、生憎の雨降りとなってしまい、いまいち展望が冴えなかった。波にゆられて久里浜に着くと、フェリーからそのままくるまで京急久里浜駅の近くまで走って解散とした。皆さん、お疲れさまでした。そして、この駄文を読むのもお疲れさまでした。


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