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赤久縄山・オドケ山・御荷鉾
服部 寛之

山行日 2001年4月29日
メンバー (L)服部、小幡、谷川、藤本、金子+息子

 西上州南部に並ぶ赤久縄山(あかぐなやま)、オドケ山、御荷鉾山(みかぼやま。みかぶやまとも)。
 この三者に共通するものは何か?
 考えるまでもなく、これらはいずれもヘンな名前である。
 これらをヘンな名前だと感じられない人はヘン名不感症症候群におちいっていると診断されるので、人生をフイにしないためにも、いちど新宿の母に診てもらうことをぜひお勧めする。
 ヘンな名前なので、登りに行った。
 と言うと、
「そんな動機で山を登ってもいいのかっ!」
 と、生真面目な人はたいてい憤慨する。
「義憤さえ覚える!」
 と、机をドンドンたたいてゆでタコ状態で抗議するおとうさんもいる。(いないか)
 そういう人には、にっこり笑っておヘソでも見せ、
「いいんだバーローベロベロバア」
 と言ってやろう。
 殴られてもオレは知らない。

 世の中には、登山は高尚な趣味だと勘違いしている人が実に多い。その背景には、なぜ世界最高峰に登りたいのか?という質問に "Because it is there" と答えたジョージ・マロリーの言葉が「そこに山があるから」と訳されそれがひとり歩きしてあたかも深遠な哲学的回答であるかのように思われていることがあるからではないか。だがその前に、命を賭して未踏の高峰に挑むアドベンチャー登山と、ガイドブックや地形図片手にその辺の山をうろうろしているうろうろ登山とを同じレベルで論じるという滑稽さがあることにヒトはなかなか気がつかないということがある。後者のレベルの山屋にマロリーの言葉を当てはめたところで、その答えは当人たちには苦し紛れのはぐらかしにしか思えないということが、山をやらない人間には思い至らないらしい。
 本当のところは山を登る理由などどうでもいいのだ。愉しいから登る。それしかない。愉しいからやる、というのがあらゆるスポーツの本質だろう。山登りが愉しくなくなった人間には、必然的に山を登る動機がなくなり、山から遠ざかる。山屋が口にするもろもろの動機は当人たちを登山に駆りたてる本質を説明するものではない。
 ぼくの場合、山名がヘンというのも充分登山する理由になる。そういう山に登るのは愉しい。委員長の立場で申し上げれば、できれば会の研究テーマとして全国のヘンな名前の山を取り上げ、みんなで登りまくってまずは『東日本百ヘン名山』というガイドブックにまとめて売り出し、ベストセラーになったところでつづいて『西日本百ヘン名山』も上程し、その印税で会の事務所ビルを八重洲あたりにど~んと建てたい。それがムリならテント装備ぐらいはすべて新しくしたい。それもムリならせめてもう年も使っているデコボコナンチャン顔の7~8人用コッヘルだけでも買い替えたいと切に願う。

 今回行った三座(御荷鉾山は東西二峰から成るのでピークは四つ)は、かつては登山に数日を要する深山だったらしいが、今は「みかぼスーパー林道」が通じているおかげで実に安直に登ることができる。三座ともこの林道で結ばれているので、それこそスーパーで買物をするようにピークハントして廻れるのだ。しかもすぐそばに「みかぼ高原荘」という町営施設があって、展望風呂で汗を流して帰れるようになっている。なんだか申し訳ないほど安直かつ快適で、こんなんでいいんでしょうかと思わず居ずまいを正したくなるかんじだが、しかしそういう選択肢が出来上っているのが現実だ。気に入らなければ下から登ればいいのだが、気に入らないわけでもないというところが苦しい。厳密に言うなら自分が使いたいときには積極的に気に入ってしまう性格であるところが苦しい。ここの現状は今の日本の地方開発の典型的な一例であるのかも知れない。問題は単純に善悪で論じられるものではなく、日本人の価値観やライフスタイルに根をもっているのでややこしい。
 アプローチは関越道を本庄児玉ICで降りてR462を西へ神流湖(かんなこ)・万場町方面へひた走る。谷底にあるような万場町で塩沢ダム方向へ右折、そのまま上がれば塩沢峠で山腹をはしるスーパー林道にぶち当たる。たまたま万場町では神流川の河原上空におびただしい数の鯉のぼりが横1列縦3列ぐらいでぬわぬわはためいており、その突然の圧倒的空中ドハデカラーにビックリして塩川ダムへの狭い右折路を見逃してしまった。この大量鯉のぼりの群れはこの町の観光名物であるそうで、帰ってからテレビのニュースで知った。
赤久縄山  みかぼ林道に入って、まずは西にある赤久縄山に行く。未舗装の林道に並行して登山道が走っていて、林道と交わる所どころに《↑赤久縄山》と記した標識があって惑わされたが、くるまを停めるスペースのある適当なところから稜線に取り付く。疎林の道をてれてれ歩いて行くと30~40分で頂上に着いた。一等三角点の山だが(1522.3m)、今は樹木に囲まれ展望なし。上空も薄曇りで灰色の閉塞感があるうえにひと汗もかかない距離なので登頂の達成感などまったくなく会話が出ない。実際金子氏は林道に入るまできちんと下から登るものだと思っていたらしく、くるまで登山口に乗りつけ安直に登って廻るのだと聞いて絶句していたのだ。だからなおさら話をする気にもなれないらしい。一応、足のリハビリのつもりで組んだ山行なんですけどぉ・・・。リーダーとしてはいたたまれない雰囲気に、隅に逃げてコキジをうつ。山頂にいた単独のおっさんも垂れこめる重たい空気を察したのか、そそくさと下りて行ってしまった。みんなして山頂の標識前で記念写真を撮ってもみるが、笑顔は出ない。
 気を取り直して北側へ下りてゆくと、小さな花に歓声を上げている5~6人の中年グループが登ってきた。楽しそうな会釈がうちらとは対照的。じきに林道に下りつくと広い駐車スペースに「赤久縄山北登山口」のでかでかとした看板があった。しばらく林道を歩いてくるまに戻り、タメ息を乗せて次のオドケ山に向けくるまをUターンさせる。
 ガタガタ道を塩沢峠に戻ると、そこから先(東側)は観光道路よろしくきれいに舗装されていた。峠からオドケ山の登山口までは3キロ弱といったところ。林道脇のスペース(3~4台)にくるまを停め、てれてれ行く。オドケ山は小さな土饅頭のような山で、正面から上がって頂上の反対側に下りると山腹の東側を捲いて元に戻るように道がつけられていた。頂上(1191m)には至って簡単に何の苦労もなく20分ほどで登頂するが、何の感慨もわかない。無論ここでも会話は出ない。樹林の中で展望は悪いが、木立の間からこれから登る御荷鉾山の東西のピークが仲良く並んでいるのが見える。両方とも特大のテンコ盛り御飯のような形で、その急登ぶりはいかにも登り甲斐がありそうだ。あれに登って二汗も三汗もかけば少しは充実感がでて感慨がわくかも知れないと沈黙の中で希望をつなぐ。
 くるまに戻って次なる御荷鉾山に行く。まずは手前西側の主峰からだ。西御荷鉾山の西登山口(この山には登山口が三つあり西登山口がメイン)に近づいてゆくとくるまも人もいっぱいで、なぜか運動会の役員席のようなテントまで並んで賑やかだ。当初はここから登るつもりだったが、半分ヤケになった(ような)金子さんの発案で東西のピークを分けている投石峠にくるまを置いていっぺんに両方を往復してしまおうということになっていたので、訳がわからぬままそこを通り過ぎて投石峠まで走る。投石峠(1011m)では藍染めの半纏を着たおっさんたち10名ほどが道路脇で車座になって宴会の真っ最中。なんじゃこりゃあとイブカリつつおっさんらを横目で見て西御荷鉾山にとりつく。思った通りの急登で、どやどやと下りてくる何組かの集団とすれ違いながら1時間弱で頂上(1286.2m)に到着した。するとそこでは大勢の人間ががやがやとだべっており、若い消防団の半纏にいちゃんが酔っ払っていてこりゃあ地元のお祭りだあと合点する。芝草の広がる頂上からの展望は広々として、多少もやってはいるがすっきり晴れていればすばらしい景色だろう。ここでは1時間汗をかいた分それなりの感慨が出そうだったが、しかしいかんせん地元民の熱い勢いに圧倒されうちらの声は引っ込んでしまった。またしても沈黙。しばらく腰をおろして消防団のバカ騒ぎを聞きながらじっと眼前の景色を鑑賞する。
 後日図書館に行ったついでに調べてみたら、この西御荷鉾山頂には明治29年に日清戦争の大願成就の表示として六尺余りの石造不動尊像が建てられその縁日が4月28日と記されてあった。行ったのは29日だったので、あのときの騒ぎはこれであったろうと納得した。土曜日に当たった祭礼を日曜日に一日延ばしたところでおかしくはない。またこの山はすでに万葉集に「多胡の嶺」として登場する古くからの名峰であるとも記されていた。多胡は「タゴ」と読み古代のこの辺りの郡名で、「胡」は異国人の意で即ち渡来人が多く住む土地だったらしい。今では想像もつかないいにしえの歴史に驚かされる思いだ。それにしても多胡はタコでなくて地元の人は喜んだだろう。オシイところであった。
 ところで、赤久縄にしても御荷鉾にしてもその名のどこがヘンであるかについて説明していなかった。ぼくの場合ヘンに感じられるのはその音のつながり・響きである。「あかぐな」では「ぐな」という音のぐなさ加減が、「みかぼ」では「かぼ」と発音するときの音のかぼさ加減が可笑しい。なぜそれが可笑しいのか説明しろと言われても困る。可笑しいから可笑しいのであって、これは語感の問題なのだ。それがおかしいと思えない人はぼくのアタマがおかしいと思うかもしれないが、実はおかしいのはぼくのアタマではなくてぼくのアタマがおかしいと考えるのがおかしくないと考えるおかしなその考えなのだ。この考えはおかしくない。オドケ山がなぜ可笑しな名前なのかわからない人は真剣に豆腐の角にアタマをぶつけてみるに限る。豆腐の角にアタマをぶつける可笑しさが実感できれば、オドケ山の名前の可笑しさがわかる日も近いと言えよう。因みに豆腐は冷蔵庫でよく冷やしてから使用すると気持ちいいです。「オドケ」と「オバケ」が一字違いなのにこうも受ける印象が違うのもまた面白いところだ。
 西御荷鉾山から往路を投石峠に戻り、依然として続いているおっさんらの宴会を再度横目で見て、つぎにお隣りの東御荷鉾山にとりつく。実は西御荷鉾山からの下りで小生はだいぶ足にきていて投石峠にはみんなにしばらく遅れて着いた。あとで聞くとこの時点でもう足にくる人はきていたらしい。ちょこちょこ登るだけでも三山に登ればさんざんに疲れる。是、実感也。
 東御荷鉾山は最初からいきなり急登で始まった。吹き出る汗を拭きふき先が思いやられる。しかしある程度高度を上げると、あとは長いトラバースがえんえんと続いた。みんなに遅れをとってとぼとぼ歩いていると下山してきた親子連れの小学生に「がんばってください!」と激励される。その男の子の眼にオレはフーフー言ってるオジサンに映るのだろうか。実際言ってるけど・・・。噫(ああ)無情! 嗚呼哀しき哉わが体型! 突然こみあげる悲壮感によよと打ちひしがれる。オジサン化は進むのだ、時とともに、それなりに。それが現実なのねと腹部あたりを直視しつつも3分で立ち直り皆を追う。
 頂上(1246.0m)に辿り着くと、みんなは石仏の前に腰をおろしリーダーの到着を待たずしてすでにビールでの乾杯を終えうれしそうな雰囲気。缶はとうに空。なんとバチ当りな奴らであろうか。オレは結構くたびれていたこともあり、銀マットを出してフテ寝する。ビールにつづいて小幡氏のザックからはワインが出てきて皆のご機嫌は上昇する。思えば頂上で話をするのは今日初めてではないか! 四峰目にして! 話が出るのはそれなりに汗をかいた達成感ゆえなのか、それとも思いがけなく出てきたアルコールの所為なのか?・・・・・・。寝転がっていたらもうそんなことはどうでもよくなってしまった。
 下山すると、峠の宴会はもう終わっていた。次は風呂である。さっき西御荷鉾山の頂上から見えていた「みかぼ高原荘」へとゆっくりくるまを進める。ここはまだ新しさの残る施設で、好展望の風呂は広くはないがきれいな石造りで気持ちがいい。さっぱりとしたところで休憩室でおのおのしばらく身体を伸ばす。飲み物は自販機だが、おつまみは勝手に取って料金を箱に入れるシステムであった。こういうゆったりした態度を示されると客としても嬉しくなる。日本もまだ捨てたものではない。そういう気分になる。入浴料は忘れたが、500円前後ではなかったか。地元万場町の経営なので安かったように記憶している。

 それにしても皆さん、お疲れさまでした。

オドケ山

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