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五月合宿 北ア・双六岳周辺
その2 のんびりスキー隊
藤井 和義

山行日 2001年4月29日~5月6日
メンバー (L)藤井、野口

「序」
 やれるかな・・・予備日が3日もあるし・・・ヨシ行こう!

4月29日
西荻窪駅出発15:00→(中央道・安房トンネル)→道の駅奥飛騨温泉郷22:00
「宅急便に感謝の巻」
15:30調布ICから中央道にのるも、変な胸騒ぎがして八王子付近で私はシールを忘れたことに気づいた。引き返すのも面倒だし・・・、そうだ、まだ4時だから宅急便に頼んで明朝の10時迄に登山口の神岡町へ配達してもらうことにしようと、我家に電話して、
「ひとつ宜しく御願いしますヨ」で何とか一件落着となりました。長野県に入ったころに小雨が振り出した。

4月30日
神岡町(10:00) → (双六渓谷タクシー)飛越トンネル直前(11:00) → トンネル上(12:00) → (飛越新道)芭蕉平(13:20) → 神岡新道合流点(15:00) → 鏡池手前幕営(16:00)
「シールの賞味期限の巻」
 9時頃に雨が止んだ。トンネルの手前左側から急登してトンネルの真上に着いた時は半分以上が青空になっていた。ここでスキーをはくことにする。当然シールも着けるが、芭蕉平で相棒のシールの粘着力がゼロになってしまったのである。幸い天気が快晴になっていたので乾燥させようということになり、大休止となった。30分くらいで乾いてしまったシールを着けて進むが間もなく外れてしまう。仕方なくガムテープなどで応急処置をしたら支障なく進めるようになったのでお互いホッとする。問題のシールは新品であったが、購入して3年経っているとのこと、使用する際には事前に吟味する必要があるという結論であった。
 さて、入山初日でもある為早めに中止し、見晴らしの良い平坦地で幕とした。

5月1日
出発(6:15) → 寺地山(7:05) → 避難小屋(8:15) → 稜線(11:15) →北ノ俣岳(12:00) → 中俣乗越(13:20) → 黒部五郎岳直下幕営(15:00)
「顔が変の巻」
 前夜に満天の星を観た快晴無風状態が今朝も続いている。とにかく天気が良すぎて半袖で充分だ。避難小屋手前付近から稜線まではゲレンデで傾斜も丁度良く、次に狙いたいところである。避難小屋は、1/3程雪に埋まっていて利用した形跡がない。薬師岳を左前方に見ながら高度を上げて行くと、左遠方に立山、剱岳が望めてくる。良すぎる天気に、感激! 感激! 稜線の直前になると一歩毎に景色が動く、そして反対側の山の先端を捕らえた次の数歩で涙がチョチョギレそうな感動の大パノラマが目に突き刺さった。
 何という峰々!
 何という静寂!
 しばらく留まった後、思い出した様に北ノ俣岳頂上に向けて緩やかに登り始める。頂上でシールを外して滑降開始となる。赤木岳の左側を巻きながら中俣乗越まで緩やかな下りである。依然として快晴無風、中俣乗越から目前の小ピークを左から巻越したコルで幕営と決定。まわりの景色に感激し続けていたが、ふと相棒の異常に焦げた顔に気づいて我顔面をさわるとヒリヒリ痛い。我もあんな顔になってしまったのかと不安がるも確認の仕様がない。夕方になって弱い風とガスが出てきた。それにしてもヒリヒリと顔が暑い。

5月2日
出発(8:15) → 黒部五郎岳(9:25) → 黒部五郎避難小屋(11:00)
「孤高の人の巻」
 目前に黒部五郎への急斜面があるが、何とかスキーをはいて登れそうだ。今朝も晴れているが天気予報では下り坂とのこと。早めに小屋まで行っておきたい。さて黒部五郎岳の肩からカールを覗くと垂直に近くみえたのだが・・・、頂上から稜線を少し北東に行った地点に旗が立っていて、カールへの降り口を示しているようだ。ナルホド滑り降りた跡が残っているが、かなり緊張する急傾斜である。他にルートがある訳でもないので、エイヤッと飛び込む。緩斜面になったところから斜滑降で右手の稜線沿いに避難小屋までの下りだ。途中でガスが出てきて、行手が見え隠れするも無事小屋に到着だ。小屋の西側には2階の出入口が、東側には1階の出入口がある。西側からたどり着いたので2階の扉を開けると、1人の小父さんが仏像のように鎮座していた。
「我等2人ですが余地はありますか?」と尋ねると、
「自分一人ですから奥が空いてますヨ」との返事で今夜の寝床を確保。14時頃から雪が降り始める。
 3人の学生が着いて、1階部分を使用することになる。雪の降りが夕方に強くなって来たようだ。

5月3日
出発(10:50) → 稜線着(12:10~13:00)
「判断の巻」
 朝になっても雪が降り続いている。停滞するのも何となく気が進まないし・・・、様子を見ていると9時頃に雪が止み、時々青空が見える様になったので出発することにする。30cm位の積雪であった。トレースは消えていたが、晴れてきたので見通しが効き進路に問題は無かった。スキーでのラッセルを一番手を交代しながら進む・・・。と稜線の少し手前でガスが出始めて、広めの稜線に立った時は完全なホワイトアウトに成ってしまった。しばらく様子を見ているとガスが霧雨に変わり、風も吹いてきたので、相棒が幕営を語り、我も同じて早速幕となった。後続の学生3人がトレースを追って我等まで到達したが、お先真白で隣に幕営となり、その後の単独行が2人で計4張のテント村が出来たのである。やがて風雨が強くなっていった。

5月4日
出発(6:30) → 三俣蓮華岳(8:20) → 丸山(9:30) → 双六岳(10:30) → 双六岳(11:30)
「禁煙の巻」
 今朝の天気は、風が少し残っているけれど快晴に戻っている。昨日の白く冷たいカーテンが開かれたら、やっぱりスゴイ景色がそこに在った。笠ヶ岳が随分と近くなっているので、壷足隊はどの辺かなァーと稜線に目を走らせてみる。三俣蓮華岳の頂上から相棒は、トラバースルートで一気に仲間の待っている双六岳を目指す。我は一人ノンビリ稜線のルートを進むと、オスの雷鳥同士で走ったり飛んだりのバトルを繰り広げている。しばらく様子を眺めていると、元来この辺を縄張りにしていたと思われるオスが侵入者を追っ払ってハイマツの住家へ戻っていった。・・・と今度はメスと一緒に現れてこちらを気にしている様子なので長居は無用と双六に向う。相棒が何故仲間のところへと急いだのか? 彼は少しでも荷物を軽くする為にタバコをなんと置いてきたのである。禁煙するつもりは毛頭なく、従って前述の行動と相成ったのである。双六岳の頂上まで来たら、あとは突然多くなったスキーヤーに混じって滑り降りれば双六小屋である。途中で仲間やテントが確認でき、やがて彼らの声援が聞こえてきて遂にヤッタ!?と顔が緩んでくる。やがて久しぶりのマトモな食事にありつけて顔が更に緩んでいったのである。

5月5日
出発(7:45) → 樅沢岳のコル(9:00) → (滑降) → 樅沢出合(9:50) → (湯俣川/弥助沢) → 樅沢出合(11:40) → (樅沢を詰める) → 帰幕(14:20) → 出発(15:10) → (双六谷滑降) → 大ノマ乗越出合(15:40) → 大ノマ乗越直下に幕営(17:30)
「スキーは楽しの巻」
 快晴微風である。山スキー隊4人+2人が合同して行動することになった。笠ヶ岳に向う壷足隊を見送った後、体調の良くない井上さんを残した5人で樅沢岳へ登る。頂上を越えたコルがスタート地点だが、樅沢を覗いた野口さんの具合が悪くなり? 少し気分に迷いが生じている四方田さんを無理やり押し出して4人の大滑降となった。背中に重い荷物が無いので、転びながらも大いに楽しめたのである。出合から湯俣川を登って三俣蓮華岳へ向うが、行手沢筋の状態が悪そうに見えたことと時間をあまりかけたくないことの理由で、樅沢の出合まで滑り戻ってから樅沢を詰めて双六岳に向った。この樅沢は広くて傾斜も丁度良く「是非次の機会に」と皆思う。2時過ぎにキャンプに戻り、体調の悪い人もいるので少しでも先に行こうと撤収して帰路の双六谷を滑降すると、程なく大ノマ乗越基部に到着した。ここから一汗二汗かいてラッセルしながら登るも乗越手前でタイムアップ。基部を見下ろすと、後で判ったことであるが箭内さんチームが幕営していた。

5月6日
出発(6:40) → 大ノマ乗越(7:00) → 緩斜面デブリ先端(8:00) → 新穂高温泉(11:00) → 入浴 → 帰宅(19:30)
「温泉はいいネの巻」
 今日も朝から良い天気であった。いろんな事があったけれど、仲間全員無事に下山出来て何よりである。車回収の都合で、自分と相棒の野口さんの2人で中崎山荘のお湯を浴びていたのだが、静かに目を閉じていたら北ノ俣岳が浮かんできた。

(完)

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