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箱根・駒ヶ岳から神山、冠ヶ岳
服部 寛之

山行日 2001年3月18日
メンバー (L)服部、小幡、遊佐、井上(博)、(藤本、斉藤(誠))

 私の家の近所から箱根が見える。いや、正確に言えば、見えた。今のように家が建て込んでおらず開けた畑がまわり中にあったこどもの頃は蒼い山並みと富士山に縁取られた風景の中で遊んでいた。特別意識はせずとも箱根はその山並みの中にあった。今でも少々歩いて浜まで出れば、じっくりと箱根の山々を遠望することができる。
 山歩きを覚えてからしばらくは丹沢にもよく足をはこび、記憶の外周を縁取っていた山々もより身近に感じられるようになった。しかし箱根の山に足を向けることは殆どなかった。箱根はこどもの頃から温泉場であり観光地であって、気持ちの中では登山の対象となり得る場所ではなかったのだ。自然を楽しむには余りに開けすぎているということもあった。それに丹沢を歩いて「近所の山」には食傷ぎみにもなっていた。その頃やはり山歩きを楽しんでいた母が時折箱根に出かけてはその話を聞かせてくれていたが、私の心は動かなかった。旅は日常を離れて遠くに出かけてこそ浪漫を感じるものである。私にとっての浪漫はそこに見える箱根にではなく、その稜線の向こうにあった。
 その思いを変えたのは一冊の本であった。足を悪くしてのち、ある日杖をつきながら出かけた本屋にそれは積まれていた。『箱根人の箱根案内』(新潮!文庫)。著者の山口由美の名は知らなかったが、「箱根生まれの箱根育ち」とカバーに添え書きがある。パラパラやってみると、箱根の地理や歴史、自然、生活など、人文地理的な話が連ねられている。あらためて考えてみると、箱根について知っていることはあまりないのであった。それに、「歩いてみたい!徹底ディープな箱根百色」というサブタイトルがそそった。開けて交通が発達している箱根ならリハビリで行く山にはちょうどいいかも知れないという予感があった。
 読み始めると、よく整理されテンポのいい文章に引き込まれていった。240頁は長くはないが充実していた。地元に育った者の愛情のこもった視線は箱根の価値と魅力を伝えて余りあった。そこで、一番高い神山にまず登ってみる気になった。二重の外輪山をもちポコポコ頂きを連ねた箱根の最高峰がそのど真ん中にあるというのもなんだか笑えて気に入った。(改めて言うのもナンだが、箱根山はこの三重式火山の総称で、箱根山というピークはない。)

 当日の朝、小田急線の本厚木駅で皆を拾い、小田原厚木道路で箱根に向かう。前夜からの雨は天気予報ではもう上がってもいいのだが、駒ヶ岳の麓に着いてもまだ霧雨が残っていたので、雨が上がるまでの間湖畔の箱根神社の裏手にあるというヒメシャラの純林を見に行くことにする。『箱根人の・・・』によると、ヒメシャラは箱根を代表する樹木のひとつで箱根山のあちこちで見られるが、神社裏の純林は県の天然記念物に指定されているという。境内に入ると杉の大木が立ち並び鬱蒼とした雰囲気はさすがに歴史を感じさせるが、社殿裏手のヒメシャラ林はヤブが密に生い茂りこちらは人々の関心のなさを如実に感じさせた。以前長九郎山で見たヒメシャラの純林が美しかったので期待したのだが、この有様には正直がっかりした。一本一本はきれいなヒメシャラが泣いているようであった。歴史が積重なった場所だけに、文化を守る人々の意識がよけいに透けて見える景色であった。
 小1時間もすると芦ノ湖を隠していた霧も動き出し陽射しがさしてきたので、駒ヶ岳ケーブルの駅へ行く。駒ヶ岳の山頂へはロープウェイでも行けるが、同じ山頂に上がるなら安い方がいい。上がってみると、ナンと山頂の雪はすでに殆ど消えていた。先月浜石岳から遠望したときは箱根のピークは真っ白で、つい先日の新聞にも今年丹沢は稀にみる大雪でまだ1メートル近く雪が残っていると載っていたので駒ヶ岳にも当然雪があるものと思っていたのだが・・・。この山頂は木がなくハゲているので雪解けが早いのだろうか。因みに、この駒ヶ岳という名前も馬の形をした残雪に由来すると例の本にあったが、残念ながらそれがどういう形をしてどこから見えるかまでは記されていない。
 気を取り直して神山へ向け出発する。ケーブルの山頂駅は神山とは反対側の端にあるので、神山へは駒ヶ岳の山頂を突っ切ってゆくことになる。駒ヶ岳山頂の中央にある社殿(箱根元宮)に近寄ってゆくと、手前の石畳に正座して祝詞をあげている人がいて驚く。悪いとは思いながらその脇を通らせてもらったが、真剣に気合の入った女性の声なのでさらに驚く。世の中にはこういう人も居るのだ。振り返って声の主を拝顔するのは失礼かと思いやめた。
 神山へは一旦駒ヶ岳との鞍部まで110メートルほどの高差を下りて上り返すのだが、この下りの道が悪かった。雪解けで土はドロドロ、詰まった雪はところどころ凍結している。途中でスパッツをつける。一転して神山にかかると積雪が増えて足元の状態は改善された。駒ヶ岳とは対照的に神山は頂上まで樹林に覆われているためか林床にはまだ雪が残り、駒ヶ岳と比べてこちらの方が山全体として冷えているような印象がある。山が冷え性なら神山の神様は女性である可能性が高い。途中で休憩していた中高年パーティーを抜くと「若い人たちは速い」と言われたが、誰を見てそう言ったのか。
 神山の頂上(1437.9m)は箱根の最高地点だが樹林に囲まれ残念ながら展望はない。その樹林の中から単独行のガイジンのあんちゃんが現われたのでそっちへ行ってみると、20メートルほど木をくぐった先が崖になって視界が開けていた。しかし見えるのは中空に渦巻くガスのみ。例の本によると、この山頂近くの林の中では神山だけに自生する「ハコネラン」という亜高山帯の植物が可憐な黄色い小さな花をつけるそうだが、無論今はまだ雪の下で眠っている。
 少々休んでからその先の冠ヶ岳まで足をのばす。北斜面に出ると雪の量がぐっと増えた。急斜面の踏み跡を慎重に60メートルほど下り、続いて北へのびる細い尾根をたどる。山頂は狭く人もいたので、その先のヤブを少し入って木の間に銀マットを広げコーヒーなど淹れて大休止とする。展望は良くないが木の間から外輪山が見える。3、40分休憩して往路を戻った。
 駒ヶ岳に戻ると、天気が回復したので人も増えていた。大半はロープウェイで上ってきた観光客らしく、ハイキング姿は殆どいない。湖を見下ろせるところまで行って遊歩道の縁でトカゲをきめこむ。大きなガスのかたまりが依然として湖を隠していたが、切れ間からはキラキラ輝く光の上を遊覧船が音もなく滑ってゆくのが見えた。すぐにケーブルに乗って下りてしまうのはもったいなく、皆でしばらくボーッとしながらゆるゆると風に吹かれていた。
 帰りは湯本の「弘法の湯」に寄った。国道1号沿いの早川にかかる三枚橋から旧東海道を500メートルほど入った左側にある。日によって男女の湯殿が替わるそうだが、広くてなかなか気持ちの良い湯であった。しかし入浴料に900円も取るうえにロッカーに入れた金100円も返ってこないのは暴挙ではないかと強く思った。
 今回はリハビリ向けコースで物足りなかった向きもあったようだが、お許し願いたい。なにせ足のリハビリを前提に組んだ山行だったのだから。しかしリハビリコースとしては丁度良かったのです。新人が行くのでお助けマンとしてご同行願った小幡氏には深く感謝申し上げます。

(茅ヶ崎市在住)

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