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鷹ノ巣山集中山行
その4 鷹ノ巣谷(体力不足隊)
鈴木 章子

山行日 2001年6月2日~3日
メンバー (L)植村、勝部、鈴木

 6月23日ルームを終え帰宅するとすぐ、鷹ノ巣山(奥多摩)だから隆チャン(植村)を誘って集中に参加しようよと、勝チャン(勝部)に電話をする。電話を切って10分後、再び勝チャンから、隆チャンは、「いま、非常に忙しいが努力をしてみます。」との連絡。
 その後1週間が過ぎても音沙汰なし、10日過ぎても音沙汰なし、5月29日ルートが定まらず資料持参で5月31日作戦会議を開くため西国分寺駅にPM11時集合の連絡あり。急いで服部さんにこの旨を連絡するがなんとなく馬鹿にされた笑い。ムッ!
 当日、約束の場所に行くと見慣れた顔が待っていた。半年振り、勝チャンの腹を見て、「腹巻をしてきたの?」と尋ねてしまった。隆チャンは相変わらずマッチ棒の体で咳をしていた。私はといえば睡眠不足でボーとしている。何とも惨めなパーティ。
 そんな私たちがまずしたのがスーパーへ食料の買出しだった。家にある米、キュウリ、沢庵漬、蟹缶、そしてお正月の残りの餅、これが今回の持ち物。スーパーを1周して野菜炒めに決めた。野菜炒めセット150円が高く、もやし3袋とベーコン1袋とソーセージを買って出発。(この時点で私は、「どうせ鷹ノ巣沢だろう」と考えていた。)
 その後、一路隆チャンの車で奥多摩へ向かう。奥多摩駅に立ち寄るが、見知らぬ人ばかり。私たちはもえぎの湯の駐車場で仮眠をした。
 翌朝、6時から駅前で誰か来るのを待っていたが誰も来やしない。中高年登山者たちが電車の着くたびに元気よくバス停に走っていく。あのパワーを少し貰いたいものだ。なんと元気なことか。8時近く、駅前でふらふらしている野口さんに出会う。水根沢隊を待っているとのこと。野口さんに二人を紹介して、私は構内の売店で店員らしく振舞い、過ぎ行く人を見ていた。8時20分着の電車と同時に、元気な小林(とみ)さんが階段を駆け下りてくる。彼女のパワーも負けてはいない。少し遅れて藤井さんとも合流。私たちはまだルートが決まらず、とりあえず藤井さんたちを日原まで送ることにする。このとき初めて鷹ノ巣谷へ行こうと話しがまとまる。何と長い前置きなんだろうと自分でもいやになる。でも今回は二人のため。友情とは辛いものだ。
 とにかく、コンビニに行き、遡行図のコピーを取る。資料だけはかなり有り、案も多く出たが、体力がない、アプローチが長い、藪が長い、登りが多いなど、他に彼らを満足させるものがなかった。日原まで行ったものの、結局藤井さんたちを八丁橋(出合)まで送ってしまった。今回一番得したのは絶対彼らではないだろうか。私たちは日原へ戻り身支度をしてやっと出発。
 今回テントは私が持つ約束、黙って最後部をついて行く。水が冷たい、登りが辛いと言いながらも彼らは幸せそう。やっぱり誘ってよかったなと一人微笑む。
 沢は特に難しくはないが水が冷たい。極力濡れまいと努力する。3人心の中は「濡れたら帰ろう」と一致していた。始めからシュリンゲ・ザイルは使う気はなく、ザックの外には1本も見えない。岩に貼り付いて動けなくなっていても、御助け手も出ない。上からただジーと見つめている。何と暖かい目。私も早く自立しなければ・・・。心決まれば私にだって技量はある。絶対頼まないもんね、フン。
 大滝で2パーティに出合う。彼らはザイルを出して滝を登っていた。彼らを横目に右側のガレ場を登る。これも苦戦の対象ではない。難なく上部に着く。その後、暫く登った二股で朝ご飯?にする。間もなく3人組のパーティが通り過ぎていった。このパーティは、山頂までなんとなく抜きつ抜かれつ同行していた。他の2人組パーティは、大滝の上から登山道に抜けたようだ。食事を終え、水線通しに上部へ向かう。途中大きな雪渓に出合う。北斜面で、今年の冬は大雪だったせいだろう。久々に、この季節奥多摩で雪渓を見た。15年くらい前に、この沢に入ったことの有る勝チャンの話で全員納得。その後、水はなくなり、待望の藪漕ぎとなる。獣道が確りしていて、つい右にフラフラ、左にフラフラ。地図も出さずに勘のみ。何と恐ろしいパーティ。服部さんが見たら発狂してしまうだろう、きっと。コッチダヨー、アッチダヨー、とさまよえること2時間。途中軽い夕立に出会いながらも、何とか石尾根に出る。ここからわずか20分の登り。辛かった、辛かった。10歩歩いては溜息、10歩歩いては後悔。なんとか山頂になだれ込む。少し先を歩いていた3人組のパーティは、こちらよりは少し元気そうだったが、年は同じくらいだ。彼等は稲村尾根を下山していった。
 時刻は15時35分。
「今、下れば16時には間に合うんだよー」と負けず嫌いな隆チャン。
「だったら先に下れよー」と私。いつもの問答が始まる。そばで勝チャンはニヤニヤ。16時まで山頂で討論。やっと腰を上げ小屋へ向かう。
 10分ほど下ると小林(勝)、小林(とみ)さんが手を振るのが見えた。山頂まで迎えに来る約束だったんじゃなかったかい、とみさんヨー?
 ヤシオツツジが満開。きっと美しいのだろう。しかし3人にはそんな余裕はなかった。結局小屋に着いたのはビッケ。体力不足隊良く頑張った。誰か褒めて欲しい。
 その後、夕食時間になるが、何と惨めなことか。つくづく150円の野菜炒めにすればよかったと後悔。炒めたもやしが鍋の底でしんなり座っていた。唯一の沢庵は、大判振る舞いをしてあっという間に無くなった。蟹缶ときゅうりはサラダにして密かに食べてしまった。大テーブルの端で3人こそこそ食べるが、お腹は満たされない。隣の鍋にはパブリカのチンジャオロースー、前の鍋にはマーボー春雨、奥の鍋には生肉、レバー、ゴーヤ瓜・・・。こうなれば神が与えたいつもの手、古代からの武器「箸」を片手に、各パーティに愛想使いの会話をする。この時だけは大嫌いな酒飲みが大らかに見えてくる。総勢22名、8コース。久々の大人数。三峰以外のパーティ4~5隊、きっと迷惑かけただろうな。
 暗くなるのが待てずに焚火を始める。これから火の前でエンヤカ、ドンチャカが始まるのだ。ここをテレトリーにしている野鹿が近くで呆れ顔して見ている。
 その後私は早々に寝てしまって、その後の経過は知らない。12時ごろとみさんがテントに入ってきて、寝る支度をすると言って大暴れしたことは覚えているけど。
 翌朝、隣のテントの菅原さんが「御来光」を見るといって、求君と山頂に上っていった。お日様はかなり上に昇っていたが、あれも「御来光」というのだろうか。近頃の流行り言葉にオバサンはついていけない。
 朝食、夕べの残りご飯に水と塩を加えおかゆを食べた。せめて花カツオがあれば、いやいや暖かい友情、勝チャンのお腹を凹ますためにチビと痩せっぽちの二人我慢しましょう。
 8時30分。記念撮影後、解散。再び喘ぎながら山頂に向かい、稲村尾根を下山。登ってくる人の多いのに驚く。休憩は2度取ったが、1時間分で降りられた。
「奥多摩もえぎの湯」で石尾根隊と合流。一路都心に向かう。総勢7名、車の中は人と荷物と疲れた空気で一杯だった。
 今回の成果。集中は食料は軽く質素でいい。広い心、箸、そして少しだけすまなそうな態度、これさえあれば食にありつける、生きていけるのだ。(長老からのアドバイス)

〈コースタイム〉
6月2日 日原登山口(10:05) → 大滝(12:00) → 登山道出合(15:10) → 山頂(15:35~16:00) → 小屋(16:20)
6月3日 小屋(8:40) → 山頂(9:00~9:15) → 日原登山口(11:00)


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