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丹沢表尾根・清掃ハイク
服部 寛之

山行日 2001年9月2日
メンバー (L)服部、田原、小幡、藤井、内山、藤本

 清掃山行には以前一度だけ行ったことがある。私が三峰に入会して間もない頃だから、もう十数年前のことだ。その時は都岳連の主催で、奥多摩の日出山から五日市へと延びる金毘羅尾根を掃除しながら下った。
 今回清掃ハイクを行なったのは、昨年度末に入会案内を見直した際、会のプロフィールの中に「自然を守るため、保護・清掃活動を行なっています」という一文があるのを見て改めて「ン?」と思ったからだ。都岳連でそういう活動をやっているのは知っていたが、三峰で会としてそういうことに積極的にかかわったという記憶は殆どない。勧誘のための格好付けとしても「ウソ書いちゃマズイべや」と思い、またかねてからあちこちの登山道にゴミが散乱しているを情けなく思っていたこともあり、今年度の年間スケジュールに会の活動として組み込むことにしたのだ。大集会でそのことに異議を唱える人はいなかったが、しかしフタを開けてみて総勢6人という陣容には正直ガッカリした。うちの会には70人からの会員がいるのだ。実働4割としてももう少し集ってくれるものと思っていた。私の委員長としての指導力のなさを棚に上げても、この人数はいささか情けないのではないか。

ヤマゴミバスターズの面々

 しかしまあ、微力ながらもゴミさ拾って歩きゃちったぁ山もきれいになんべ、ということで、夏休みの賑わいも消えたであろう菊月の2日、2001年宇宙の旅ならぬ2001年丹沢ゴミ拾いの旅の起点秦野駅に、我ら三峰ヤマゴミバスターズ6名は0840時集結し、いつもとおんなじ山屋スタイルの下に燃える拾魂を秘めつつヤビツ峠行きのバスに乗り込んだのである。
 ヤビツ峠に着くと、ほぼ満杯のバスの乗客の大半はただちに大山へ登って行った。うちらは便所前のベンチに陣取りゆっくりと手足など伸ばしてエンジンを始動、ここで私がおもむろにゴミ袋(以前山溪からもらったもの)を取り出すと、腕章つけてすっかり指導員顔になった田原氏がまだ身仕度している周囲の登山者に強引に配る。皆おとなしく受けとってくれる。中には首をちぢめて恐縮している人もいる。田原氏も心得たもので、人間ふいにでかい態度とでかい声で当然のように物を押しつけられると萎縮して迷惑げな態度は取れなくなるのだ。隊員にも袋を2枚ずつ配り、次いで本日のブキである最新鋭のゴミバサミ(実態はホームセンターで調達してきたステンのヒバサミ)を各自に配布し、9時30分、イザ出発となったのである。
 本日の予定はここから岳ノ台経由で二ノ塔、三ノ塔を通って塔ノ岳まで行きバカ尾根を大倉へ下りるというものだが、しかし清掃ハイクの要領などトンとわからぬゆえどれくらい時間がかかりどれくらいゴミが出るかなど皆目見当がつかない。幸いこの表尾根には戸川林道へ下りて大倉へ出るエスケープルートが何本かあるので、情況次第で適当に切り上げることにしておいた。
 ヤビツ峠から岳ノ台へのルートはあまり人が通らない道らしく殆どゴミは落ちていなかった。しかし岳ノ台のてっぺんのベンチと展望台のある広場にはある程度落ちていた。ここで一本取ることにして展望台に上がってみると、ひらけた眺めに心地良い風が通って気分が良い。田原氏も展望台に上がって気分良く吹かれ出したので、ここでお燗セットを出されてはマズイと気付きすぐさま出発する。その先の菩提峠には板張りのパラグライダー用離陸台がしつらえてあった。
 そこからは一旦林道へ下りて再び二ノ塔へ向け登り返すが、ここの取りつきは簡単にクルマで入って来られるためかゴミだらけだ。ゴミ拾いに来てゴミが全く落ちてないのもムナシイが、こうあり過ぎるのも困る。しかもうかつに藪に踏み込むとキジの餌食となってエンガチョされてしまう危険もある。ここではH系の雑誌を見つけた女性陣が拾うのを躊躇していると、笑みを隠しきれない小幡氏が「ひでえなあ」と言いつつも妙に明るい声で回収して行った。また田原氏が中味入りのウイスキー瓶を回収した。物も拾われる人を選ぶというのは本当だ。この取りつきから二ノ塔へ上がる道は富士見山荘から二ノ塔へ行く道ではなくその南側の尾根につけられた道で、メインルートでないためか上りはじめると意外とゴミは少ない。ゴミ散乱地帯で時間を取られたこともあり、途中で早くも12時となって昼飯とする。ここでついにお燗セットが出てしまい長居を覚悟させられるが、悪びれる様子もなく嬉しそうに燗をつけてる当人はさすがに肝がでかい。
 二休みぐらいして腰を上げ、二ノ塔の手前で菩提方面へ下りる縦走路に合流すると、途端にゴミが増えた。ビール缶やジュース缶に混じってなぜかクルマのヘッドランプが落ちている。二ノ塔の頂上直下には大量の細かい瓶くずが散らばり手のつけようがなかった。また、内山さんがビニールをほじくり出してみると、皮肉なことに「ゴミは持ちかえりましょう」と記された山溪のゴミ袋だった。
 二ノ塔の頂上にもたくさんのゴミがあった。私が座ったベンチの足元にはコンビニの袋に入ったジュースの空き缶が埋められていた。わざわざ穴を掘って埋めるくらいならなぜ持ちかえれないのか、理解に苦しむ。ここで休んでいると膨らんだゴミ袋とゴミバサミを見て「ご苦労様です」と声をかけてくれる人が多かったが、中には「ゴミを捨てて行く者には山に登る資格がない!」と憤慨するおじさんもいた。確かにそうだろうが、しかし山に限らず海でも川でも街でも里でも日本全国津々浦々でゴミは投げ捨てられており、これは山を歩く人間だけの問題でなく曖昧好きな日本社会の伝統たる無責任体質の顕れであるように筆者には思われる。「民度」という言葉は好きではないが、これはやはり民度の問題だろうと自虐ぎみに思う。
 人が休むところは必然的にゴミが多くなるのだろう、三ノ塔の山頂にもやはりゴミが散らかっていた。飲料缶のプルタブなど古いゴミも多く、一部には雑草の根の下からゴミが顔を出している状態であった。驚いたことに、山頂小屋から40~50メートル北側へ行ったところにかなりのゴミが散らかった裸地斜面があり、踏みつけてみるとふかふかで、大量のゴミが埋められているようであった。山頂に残されてゆく大量のゴミに手を焼いた誰かが埋めたのだろうか?すでに手一杯の小人数では掘り返すわけにもゆかず、表面のゴミだけきれいにして見苦しくないようにしておいた。
 このように三峰ヤマゴミバスターズの活躍は続いたのであったが、しかし三ノ塔に着いた時点で時計はもう14時を指しており、塔ノ岳をまわって行く時間はなくなってしまったので、次の烏尾山まで行って戸川林道に下りることにした。ゴミ拾いは思った以上に時間がかかる。烏尾山頂でまた少しゴミを拾ってから下ったが、この道は結構荒れていて思いのほか時間をくった。下りついたところは、新茅ノ沢の少し大倉寄りにある広い駐車場広場だった。そこから林道を1時間少々歩き、18時半ころ戸川公園の吊り橋のたもとに停めておいたクルマに辿り着いた(服部が早朝回送しておいた)。ここでみんなのゴミをまとめて分別してみると、大きなゴミ袋2つ強の分量になった。たいした清掃にはならなかったが、しかしゴミは確実に減って表尾根の峰々もヨロコンでいるであろう。その後渋沢駅前の呑み屋でお疲れさまの乾杯をして解散となった。皆さん、ご苦労様でした。
 尚、ゴミの処理については翌日服部が地元の市役所に問い合わせたところ、ゴミは発生地の自治体内で処理するのが原則で、外部からのゴミは受け付けないとのことであった。しかし今回は量が少ないので、通常の収集日に回収してくれることになった。次回同様な企画をたてる際は、清掃地域の地元の清掃局とゴミの処理についてあらかじめ話をつけておくことが必要と思われる。また、今回購入したゴミバサミ6本は会の装備表に加えました。


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