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谷川・芝倉沢出合集中山行
その6 平標山~蓬峠~芝倉沢
鈴木 章子

山行日 2001年10月6日~8日
メンバー 単独

 前夜発、服部号に便乗、土合駅にて泊。
 翌朝、服部号は(7:00頃)姫3名(内山、藤本、伊藤)を伴い天神平ロープウエイ乗り場に出発。一人駅に残され8:32発下り電車を待つ、とぼとぼと土合駅の階段を下る、この階段を下るのは初めてではないだろうか。
 土樽駅を降りたのは3人、2人は万太郎沢に行くとか。ひとり平標新道に向かう。長い長い辛い辛い道、西ゼンの紅葉が見たくて、しかし、「矢場ノ頭」辺りから上部は濃い霧の中、今日の目的は果たせなかった。それでも、時折風にあおられガスの切れ間に見える紅葉は美しい。それになんと言ってもこの道は原生林そのまま、両手広げて3倍もありそうなブットイブナ林が続く、谷川周辺では残された古道登る人は少ない。
 途中男女一組のパーティが通過。「今から登るのですか?」と不思議そうに尋ねられた。
 もう一組、ゆったりと上る中高年の男性2人。彼らの会話が印象的。ガスの切れた山々を見ながら無残に作られた林道を指し「あれも、もう2~3年で終わりですね」
 おそらく特殊法人見直しのことを言っているのだろう。もしそうなれば嬉しいことだ。
 彼らを追い抜きドンドン登ること5時間。ようやく山頂に立つ。山頂では、中高年ばかり7~8組のパーティが寒そうに食事をしていた。山頂に「着いた」と叫んだ私を白い目で見る。どうして一緒に喜んでくれないのか?小屋から1時間足らずで登って来る彼らには私の大変さは理解できないだろうが。小屋番は今日から3日間はいるという。
 平標山からの稜線の紅葉は終っていたが草紅葉が美しかった。エビス大黒避難小屋まで木道が引かれゆったりとした稜線。晴れていたらどんなに美しいのだろう、残念で堪らない。しかし寒い。ありったけの服を着て歩く。風にさらされた稜線。鼻水がグスングスン。雨こそ降らないが霧の中しっとり濡れた髪の雫がショッパイ。避難小屋からヤセ尾根を急ぐ。本日の目的は大障子避難小屋、しかし、タイムリミット、越路避難小屋に泊まる。既に4人組(男2、女2)の先客がいたが気持ち良く受け入れてくれ、果物、お茶をご馳走になる。寝るときは中央で寝せてもらい暖かく本当に助かった。女性単独を続けていると不愉快なことが多い。特に中高年の男性に一言言いたい。
「山を愛する心、山登りへの努力は何処も同じじゃ、もっと心を開け」

 翌日、4人組パーティより一足先に出発。万太郎山山頂で女性2人組に出会う。昨日は殆ど人に出会う事は無かった。天気も昨日同様、霧の中、人に出会うことも少ないだろうと思いながらドンドン進むが、肩の小屋に着いたとき唖然。トイレは長蛇の列、途中の稜線でもやっている。トマノ耳では撮影待ち、それではとオキノ耳に向かえばここでも全く同じ光景。私より大きなお尻と足が悲鳴に近い声と共に登って来る。
「もっと先に行きたいので通して下さい」と言っても聞いてくれない。数回繰り返しても聞いてもらえず遂に爆発「ドキャガレ!!」
 浅間神社奥の院を過ぎると人も減りいつもの縦走路と化す。ガスも切れだし紅葉、笹の緑、草紅葉のコントラストが美しい。武能岳山頂では心身とも満喫した。ここから芝倉沢まで約3時間、ヘッデンをつけ両手に箸を持てば何とか食にありつけるだろう。18時頃着くのが手頃かな??昨日も大したものは食べてなかったし・・・・
 しかし女神はここでも私に冷たかった。武能下山中に出会った埼玉○○○○山岳部所属の単独行の男性の道案内で15時半に着いてしまった。(私の持参した地図は20年前、恥かしくって出せなかった。)彼とはここで別れたもののテント場には、広瀬夫妻、吉岡親子そして遠路はるばる大泉さん、焚火は今点いたばかり。夢に見た歓迎も無ければ食べるものも無い。渋々自分のバーナーを出し茶を沸かす。ここから最後の服部、姫隊が来るまで焚火の番人となる。間もなく静かな森が、狼の雄たけびと化すだろう。クワバラ、クワバラ。

〈コースタイム〉
6日 土樽駅(8:50) → 仙ノ倉沢出合(11:10~11:30) → 平標山(14:30) → 仙ノ倉山(15:25~15:40) → エビス大黒避難小屋(16:00) → 越路避難小屋(17:40)
7日 越路避難小屋(6:20) → 万太郎山(6:55~7:00) → オジカ沢ノ頭(8:45~9:00) → 肩の小屋(9:55) → オキノ耳(10:15) → 一ノ倉岳(11:10~11:20) → 茂倉岳(11:45~11:55) → 武能岳(13:10~13:30) → 蓬峠(14:00) → 芝倉沢(15:30)

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