トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ308号目次

正月合宿・常念岳~蝶ヶ岳
その2 縦走隊
小幡 信義
山行日 2001年12月29日~2002年1月2日
メンバー (CL)小幡、(SL)紺野、藤井、野口(芳)、荻原、高橋(俊)、天内、山口、小山、中沢(佳)、土肥

 今年の正月は、新入会員の雪山に行ってみたいとの希望により、特に危険もなく、そこそこ雪山を楽しめる場所として常念・蝶が設定された。10月27日~29日、2泊3日の予定で下見に行って来る。コースは、豊科~三股~前常念~常念~蝶~長塀尾根~上高地までである。この時は蝶から蝶ヶ岳ヒュッテへ向かったものの、強風にあおられ引き返し、横尾へ下りた。だが特に問題となるような個所はなく、稜線で吹雪かれてもピークを越せば樹林帯に逃げられるので安心である。
 話は変わるが、昨年の正月、西穂から奥穂の計画で入山したが、天候が悪化、天狗の頭で3日間も停滞したが一向に良くならず、ラジオのニュースでは、天狗の頭で女性が滑落し、遺体をヘリで搬出したとの事。ガソリンは底をついてきたし、下山日もせまっている。やむをえず風雪の中、強行下山、ザイルが強風で空中に舞い上がる。リーダーが岩からはがされ、凧のように上がってしまうのでは、と心配した程、凄まじい天候であった。約8時間かけ、やっとの事で西穂山荘にたどりついたが、両手に異変を感じ、手袋をとってみると凍って、鉄の塊のようになっている。「ああ!やってしまった。」凍傷になっていたのだ。行動中は全然気づかず、自分の不注意に依り、今では右手指3本先端が変形、左手薬指先端が短くなってしまった。こんな事もあり、ルート的に易しいと言っても自然の世界はいつ何が起こるか分からない。この事を肝に銘じ、正月合宿下見を率先して行く事に決めた。前書きが長くなってしまったが、ここで本題に入る事にしよう。
 今年の正月は服部隊と、もみじ隊と上高地で合流し、大宴会が出来るはず、と密かに楽しみにしていたのだが・・・。

12月29日
 12月29日、急行アルプス、新宿を定刻通り23時50分出発。山ヤは思っていた程多くなく、11名全員余裕で席に着けた。山ヤは何処へ行ってしまったのか、淋しい気がする。いつものようにビールを飲みながら雑談、1時間程して眠りに入ったが、斜め後ろの席のギャルがいつまで経っても話をやめない。時々大声で笑っている。『今、何時だと思ってるんだ!少しは回りの事も考えろ!』と言ってやりたいところだが、何とか気持ちを抑えて前車両に退散、『仕付け、なっとらんですョ・・・』

12月30日
 豊科駅4時47分到着、我々パーティー以外、山ヤは誰も降りず。この分だと、樹林帯はラッセルに苦しみ、本日の予定地迄着けないかもしれないと、先が不安となる。1時間、駅構内で待機し、6時にタクシー3台でいざ出発。当初は須砂渡までだと聞いていたが、今年は雪が少ないせいか奥まで入ってくれるとの事で助かる。ニノ沢分岐手前でタクシーを降り、小雪のちらつく中、とぼとぼと歩き出す。少し行くと、警察の車が停車しており、「リーダーは誰か?」と聞いていた。私は計画書はタクシーの運チャンに渡したと話したが、名前だけ記入してくれとの事で書く。先行パーティーはいるのか聞くと、2パーティー5人が入っていると言う。我々パーティーだけでラッセルするのかと少々不安があったが内心ホッとする。三股までは雪の量も少なく単調な林道歩きとなる。三股8時30分着。休憩。いよいよここからが急登となり、雪も深くなるところだ。元気のある天内さんと俊介君は、2人競うように先頭を登って行く。頼もしい存在である。幕営には2200m地点に適地があるが、何とか1日目は予定通り行けそうだ。途中で先行パーティーに追い付き、交替するのかと思われたが、先行者もこれ又、負けじと俊介君と先を争っている。ラッセルの好きな連中の集まりのようだ。私としては大いに助かるのでありがたかった。私も若い頃はラッセル車とまでは言われなかったが、好んでトレースをつけて先頭を進んだ。自分の作った道に皆んながついて来てくれる。そんな事に喜びを感じていたのかな?
 予定していた2200m地点に、13時30分到着、幕営地としては申し分ない。テント割りは決定していたので、おのおの自分の仕事に取りかかる。私達のメンバーは、小山さん、荻原君、土肥さんの4名である。エスパースII・4~5人用のテントも井上さんより寄贈されてからもう5年となる。本体とフライが一体化され、ポールを通すだけで設営に時間がかからない。私としては愛用の逸品である。テントをたて、中に入って、自分の座り場所を確保し、コンロを点け、程良く暖かくなった室内で酒をチビチビやる。つまみは柿の種があればよい。山ヤとして一番幸福なひとときと思うが、皆様はどうかな?・・・。外は風でやや騒がしく、明日の天気はどうなるのかな、などと考えながら眠りにつく。

12月31日 晴れ 風やや強し
 風はややあるようだが、天気は晴れ、7時05分に出発する。本日も樹林帯のラッセルで始まる。途中から、先行パーティー3人組に追いついたが、あまりの雪の深さにザックを置き、空身で2往復して来たとの事。成程、キレイにトレースがつけられておる。「何処までの予定ですか。」と尋ねると「上高地まで。」と答える。「それじゃ、私達と同じですね。」目的地まで頑張りましょう、と目で合図しながら、ラッセルの礼を言い、先行する。森林限界になるとラッセルもなくなり、雪も締っていて歩き易くなる。目前に前常念が顔を見せているが、中々着かない。出発してから、もう4時間経っている。樹林帯でかなりの時間がかかってしまったようだ。パーティーの中では疲労の顔がうかがえる。雪山初めての中沢さんの足運びも重たそうだ。まだ先は長い。共同装備を元気のある俊介君に依頼する。笑顔を見せながら喜んで持ってくれるのでありがたい。前常念に12時に到着。最悪の時は、石室に幕営と考えていたが、入口が雪で塞がり中に入れそうもない。まだ時間もあるし、天気も良いので、常念を越え樹林帯まで頑張る事にする。ここから見る常念は、格好がすこぶる良い。これをバックに記念写真を撮りたいところだが、進む事にする。稜線は風が強く、時々耐風姿勢を余儀無くされる。メンバーは大丈夫か!パーティーの間隔が長くなってしまった。これはまずいと考え、全員揃った状態で進む。みんなの顔に笑顔はない。早く常念を越えたいと気が焦る。
 常念山頂14時到着。今迄の疲れが吹っ飛んでしまったように、みんなの顔が明るく見えた。風は相変わらず強いが晴れていた為、展望は良好。記念写真となる。私もここ迄来れば、予定の3分の2は終わったようなものだと、内心安心しきっていたが・・・。
 いつまでも山頂でのんびりしてもいられず、本日の幕営適地を捜す為早々に下山にかかる。山頂より踏み跡あり、表銀座を縦走してきたのか。藤井さんが幕営場所が心配になったのか、急に先頭で駆け下りて行く。早い、早い。やはりスキーの達人、滑るように下ってしまった。山は登るより下りの方が難しいと言われている。土肥さん、中沢さんはどうか、時々後ろを振り返りながら様子を見るが、特に問題はなさそうだ。
 15時30分、常念を下りた樹林帯に幕営。ここまで辿り着いた。安心感か、3張りのどのテントも賑やかで笑い声が絶えない。私も気持ちがハイになって山の歌を2~3曲歌ってしまった。土肥さんも隣のテントに行って中々帰って来ない。皆それぞれ楽しんでいるようだ。山はいいな。テント生活もいい。勿論、仲間が居ての事であるが。

1月1日 風雪
 起床4時30分。テントの入口から顔を出し、空を見上げるが星は見えず、どんよりとして時々小雪が舞い上がっている。風も強そうだ。天気は下り気味のようだ。7時15分出発。今日も、先行パーティーによりラッセルしていただき助かる。途中で追い抜く。樹林帯を歩いていると下から4~5人のパーティーが登って来た。ピストンで常念まで行くそうだ。ありがたい。これでしばらくラッセルもなく、時間の短縮だと喜んでしまった。途中何個所か、トレースが風に消され迷う場所もあったが、着実に蝶に向かっている事は確かである。
 ところが、2つの小ピークを越え、稜線に出た途端、今迄にない横殴りの風雪に度肝をぬかれてしまった。何と、立っていたら吹き飛ばされんばかりの風雪。稜線がこんな状態であったとは予測もつかず、アイゼンも履かず登って来た事に後悔したが、安全を考え全員に装着してもらう。風雪の中、オーバー手袋をしてのバンド通しはかなり困難な作業だ。案の定、かなり時間がかかっている。じっとしていると風により体温を奪われる為、早く行動したい。気持ちは焦るが、思った程進んでいない。這い松につかまって止まっている方が長いのである。
 蝶槍のトラバース時点でどうしようか迷う。このまま行くべきか、戻って樹林帯で一泊し、明日天候の様子を見て行動した方が良いのか・・・。思案に余って仕方なく、ここは、長老である藤井さんに相談。「分岐が近いなら行こう。」の一言で私の気持ちは決まった。夏道コースでは30分もあれば横尾への分岐点に着けるのだが・・・。自然の破壊力に、人間なんて到底、太刀打ちできない無念さをつくづく感じてしまった。
 蝶槍を過ぎてから稜線が広くなった。雪が目に飛び込んで視界がきかず、ルート判明せず、360度、何処を見廻しても同じ景色だ。みんなは着いて来てくれているのか・・・。1、2、3・・・9。2人足らず。どうしたのか・・・。全然、姿見えず・・・。遭難!・・・。二文字が頭の中を駆け巡る。2分、3分、5分・・・まだ見えず・・・。猛風雪の中、パーティーが離ればなれになるのはまずい。早く来てくれ! 祈るような気持ちで待つも姿見えず・・・。8名の人達にはこの場所を動かぬように話し、ザックを放り投げ捜しに出向く。50m程離れた所に2人の姿を発見。ホッとするも、山口さんが疲労困ぱい状態だ。顔面に雪が附着、目も虚ろだ!・・・。 1年前、穂高での凍傷の事件が思い出される。凍傷にはなってもらいたくない! 目出帽を被っていないのに気づき、すぐ付けるよう言うが、ザックの中を捜すも見当たらず。仕方が無くもう少しがまんしてもらう。今晩の食糧、ウレタンのマット等捨ててもらい軽くしてから行動してもらう。紺野さんがずーっとフォローして下さったようだ。20分位経過したか、8名のメンバーは待っていてくれるのか・・・。近づいて行くと、そこには8名耐風姿勢でじーっと寒さに耐え、待ち続けてくれたのだ。嬉しかった。私を信頼してくれていたのだ・・・。ここは是が非でも無事に下山したい気持ちが強くなる。11名、何とか揃った。「ヨシ!行こう。」一歩足を踏み出すが飛ばされてしまう。歩行不能状態だ。這い松にしがみ付き己れの命を守っているのが精一杯・・・。
「リーダー、どうする。」
「この猛風雪の中、歩行は危険だ!もう少し様子を見よう。」
「様子を見ようと言うが、一向に風はやまないぞ!」
「いや、一時的に風が弱まるときが来るのでその時前進しよう。」
などと、自問自答を繰り返していると、後方から「オーイ!行こうぜ!いつまでもしがみ付いていてもしょうがないぜ!」と喝が入る。いつもニコニコ顔の優しい紺野さんの声だ。この声に奮い立ち、風雪の中、何回もよろけながらも少しずつ前進する事が出来た。稜線では、私の後にいつも荻原君が付き、羅針盤の役目をしてくれ、大変助かった。前方では、入山口からラッセルを共にした3人のパーティーが苦戦していた。1名が肩を抱きかかえられ、よろよろ同じ場所を行ったり来たり全く進んでいない。哀れな光景であるが、私達も同じようなもの、己れの命は己れで守るしかないのだ・・・。無言で脇を通り過ぎる。一瞬、風が弱くなり視界が開けた時だった、前方に横尾分岐の標識を確認、私は大声で叫んでいた。「見えた!分岐の標識が見えたぞー!」これで助かった、無事に帰れるぞ!・・・。私は心の中で喜んでいた、そして嬉しかった。雪山初めての中沢さん、雪山経験の浅い土肥さん、二人ともあの風雪の中を耐え忍び、よくここまで頑張ってくれた。エールを送ってあげたい。

 パーティーの間隔が少し開いてしまったが着実に標識に向かって近づいて来る。荻原君、藤井さん、天内さん、小山さん、中沢さん、俊介君、土肥さん、野口さん、しばらくして山口さんに紺野さん、全員無事に横尾に向かって下山する。樹林帯で大休憩。自然の破壊力にも恐れ入ったが、あの風雪をシャットアウトしてくれる樹林にも驚かされてしまう。静かで平穏な一時を満喫する。樹林帯の下りはおのおの自由気ままに下りてくれればそれでよい。私と山口さん二人は最後をゆっくりと下りて行く。山口さんに対し、リーダーとして目配り、気配りが不足していた事を反省しながら、山口さんのペースに合わせ無言で付いて行く。横尾着、15時30分。
 私がテントを持っていた為、エスパースIIメンバー3人には待たせてしまい、悪い事をしてしまった。早速、手分けして設営に取りかかる。テント内へ入り、コンロを点け、程よく暖かくなった頃、酒をチビチビやる。いつもと全く変わらない。
 でも今回は何か違っている・・・。
 何が・・・。
 虚しい気がする。
 何が虚しいのか?・・・。
 分からない・・・。


土肥 雅美

1月2日 雪
 「ある人の人生とは、その人の回想のことである。個々の記憶の内容が、前後関係を位置づけられて並んだものが、その人の考える自分の人生であり、つまり自分自身である。」
 これは、ある臨床心理学者の言葉である。小幡氏の記録を読んで、わたし、今一瞬、フィロソファーになってしまった。
 さて、横尾の朝である。しんしんとした薄暗い粉雪の中、早くに目覚めた私は膝までラッセルしてトイレに向かう。もう気分は完全に下界である。怖いものなし。実は、私は今はやりの、悪名高き「中高年登山者」である。何を隠そう!この横尾は実は今の年齢のちょうど半分の時に来て以来である。横尾山荘は建て替えられたみたいだし、前はなかったような建物もできてはいるが、涸沢に向かう吊橋の印象は23年前と変わらない。
 3つのテントそれぞれに朝食をすませ、すばやくテントを撤収、8:15上高地に向けて総勢11名が出発。平らな道である!トレースも付いている!のに、私は前を行くメンバーとどうしても間が開いてしまう。今日がいちばんつらいわたし。
 徳沢にたどり着き、ここでの服部パーティーとの感激の抱擁を夢見てがんばってきたものの、猛登コールに応えはなし。明神池を過ぎ、河童橋まで来て、ようやく俊介君の携帯の留守録を聞くことができ、服部隊が徳沢ではなく明神池に幕営したことを知る。でも、もう下山してるよね、との皆の了解で先を急ぐ。
 後はただ歩く、歩く、雪がしんしんと降りしきる中、景色なんか見えないし、前を行く紺野さんの足元をひたすら見つめ、歩を合わせていく。修験者みたいな気分よ。覚えているのは、休憩中、私がザックの上に仰向けになって腰を伸ばしていると、紺野さんがニコニコ「どいちゃん、足引っ込めないと、歩いてくる人にぶつかるよ」と、小山さんがあったかいレモン湯くれたこと。釜トンネルの中で天内さんが滑ってひっくり返り、(我が隊の)若者約2名が大はしゃぎしてたこと。
 釜トンネル出口に13:40到着。リーダーが警察の詰所に下山報告している様子。
 折り良くここで客待ちしていたタクシー2台に分乗し、沢渡の温泉へ。2台で11名はさすがに苦しく、後部座席で天内さんは誰かの膝の上に乗っていた。
 言わずもがなであるが、お湯に浸ったあとのビールは最高だったね。その後、待っていてくれたタクシーに乗って松本駅前16:30着。駅ビルの食堂(まさに食堂であった!)で、皆それぞれ丼やラーメンを食べ、特急あずさでまたビール飲んで帰路についた。
 格調高くこの山行を締めくくる言葉を、残念ながら私は持たない。
 だが、小幡さんの原稿をキーボードで打ちながら、リーダーとはかくもさまざまなことを考え、悩み、実行しているのだということを今にして思い知ったしだいである。そして、みんなにただ感謝。


トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ308号目次