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正月合宿・常念岳~蝶ヶ岳
その3 ベース隊逍遥記
服部 寛之

山行日 2001年12月30日~2002年1月1日
メンバー (L)服部、斉藤(誠)

 ルームの募集では小堀氏と内山さんもメンバーに入っていたのだが、年末に激務にあえいでいた小堀氏は挙手的記憶喪失症という珍病となりキャンセル、内山さんは直前に風邪をこじらせてしまい、残念ながら二人だけというさびしい隊となってしまった。しかしながら私としては、足をおかしくして以来3年振りの正月合宿かつ本格的な雪山であり、入山は大いに楽しみであった。

30日(上高地で雪)
 今日中に徳沢まで入る予定で、朝6時半にJR八王子駅南口で斉藤氏と待ち合わせ、服部のクルマで沢渡(さわんど)に向かう。八王子では天気はさほど悪くなく、中央道も須玉の先までスイスイ流れていたが、諏訪の辺りで降雪によるチェーン規制の渋滞にひっかかってしまった。スタッドレスを履いていたのでそのまま突っ切って行ったが、慣れない雪道に緊張の連続。標高の下がった岡谷JCT辺りで路面から雪が消えホッとする。松本ICで降りて上高地方面へ向かうが、再び標高が高くなるにつれ降雪となり、ダムを三つ過ぎた辺りで道は完全に白くなった。次第に路面の積雪が増して、とうとう路傍のスペースで雪を被りながらチェーンをつける。だが、何年かぶりのチェーン巻きに手際はすこぶる悪い。私は上高地へ行くのは2回目だが、前回はもう何年も前の話で、しかも田原さんのクルマに乗せてもらってのことだったので、沿道の様子などほとんど憶えていなかった。この時期上高地へ入るには沢渡でクルマを捨てねばならないとは聞いていたが、沢渡に駐車場の案内があるものと思っていたらそんなものは見当たらず、どこに停めていいやら分からぬままクルマをころがしていたら釜トンネルまで来てしまった。ちょうど客待ちのタクシーがいたので、運チャンに頼んで沢渡の駐車場へ案内してもらい、その足で釜トンネルに引き返す。
 釜トンネルの入口には小さなプレハブの詰所があり、長野県警が入山届けを集めていた。入口付近には仮設トイレも2基設置されてあった。2、3のパーティーに混じって詰所の脇で身支度を整え、出発。時計は既に12時を指していた。所どころ氷結した薄暗いトンネル坂を抜け出ると、降りしきる雪の中、白い林道にトレースが延々と続いている。タクシーの運チャンはこの雪は今日から降り始めたところだと言ったが、しかし周囲の雪景色はもう何日も前から降り積もっているような印象だ。黙々とトレースをたどり、白く閉ざされて動かない重い灰色の大正池を眺めながら、ようやく大正池旅館の軒先に雪を避ける。ここまで丁度1時間。10分休んで腰を上げ、帝国ホテル、バスターミナルと順調に過ぎるが、だが小梨平のキャンプ場にさしかかると、強風にトレースは吹き消され深いラッセルとなった。一本取ろうと屋根のある炊事場に入るが、しかし強風が容赦なく吹きぬけて体がこごえる。炊事場内にはテントが2張り風に吹き飛ばされぬようしっかり固定されてあった。ボソボソ漏れ聞こえる話し声がうらやましい。斉藤氏がワカンを持ってきたと言うので、少しは楽になるだろうと、その先で履いてもらうことにした。そこに単独行のおっさんが追い付いてきて先に行きかけたが、深いラッセルにタメ息をついて、「やはり小梨平泊まりにする」と引き返して行った。新たなトレースはマボロシに終わったか、と思われたそのとき、にわかに森の反対側から4~5人のパーティーが現われた。<おお、天の助け!>と声をかけると、先頭のおっさんが身体の芯からヘトヘトといった様子で、「徳本(とくごう)峠に上がろうとしたが胸までのラッセルに阻まれて引き返してきた」と言う。いやはや、どうやらこの先は大変な雪になっているらしいと覚悟を決める。だが彼らのお陰でこの深い雪をまもなく脱すると、よく踏まれたトレースとなってホッとする。
 15時半、明神館の大きな建物が見えてきて明神池分岐に着いた。予定の徳沢まではまだ夏道で1時間の距離だが、この荷物と疲労具合ではもっとかかると判断してここでの幕営を決める。明神館前には既に3張り設営してあった。明神池への道筋に設営しようとどうにか幕(4~5人用スタードーム)を立てたものの、強風に風船のように膨らんで踏ん張っている体ごと持って行かれそうになる。しかも雪が浅くてピッケルが固定できない。そこで場所を変えて建物の南西角の幾分風が弱まるところを見つけて整地し、風の息を見計らいながら何とか張った。四苦八苦したこの設営に1時間もかかってしまった。薄暗くなった頃ようやくテントにもぐり込み、やれやれ。

釜トンネル入口(12:00) → 大正池旅館(13:00~13:10) → 小梨平キャンプ場(14:05~14:15) → 明神池分岐(15:30)(幕営)

31日(快晴)
 どこか遠くの山の高みからとてつもなく巨大な風のかたまりが、始めは小さく徐々に大きく、森の木々をどどどどうと震わせながら降りてきてはテントを揺さぶる。まだ暗い未明、シュラフの中で聞く豪快な風のうたは、風の又三郎のあのリズムを想わせた。
 どっどど どどうど どどうど どどう、
 どっどど どどうど どどうど どどう
 その風も、日が昇る頃にはどうにか収まった。朝食後、スパッツを付けようとテントから出ると、隣に2張り張っていたパーティーは既に撤収を終え下山して行くところだった。彼らが発つとすぐに徳沢方面から大人数の下山パーティーがきて、すぐ前のベンチで一本立てた。今日は朝から真っ青な青空が広がって誠に気持ちのいい日になったが、さっきから次々に下山パーティーが通る。きのうの大雪に登頂をあきらめ、明日からは荒天がつづくという予報に、ここはさっさと下山して正月を家で楽しもうという腹なのか。うちらも今日は蝶をあきらめ、ぶらぶらと横尾までの逍遥を楽しむことにしていた。うちらの横の黄色い小テントのあんちゃんは、7時頃ひとりでどこかへ出かけて行って既にいない。
梓川の河川敷  8時半、テントを閉めて出発。すぐに徳本峠への分岐を過ぎ、その先の尾根をまわり込むところで展望が開けた。雪をかぶった梓川の河川敷が眼下に広がり、その向こうに常念から大天井岳(おてんしょうだけ)へ続く真っ白な稜線が、一点の雲もない完璧な青空にくっきりと浮かび上がっている。常念の三角形ピークからは、2、300メートルはあろうかと思われる雪煙が、高く、大きく、東に流されている。その右手、尾根の上にわずかに覗いた蝶からも雪煙が吹き上がっているのが見える。稜線上はものすごい風のようだ。今日稜線へ上がってくる予定の縦走隊のことを思いながら、目の前の大きな景色にしばし見惚れる。左に眼を転ずると、覆い被さるかのような明神岳の白い威容はどうだ。屹立する岩と雪の殿堂! Skyscraping Snowy Rock Castle! それを見上げながら、おもむろにズボンのチャックを下げ、堂々と構える。おお、この壮大なる開放感よ! 熱きほとばしりに、男の充実の時間(とき)が流れる。
 その先で7~8人の下山パーティーと行き交うと、じきに赤旗を背負ってひとり遅れてやって来る人がいる。どこかで見たような人だと思ったら、岩崎元郎さんだった。斉藤氏が「先日丹沢の小屋でお会いしました」と声をかけると、そうでしたか!と陽に焼けた顔をほころばせた。聞くと、やはりこの雪ではラッセルがきつくてとても登れないと判断して天気の良いうちに下山するところだという。見送るザックの背で揺れる赤旗の束に、準備を怠らないプロガイドの確かな仕事ぶりを見る思いがした。
 少し行くと、左に梓川の土手が沿うようになったので、道を外れて土手に上ってみる。正面にさっきの明神岳がわずかに離れて聳え立っている。幾分ガスが取れて青さを増した空に、真っ白な岩峰群が美しく映えている。ここから見ると、前峰がどっしりと均整の取れた三角形をつくり、その後方に明神の一峰から五峰までの岩峰が、まるで白い王冠のように勢揃いしている。右手方向の奥には、さっきは陰になっていた中山が端正な三角錐の姿を現していて、その左肩後方に大天井が大きな白い屋根を連ねている。常念はここからでは手前に張り出した尾根に隠れて見えないようだ。左手の下流方向には、霞沢岳だろうか、広い純白の河川敷の風景の向こうに大きなマスの山が立ちはだかっている。清澄な心洗われる景色に、透きとおった風の中、しばらく佇む。
 10時過ぎ、徳沢に着いた。広い樹間のスペースに10数張のテントが散在している。少し離れたテントからどこへ行くのかと大声で話しかけられた。小学生の息子を連れた父親だ。蝶をあきらめて横尾までぶらぶらだと説明する。自分たちは明日からの荒天に備えて雪囲いを作っているところだとの楽しそうな返事。息子にしてみればお父さんとの興奮すべきスノーキャンプ、父親にしてみれば好きな山の世界を息子に見せられて嬉しいのだろう、そんな思いが体全体にあふれている。親子の楽しいお正月を願いながら手を振る。徳沢園は北端の小さな小屋だけ営業していて、従業員のあんちゃんが忙しそうに立ち働いていた。その小屋の前のベンチで一本取る。私はなぜか今朝から両足のつけねが少々痛んで重く感じられていたが、ここで斉藤氏が少しは楽になるだろうと履いていたワカンを勧めてくれたので、ありがたく履かせてもらう。
 徳沢を過ぎると、この先に行く人はあまりいないのか、トレースは途端に幅を狭めた。あまり踏まれていない幾分歩きにくくなった森の中のトレースを黙々と辿る。1時間ほど歩き、長塀山の西尾根をまわるあたりで腰を下ろして行動食をかじっていると、徳沢の方から大きなザックを背負った二人連れがやって来た。直前まで近づいたところで、いきなり「モト!」と声をかける。驚いた面長の顔に、サングラスを外してみせると、一瞬ニヤッと笑って「あー、びっくりした!」『もみぢ』の小林さんだった。合宿の直前に電話をもらって、店のお客さんと二人で蝶と常念に登る予定だとは聞いていたが、てっきりもう先に横尾に入っているものと思っていたのだ。だからここで遇ったのはこちらとしても驚きだった。少し話をして、先を急ぐ彼らを見送る。その後ろから、山スキーとスノーボードという取り合わせの若い四人組がやって来て、足早に通り過ぎて行った。いったいどこを滑ろうというのか?
 横尾は静かだった。山荘は閉まっており、幕営する者もいないのか、山荘前の広い雪原は踏み荒らされもせずきれいなままだ。山荘の手前には大きな避難小屋があって、中から煙が立ち昇っている。うちらが着いたとき、もみぢさんたちは少し先の山荘前辺りにいたが、うちらの姿を見ると引き返して来た。どうやら先ほどはうちらが横尾から戻る途中だと思っていたらしい。再び立ち話となって、連れの若い男は山を始めたばかりだが冬山に行ってみたいと言うので蝶・常念なら問題ないので連れてきた、今日はまだこれからこの先の尾根に踏跡がついていそうなのでそれをたどって2200位まで登って幕営し明日蝶から常念にアタックしてみるつもりだ、などと話していた。彼らが避難小屋に入って行ったので、うちらは山荘前の川にかかる吊り橋に上がって景色を楽しむことにする。吊り橋のたもとではさっきのよく解らない四人組が休んでいた。吊り橋の上から見上げる明神は、そそり立つ尾根が間近に迫って空を仰ぐようだが、眼前の高みに峨峨たる岩峰が威圧的に聳えて、またさっきとは違う迫力と美しさを見せている。 橋の上には、この先の屏風岩へでも続いているのか、細い踏跡が一直線に延びていた。景色を堪能して、明神へ引き返す前に避難小屋に入ってみると、立てかけられた山スキーの横でむさくるしい男たちが数人ストーブを囲んでいた。内壁の板がところどころ剥ぎ取られているのは、燃やされてしまった歴史を物語るのか。煙突の調子が悪いらしく、立ち込める煙がたまらずすぐに外に出る。そこへ水汲みから戻ってきたもみぢさんに挨拶をして、横尾を後にした。
 再び徳沢へ戻ったが、ほとんど標高差のない道なのに帰路の方が短く感じられるのはどういう訳か。またさっきのベンチで一本。ここで、縦走隊と連絡を取ろうと徳沢園の公衆電話を借りて高橋(俊)、中沢(佳)両名の携帯にかけてみるが、通じず。ベンチに戻って休んでいると、疲れた様子の4~5人パーティーが長塀尾根から下りてきた。誰かの問いかけに、「胸までのラッセルで敗退だ~」と叫んでいた。それから出発してふと横を見ると、さっきの親子が立派な雪囲いを完成させていて、他にも2、3、雪囲いされたテントが見えた。
 道は徳沢と明神池分岐とのちょうど中間あたりで小さな池の脇を通るが、湧水が流れ込んでいるのか凍っていない。帰路そこで一組のマガモの番(つがい)を見た。さきほど森の中を歩いているとき斉藤氏が「生き物の姿を見ないですね」と不思議がっていたが、どっこい、居るところには居るのだ。斉藤氏がパンをちぎって投げてやると、忙しなげに嘴を震わせて一生懸命に食べる。いじらしいようなその姿を写真に撮っていると、反対側からやって来た撮影装備の5、60の紳士が「私にも撮らせてください」と高そうなカメラを向けた。 それにしてもどうしてこの鳥はこんなにもきれいな姿をしているのか。鳥にハマる人たちの気持ちが少しは解るような気がした。
 16時5分前、テントに戻った。暗くなるまでまだしばらく間があるので、どんなところなのか明神池を見に行くことにする。どうせあとは食事して寝るだけだ。森を抜け、梓川にかかる吊り橋を渡って左に行くと、大きな鳥居の奥に営業中の嘉門次小屋があり、明神池はその少し奥で夕暮れ前の静かな佇まいを見せていた。池の前には小さなお社がある。さほど大きな池ではなくて、岸際には氷が張っていた。対岸はもう前明神岳の急斜面だ。写真を撮っていると、池の散策路の奥から数名の騒がしい連中が出てきて静寂を汚してくれたので、奴らが出てきた方へ逃げる。池は入り組んだ形をしているらしく、水面続きの小池の雪を戴いた石島の景色を見ながら静かな夕暮れを迎えた。空のかすかな紅が水面に映ってきれいだった。帰りぎわ斉藤氏に言われて鳥居を見上げると、菊の御紋が付いていた。偉い神様なのだ。
 夕食後、縦走隊のことが気になったので、嘉門次小屋まで出かけて行って再度携帯にかけてみるが、またしても通ぜず。嘉門次小屋ではさっきの騒がしい連中が酒盃を握ってまだ騒いでいて恐れ入る。受話器を戻し、暖かな明かりを背に出入口の引き戸をぴしゃりと閉めると、不安を孕んだ夜気がしめやかに襲い来る。冷たい月明かりの下、風にキイキイ鳴る吊り橋をひとりで渡って暗い森の中に入って行くのはあまり気持ちの良いものではない。こういう晩、着物姿の妙齢の女がひとり向こうからやって来たら確実にビビるだろうな、と思う。

明神池分岐(8:30) → 横尾(12:30~13:05) → 徳沢(14:10~14:30) → 明神池分岐(一旦帰幕)(15:55) → 明神池から帰幕(16:40)

1日(曇りのち雪)
 眼を覚ましてフライを開けると雪は降っていない。「おめでとうございます」でシュラフをたたみ、飯にする。予定では今日は縦走隊を待って合流し一緒に下山することになっていたが、しかしきのうの稜線のあの風では縦走隊はきっと常念ピストンに切り換えて向こう側へ下りただろうと判断して、悪天が本格化する前に下山することに昨夜のうちに決めていた。とは言っても、やはり気掛かりではある。 確実にこちら側へ下りてくることが分かっているならもう一泊していっても良いのだが、そういう状況ではない。それに合流は「できるなら」という条件付きなのだ。
 気になることはもう一つあった。昨朝ひとりで出かけて行った隣の黄色い小テントのあんちゃんが今朝になっても戻ってきていないのだ。しかし、予定を聞いていないのでどうしようもない。
 撤収して8時20分、出発する。しばらくして4~5人のパーティーに抜かれた。きのう長塀尾根から徳沢に下りてきた連中のようで、ズンガズンガとすぐに引き離された。
 小梨平まで来ると急に人が増えた。河童橋のたもと、川に面して並ぶテーブルをひとつ占拠して休憩。見ると、目の前の河原で大きなサルが石をひっくり返しては何かをしきりに口に運んでいる。登山者が多数見守るなか、サルは次第に数を増し、コザルを含め20~30頭の群れとなって対岸を移動していった。ザックを担いで出発するとすぐ、バラバラとヘリが飛んできて頭の上を旋回しだした。報道のヘリのようで、「登山者で賑わう正月の上高地」の様子でも撮っているのだろう。みんな愛想良く手を振っていたが、しかし河童橋の欄干に居座っている大きなサルだけは違った。ふてぶてしくも、けたたましいヘリのエンジン音にも動じず、悠然と周囲の人間を見回している。感銘モノのその根性に、雨蓋からカメラを出して構えるが、知らんぷりを決め込んでニコリともしない。つくづく見上げた根性だ。おい、こら、こっち向け!
 その先の大正池の水門のところで一本取っていると、とうとう雪が降り出してきた。これから荒天続きの予報だというのに、反対方向へ入山して行くパーティーも結構ある。幾つかのパーティーと前後しながら11時過ぎ、釜トンネルにたどり着き、一息。トンネルの上高地側出口では、入山パーティーが山スキーの板に大きなクーラーボックスを取り付けた手作り橇の牽引準備中で、皆の視線を集めていた。なるほど、こういう所なら橇で大量の荷物(勿論酒も)を運んで行けるのだ。
 釜トンネルを抜け出たところで、県警に下山を告げ、荷物を下ろしてやれやれ。私はここでタクシーを呼ぶつもりで、やっと背中の荷物から解放された気でいると、斉藤氏が「沢渡まで歩きましょう」と言う。<えっ、本気かよ?>しかしクルマでそろそろ走っても10分足らずの距離に、往きのタクシーに2千なんぼ取られたことを考えるとバカバカしくもある。そこで根性を出して駐車場まで歩き出した。1時間もすれば着くかと思ったが、これが甘かった。クルマでは、あっという間に通り過ぎてしまう小さなトンネルなど気にも留めないが、しかし歩くとなるとそうは行かない。三つ、四つと思っていたトンネルが、次から次にあるわあるわ。クルマがビュンビュン往来するなか、これを抜ければ、これを抜ければ、と思いつつ1時間半かかってやっと駐車場に辿り着いた。靴を履き替えて、ようやくやれやれ。
 風呂は今しがた道の途中で見た坂巻温泉にした。長かったトンネル歩きもクルマで走ればあっという間。有り難きは文明の利器哉。内湯で暖まり、さらに露天で雪見して満足。フロントの女将が美人だったと斉藤氏と激しく頷きあって二重に満足。元旦にふさわしきヨロコビ哉。これで5百円は安い! そしてその先の食堂で腹を満たし、一路東京へ向かった。中央道は空いていて、八王子駅で解散。
 蝶は逃がしたが、久し振りのアルプスの姿に、新たな感激と、少し遠くなった稜線への憬れを強くした3日間だった。

明神池分岐(8:20) → 河童橋(9:10~9:20) → 大正池東電取入口(10:20~10:25) → 釜トンネル出口(中の湯側)(11:15~11:25) → 沢渡P(13:00)

追記
 翌2日夕方、もみぢの小林さんから下山連絡をもらった。もみぢパーティーはあれから31日横尾の上2200メートルで幕営、1日ラッセルして稜線に上がり、烈風の中を這って蝶槍をピストン、その日のうちに上高地まで下りてきて、2日下山・帰京したとのこと。縦走隊より一足先に蝶に登り、縦走隊が横尾に下りてきたときには既に上高地へ移動したあとだったということになる。帰路明神館前で黄色い小テントを見たかと聞くと、雪につぶれていたという返事だったが、その後その辺りでの遭難の話は聞かないので、単独行のあんちゃんは無事戻ったのだろう。


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