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正月前の雪訓(富士山)
服部 寛之
山行日 2001年12月15日~16日
メンバー (L)服部、小幡、内山、小山、斉藤(誠)、天内、土肥
15日のみ: 山口、中沢(佳)

 15日(土)の朝8時にJR八王子駅に集合し、クルマ2台で富士山へ向かう。冬山初心者が多く集まったこの正月前の雪訓も、例年通りスバルラインで富士山五合目に上がり、佐藤小屋付近で初日はアイゼンワークや滑落停止などの雪訓と雪崩ビーコンの練習を行ない、翌日は前日のおさらいののちアイゼンの足慣らしに少し登って帰京、という予定であった。山本のゲンさんに講師をお願いしていたが、腰痛でダウンしてしまったため、急遽小幡氏に夜勤明けを押して来てもらった。私ひとりではスムーズに事が運べないところであったので、非常に助かった。
 往路、中央道の谷村PAにて雪崩ビーコンは初めての人のために使い方を簡単に説明する。10時頃スバルライン入口に行くと、ナンと一合目までしか開通しておらず、入口の係員は路面状態をチェックしている作業車が戻ってこないと五合目まで行けるかどうかわからないという。やむなく1時間程待って、やっと戻ってきた作業員に聞くと、上の方は先の木曜に降った雨が路面の雪を氷に変えたため、未だユンボで路面をたたいて除去作業中で、五合目までは当分開通できない見通しという。クソ、何て連絡の悪い管理事務所なんだ! と思いつつ、 馬返から歩いて登ることにしてクルマをUターンさせる。馬返に行くと、既に駐車場からあふれたクルマが数台路駐していて、ほかの雪訓パーティーが仕度中であった。うちらも路肩に駐車して出発。
 この日は晴天だがかなり気温が低く、そのうえかなり風が吹いていて、毎年のようにこの時期富士山に来ている私もかつて経験したことがないほど底冷えのする異様な寒さであった。馬返からの登山道は、細尾野林道が交差する少し上まで整備工事中であった。日帰り予定で来ていた山口氏と、明日夕方東京で用事ができたという中沢さんは、細尾野林道まで1時間ほどボッカしたのち、休んでいるとすぐに震えがくる異常な寒さに、早々にリタイヤを宣言して引き返して行った。彼らの背に向けた皆の羨望のマナザシの、何と熱かったことか! 道は、その上の五合目の小屋付近から完全に氷結状態となり、アイゼンをつけた。
 幕営地は、強風を避けて佐藤小屋の下部の樹林帯の中に場所を求めた。このボッカで予定はすっかり狂ってしまったが、今日は雪崩ビーコンの練習だけすることにして、設営後佐藤小屋の横の斜面まで行く。五合目にはそこそこの積雪が見られ、既に数パーティーが雪訓中であった。場所を求めて泉ヶ滝の先(スバルライン終点寄り)の斜面まで行ってみたが、強風と寒さでとても居られる状態ではないので、場所は悪いが風の当たらない樹林帯中の登山道でビーコンの練習をする。発信・受信のチェックのあとビーコンを1台、2台と埋めて捜索練習をしたが、2時間もすると身体が冷え切ってしまい、夕暮れ迫るなか凍えながらの帰幕となった。(因みに、佐藤小屋の前の舗装された林道は一面厚い堅氷で覆われており、これを見て初めて“ユンボでたたいて割っている”という話の状況が理解できた。)
 翌16日は、幸いなことに強風もおさまり、気温も上がって例年の寒さに戻った。7時出発で佐藤小屋のすぐ西隣の斜面に行き、アイゼンワーク、滑落停止、プルージック登下行、腰がらみの確保を11時頃まで練習した。滑落停止では、天内氏が昔取った杵柄で上手い身のこなしを見せてくれた。腰がらみの確保では、堪え切れずに体勢を崩してしまう人もいたが、ザイルを流すコツさえ覚えれば女性でもできる技術なので、諦めずにまた練習して欲しい。この日は雪訓日和で、うちらの周辺は5~6の大人数の雪訓パーティーで賑わっていた。
 帰幕してすぐ撤収し、12時に下山開始。13時45分、馬返着。その後いつも行く河口湖駅前のホテルの展望風呂に浸かって富士山を眺め、隣の土浦食堂で下山祝いの乾杯をした。八王子駅に戻って解散。皆さんお疲れさまでした。

 追記 地下深くで微動地震が続いている富士山だが、テントの中で、 富士の爆発が近いため山麓の森から野鳥の姿が消えた、という記事の話を聞いた。それを語った本人は、家族に今回の富士山行きをやめるよう真顔で懇願されたと言う。雪訓中に噴火していたらえらいことだった。 皆さん、富士山方面に行く際は噴火にくれぐれも注意しましょう。


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