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春山合宿 後立山周辺・上高地周辺
その6 上高地隊
伊藤 めぐみ
山行日 2002年5月3日~6日
メンバー (L)服部、田原、遊佐、大久保、小幡、谷川、斉藤、内山、藤本、伊藤(め)

 初めての春山合宿。装備不足のため田原さんにピッケル、アッコさんに軽アイゼンをお借りすることができ、参加を決めた。

3日(金)晴れ
 早朝、八王子駅集合。(小幡さんは現地合流)
 今回、初めてご一緒する方が多く自己紹介後、服部さん、田原さんの車に分乗。出発。
 やはり、ゴールデンなウィーク?なだけに、渋滞にはまる。途中、上高地マイカー規制のため沢渡でタクシーに乗り換え、予定より3時間ほど遅れで、幕営地、小梨平に到着。テントを3つ張る。お夕飯まで少し時間があったので河童橋付近を散策。
河童橋の上ですっかり観光客気分  上高地・・・。10年くらい前に会社の旅行で来たっけ。あの時は、川を流れる水がもっとキレイだったのに。タクシーの運転手さんの話では、大正池も年々小さくなっているとのこと。なんだかむなしい。
 散策から戻り、夕食の準備に取り掛かる。食当はわたし。
 メニューは、ホイコーロー。内山さん、のぶちゃん、そして、大久保さんにお手伝いいただき10人分完成。ホッ。
 作り終えると、まだ、一滴も飲んでいないのに頭がガンガン、食欲もない。とってもめずらしいこと、このわたしが・・・。内山さんに、風邪薬をいただき(さすが準備が良いですね)服用。宴会やったっけ?てな感じで、就寝。
 ということで、初!田原さん体験は明日に持ち越された。

4日(土)雨
 早朝から、完璧な雨ふり。どんよりと重たそうな空。でも、停滞せず、雨具を着込み、ピッケルを手に予定通り焼岳を目指す。
 雪山は今年2月の毛無山山行がお初。滑り落ちて人間落下物になってしまったにもかかわらず楽しかった。
 が、今回は、チト違う。悪天候のうえ傾斜のきついところや、急な鉄バシゴ、下りのことを思うと少し怖くなった。
 小屋で休憩後、服部さん、谷川さん、斉藤さん、のぶちゃん、わたしとでピークを目指す。が、少し歩き始めたところで、あれ、このピッケル田原さんからお借りしたものだっけ?と自分の手にあるピッケルを見て疑問に思い、間違って他の方の物を持ってきてしまったのではないか、と不安になり小屋に戻ることにした。やれやれ。寒い中、待っていてくれた服部さん、のぶちゃんありがと。
 なのに、と言うのも変だけれど、結局、ピッケルは間違っていなかったのだ。間違っていないのに疑問に思うのも不思議ね!と、のぶちゃんの適切なご指摘。ごもっともだわん。わたしらしい一件だった。
 小屋まで戻るほんの少しの距離、「一緒に行こうか」と言ってくれた、のぶちゃんに「大丈夫よ」なんて言ったわたしだけれど、歩き出すとひとりで歩く雪道は少し不安だった。でっ、でもね、楽しかったんだぁ実は・・・。なにそれ? 待っていてくれたおふたりには不謹慎だけれど・・・。
 緩やかな下りで滑ってしまい、すかさず(ホント?)ピッケルを斜面に挿してみる、わたしの体はピタッと止まった。意外なところで滑落停止訓練?ピッケル様々だった。この滑り落ち、ピッケルで止まった瞬間がなんとも気持ちよかったァ。楽しかったっ。
 みなさん、キケンですから、こんなわたしを冬山なんかに連れ出さないで下さいね。(誰が連れて行くかっ!)
 小屋から急いでふたりの元へ戻り、ふたたび歩き始める。
 谷川さん、斉藤さんとも合流でき、ピークを目指すが、急な斜面のトラバースにさしかかった辺りで、のぶちゃんが「ここで、待ってる」とポツリ一言。無理強いはできぬ。キケン人物いとうは行くことにする。ここまでは、悪天候で眺望が無いことにチェッと思っていたけれど、ここでは、それがありがたい。斜面、下の方まで見えなくてほんとよかった。ピッケルを挿し、慎重に一歩ずつ踏み出す。なんとか切り抜け、雪よりも滑りそうな、ぬるりと粘土っぽい土が顔を出す少し急な斜面を登り、ピークらしきところに到着。斉藤さんの高度計によると、ピークには少し足りなかった。
 悪天候による視界の悪さに、この先進むべき道が不明確だったし、のぶちゃんが凍っちゃってもたいへんなので、眺望のない景色にとっとと別れを告げ、のぶちゃんの待つところへ戻ると、後から登られてきた小幡さんがみえた。ピークがよくわからなかったことなどをはなし、小幡さんはピークへ、私たちは来た道を戻る。
 小屋まで下って休憩。しばらくしてほんとのピークを踏んだ小幡さんが戻って来られた。それは、ピークらしきところから少し右方向に上がったところだったとのこと。ちょっとだけ悔しかった。
 小屋から登山口までの下り。相変わらず雨模様。傾斜のきついところや、急な鉄ハシゴに近づくと、のぶちゃんと怖さ紛れに歌を歌った。♪さかな、さかな、さかなぁ、さかなを食べると・・・♪ 熱唱。歌と滑落停止訓練?の経験??で恐怖心が緩和され、滑り落ちることなく無事下山。
 当初、今日のうちに徳沢まで移動する予定だったけれど悪天候のため、停滞することになり、明日の予定は当日の天気をみて決めましょう、ということになった。
 のぶちゃんメイドのマーボーなすと具沢山のとん汁にしたつづみ。降り続く雨のため、各テントにて宴会。田原さんの豪快な飲みっぷりを目の当たりにすることはなかったけれど、テントごしに、ヨーデルを拝聴。のぶちゃん曰く田原さんのヨーデルはホンモノらしい。
 明日の晴天を願い就寝。


服部 寛之

5日(日)雨のち晴れ
 前日、焼岳から下りてきた段階で徳沢に移動する計画だったが、しかし皆雨に濡れていてこれから撤収して移動するのはあまり気乗りしない、それよりも早く乾かしたい、という心境だったので、翌日の蝶ヶ岳~長塀山の予定はやめにして、代りに西穂山荘に上がって独標まで行ってみようということにしてあった。
 だが翌5日、夜が明けても前日からの雨は降り止まず、一応5時起きで待機していたが、雨が上がったのは8時近くになってからで、しかも強い風はいまだ止んでいなかった。稜線では相当な強風が予想されたので、考えた末ふたたび予定を変えて徳本峠へ行ってみることにした。メンバーは斉藤、谷川、遊佐、内山、伊藤、服部に、小幡があとから追いかけてくることになった。
 8時10分、幕場出発。今日も朝からせわしげに歩いているヒトビトに混じって森の中の道をすすんで行くが、周りに急かされてなんだか速く歩かないといけないような気分になって困る。気持ちのいい道はゆっくり歩きたいものだが、しかしバスツアーのヒトビトは前につんのめりそうな姿勢でガンガンすすんで行くのだ。費用対効果の関係で、規定時間内に一メートルでも多く歩き少しでもいろいろな景色を見なければ損だ、という意識に駆られているようだ。誠に損な性分である。
 45分で明神館に到着し、行き交うヒトビトを眺めながら道脇のベンチで一本。正月に強風に煽られながらテントをしばりつけた木が懐かしい。明神館の背後には正月には見えなかった明神岳の威容が聳えていた。そうか、こういう景色だったのか、と改めて思う。雪を黄色く染めて誰かがコキジをひっかけていた切り株の椅子には、中年の夫婦が腰をおろしていた。知らぬが仏とはこのことか。教えてあげるにもちと勇気が要る。
 明神館の先で徳本峠への道に入ると、人影はほとんど見なくなる。この道を少し入ったところで小幡氏が追いついてきた。やがて林道の終点から山道になった辺りでようやく雪が道を濡らしはじめた。谷を埋める雪渓がでてきたのは山道を10数分登った辺りからだ。一昨年だったか、野口(芳)氏が5月の霞沢岳を登ったときには林道も雪に埋まっていたというから、今年は如何に雪が少ないかが分かる。雪渓の下部に腰掛けてくださいと言わんばかりに太い倒木が横たわっていたのでそこで一本。さらに登ってゆくと、雪渓上には数パーティーの姿が見えたが、中には運動靴の子供を連れた夫婦もいる。ハイキングシューズの親はよろしかろうが子供の足はたまらないだろうに、などと思いながら踏跡をたどって登ってゆく。雪渓には春の日差しが射しているもののやや風があって、暑くもなく寒くもないといったところ。上空にはすでに青空が広がっていて、登るにつれ明神岳周辺の山々が頭を出してくる。気分良くアタマを空にして登っていると、やや足元が立ってきたなと思った辺りで上から1パーティー下りてきた。この先道がないと言う。えっ、そんなバカな、探し方が悪いんじゃないの、と思ってさらに雪渓を詰めてゆくと、気がついたときには結構な傾斜になっていて、ありゃ? わが頭蓋骨の隙間にかろうじてへばりついているノーミソを急遽かき集めて思考してみると、一般道にしてはきびしい傾斜である。そこで小幡、斉藤、谷川の三氏に偵察に行ってもらってしばらく待ったが、「やはり道はないですね。ここは違いますね」という報告であった。あちゃ~、やってしまった。地図をしっかり見ず何も考えずに登ってきてしまったアタシがバカでした。みなさんゴメンちゃい、引き返します、ということで振り返ると、これが結構恐ろしげな角度に下が見えるではないの! そろりそろりと慎重な足取りで傾斜のゆるくなるところまで何とか下りて水をゴクリ。しかし結構上まで登ったので、見えた景色は素晴らしかった。蝶、常念、大天井などの蒼と白の峰々が目の高さにあった。標高差にして百数十メートルといったところだろうか、少しく下りたところの雪面に赤スプレーのマーキングがあった。よく見ると、その横の右岸の枝沢入口の雪壁にも赤スプレーの跡が薄く残っていた。これを見逃していたのだ。ルートはこの右岸の沢に入らねばならなかったのだ。しかし後の祭り。時計の針はもう12時半を指していて、このとんだ敗退にみんなの気分もそがれてしまい、徳本峠よまた来るからな、いい子で待っておるのだぞ、ということになり、くやしいくらい景色がいいので敗退記念に、そこで明神岳をバックに皆で写真を一発かましたのであった。これがその写真である。
左から、内山、遊佐、小幡、斉藤、伊藤のメンメン  再びさっきの大倒木のところで休み、相変わらずの明神館前の喧騒の中まで戻ったところで小幡氏はそのまま小梨平に引き返し、あとの6人は明神池を見物して、梓川の右岸の探勝路を通って幕場へと戻った。驚いたことに、明神池では穂高神社の神官らが出張していて、池を見にきた人々から拝観料を取っていた。冬来たときはタダだったのに! 菊の御紋も結構世知辛い。
 私が小梨平に戻ったのは4時近かったが、では徳本峠を目指さなかった田原、大久保、藤本の3名はその間ナニをしていたのか、という疑惑が当然浮上する。3名から得た証言によると、3名はその後揃って上高地探勝の旅に出、揃って嘉門次小屋に赴き、揃って岩魚定食金1500円也を食したという。その岩魚は「金1500円にしては悲しいほど小さかった」(大久保証言)が、「敢えて禁を犯して聖なる明神池で養殖した霊験あらたかなる魚」(田原証言)であるとのことであった。それを食した効果のほどは?となると、証人を見て推して知るべしとしか筆者には言えない。またどこぞのホテルのレストランに入った田原、藤本の両名は、「レストランなので食事も注文してください」と懇願するウェイトレスを穏やかに威嚇して酒だけ飲んですまして出てきたらしい。また藤本女史は「上高地婦人」よろしく帝国ホテルにも出入りしたらしい。らしい、らしいと不確かな情報で申し訳ないが、それ以上ナニをしたのか筆者には恐ろしくて聞けなかったのである。
 夕方5時、風呂に入る。ナンとここのキャンプセンターには風呂があるのだ。明日大渋滞に巻き込まれずに帰るには早立ちが必須なので、今日中にさっぱりしておいて明日は一目散で帰ろうという大久保氏の発案である。風呂は5時~7時の営業で400円。行ってみると、懐かしさただよう昭和30年代の銭湯風だが、湯船がやけに深かった。座りこむと胴の短い人は溺れ死ぬ。幸か不幸かうちらの仲間内から溺れ死ぬ者はひとりもでなかった。
 安く風呂に入れるのはありがたいが、しかしここのキャンプ場は幕営料が高すぎる。一人一泊700円である。うちらは10人なので、3泊して2万1000円である。700円払っても快適に使えるようきちんと整備されていれば文句は控えるが、幕営場所の水はけは悪いし、場内の道にも大きな水溜りがあちこちにでき、夜はうかつに歩けない。それだけの金を取るだけのことをしているとは到底思えない。商売は何事も客の気持ちが解らなければやってゆけないが、ここの経営者も是非いちどここで雨中幕営してみるとよろしいのではないか。
 その日の夕食は内山さんが食当だったが、調理テント内では大量の野菜が山をなして驚いた。今日もヘルシーでおいしい食事をいただけた。ありがたいことです。

6日(月)快晴
 4時起床、6時撤収。バスターミナルからタクシーで沢渡の駐車場へ急ぐ。駐車場で清算ののち、帰宅経路によって田原車と服部車に乗り分かれ、帰路に就く。8時頃松本ICから乗ると、遠ざかる後立山連峰が青空に白く映えてうつくしかった。帰省の渋滞がはじまる前の中央道を一気に走りぬけ、服部車は10時には八王子ICを降り、田原車はそのまま荻窪へと向かった。


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