トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ310号目次

古賀志山ハイキング
服部 寛之

山行日 2002年9月15日
メンバー (L)服部、荻原、大久保、谷川、伊藤(め)、西尾、渡部

 久しぶりの古賀志山である。前回行ったのは山本のゲンさんリーダーの岩訓練だった。記録をみると97年の5月だから、もう5年以上も前のことになる。
 昔は若かった。スマートだった。あくまで比較級での話だが、腹の出具合は昨今の比ではなかった。
 嗚呼、昔日の想い出よ。
 想い出のうつくしい人は幸いである。
 想い出のうつくしくない人は涙色に染まる。
 わが古賀志山の想い出は妙にキジテンに彩られている。
 そう、あのウン命の月夜、薄暗い林道の駐車場の隅で誰かの御使用済みの冠たる石に手をかけたのがウンのツキだった。帰ってから庭に広げたテントに洗剤をぶっかけ懸命に洗ったあの光景はわが潜在意識の中に深く浸透しトラウマと化して今に残る。あれ以来、夜の駐車場に異常に反応する体質はいまだ改善のきざしを見せていない。
 人はいつ不幸に見舞われるか分からない。気をつけねばならない。ううっ・・・。
 しかし、幸いなるかな、人の記憶の薄れゆくのは。
 薄れ具合が速まるのは、何事であれ、人生の悲哀を覚えるものである。一抹の寂しさというか、涼しさなんかも覚えたりする。
 だがしかし、記憶が薄まるのは幸いなる自然の摂理である。5年を過ぎて再度古賀志山に向き合う勇気を持ちえたのもこの幸いなる薄まりの為せるワザであったろう。
 そして心に響く論語の一節。
 「汝、たとい寅(とら)に睨まれ午(うま)に蹴られようと、正面から相対してこそトラウマは克服できる」
 この言葉に勇気を得てわたくしは古賀志山の例会を決意したのであった。そして決行日の9月15日早朝、東京駅丸ノ内南口で6名の同士と合流し因縁の山へと向かったのである。いざ目指すは古賀志山、奇しくも寅午の方向であった。
 欲雲渦巻く大魔都東京をあとにし、東北道を疾走する。だがここでハタと気がついた。東北とは、すなわち丑寅(うしとら)、すなわち鬼門。赴く先は鬱ノ宮(うつのみや)。う~む、この不吉な符合は気になる。前途の空も灰色で、パラパラと雨なんぞもふりかかってくる。
 うつのみやのひとつ手前の鹿沼インターで降り、赤川ダムを目指す。ここからは隣りに座る名(物)ナビ、大久保氏と一丸となって進む。迷うはずはなかったのだが、しかしいつの間にやら道を見失った。正しき道に戻らねばならぬ。天の導きを願いつつ、エイヤッ!とハンドルを切ると、ナンと目の前には鹿沼市役所の門が口を開けていた。あわててキキーッとブレーキを踏む。キキ一発! 危ういところであった。ふぅ・・・。
 しかしながら、寅午を逐って鹿ノ沼に至るとは、是まさしくどうぶつ奇想天外! 虎、馬、鹿、沼、との展開は、「虎穴ニ入ル馬鹿沼ニモハマル」と読めなくもない。あるいは「酔イドレノ馬鹿沼ニ落ツ」の意味か? う~む、どうもよくわからぬが、いずれにせよ我らの行く手を阻む邪神の仕業に相違なかろう。だがここでひるむ我らではなかった。冷静に地図を読み、方向を見定める。目指すはやはり、寅午の方向であった。
 鹿沼駅を正面に見て左折し、昭和の時代が封印されたような市街地を通り抜けると、眼前には一転して正しいニッポンの田舎風景が広がった。小高い里山のふところに抱かれた一軒の農家と一面の田んぼの色づき。黄と緑が織りなすそのやさしい色合いに一気に気持ちの角がとれてゆく。ここ宇都宮市の郊外にはまだこのような潤い豊かな風景が残っていたのだ! 宇都宮は実にいい所ではないか。鬱ノ宮などという暗いイメージはみじんも感じられない。由緒正しき宇都宮氏の領地を鬱ノ宮などとぬかしては非礼千万、地主(じしゅ)神の怒りを招くのも当然であった。
 いやすまぬすまぬと素直に反省する謙虚なわたくしに対し、隣席の大久保氏は半ば自嘲ぎみであった。目前の低い里山を古賀志山と勘違いし、
「あれがそうじゃねえの? うちらの他にもいるのかねぇ、モノズキが」
 などとでれんとした投げ遣りな態度でおっしゃる。この発言は、或る意味、わがパーティーの陣容を象徴する溜息のブルースといえる。その言葉の裏には、
「ケッ!あんな低い山かよ。オメー、俺の実力を知っててあんなとこへ行くんか」
 という自負心と、
「しばらく登ってねえからな~、パワー落ちてんし、毒汗もたまってるしなぁ・・・」
 という年齢からくる今ひとつ踏ん張りに欠ける自信の無さがないまぜになっているのである。
 過去の栄光を背負いつつも体力の低下を現在進行形で実感しつつあるこの実力中年特有の悲哀は、ひとりを除き、車内全員の共有するところなのである。まことにキビシイ現実と言わざるをえない。
 その意味で、最後に参加を決めた紅一点の若きめぐみ姫の存在はまさに幸一転。あわやおじさんブルース一色に沈みまくると思われていた車内の空気を祓い清め、パーティーの平均年齢をよみがえらせてくれているのである。豚小屋に迷い込んだ仔羊、とまではいかないまでも、床の間の一輪挿し的効果ないし冷蔵庫のキムコ的パワーは確かにある。我捧感涙的多謝。
 里山の裾野をまわりこんで少しクルマを進めると一段と高い山が姿をみせ始めた。あれぞ目指す古賀志山である。大久保氏もおのれの早まった判断と思わぬ山の高さに心の動揺を覚えつつも努めて平静な声で「あっ、あれだぁ」と上目づかいに視線を投げる。ダムの手前で左側の広い駐車場に乗り入れると、すでに二十数台も先着車があった。モノズキはそれなりにいるのである。ハイキング姿で支度中の中高年夫婦もいる。このダム湖周辺はキャンプ場やバーベキュー施設を備えた森林公園になっており、子どもたちを遊ばせにきたらしい若い家族連れの姿もある。また自転車好きの大久保氏の話によると、ここは周遊道路を使って本格的なロードレースが行なわれる会場でもあるそうだ。駐車場の隅には洒落たつくりのトイレがあった。
 支度をして9時30分出発。空模様はやや怪しげな雰囲気。地主神のお怒りはまだ解けないのであろうか。予報通り午後まで保ってくれれば良いのだが・・・。
 スロープを登ってダムの堰堤に上がると、静かな湖面のむこうに古賀志山がにょっきり立っていた。ちょうど真東から仰ぐことになるが、懸崖を持つ手前の峰が前方に三角形をかたちづくり、その左奥に山頂と思しき峰がもう一つ三角形を重ね、小粒ながらもきりりと引き締まった凛々しさを感じさせる山容である。しかしながら、山頂の梢の間から頭をのぞかせているアンテナはいただけない。2万5千図(「大谷」。但し、古賀志山の山道の記載はない)にも98年発行のガイドブックにもこのアンテナは載っていないので、最近建てられたものだろう。携帯電話のものかも知れない。それにしても、あのような無粋なものをあそこに建てねばならぬのなら、せめて周囲に溶けこむ色にできぬものなのか。いったい、日本人はいつから景色に対して鈍感になってしまったのか。庭園に於いては借景を重んじ、箱庭に理想の景色を求めた伝統の美意識は、発展という名の仮面をかぶった事業利益の前に完全に否定されてしまっている。
 200メートルほどの堰堤を対岸に渡り、湖畔沿いに北西にむかう。道は舗装されている。この赤川ダムは農業用水のようで湖面は広くない。2ヘクタール位か。数人が糸を垂れている。ほどなく左手に山道が出合う。下山はここに下りてくる予定だ。その先で唐突に路駐の車列があらわれた、と思ったらキャンプ場だった。林の中に大小のテントが張られ、タープの下には折りたたみ式のテーブルがセットされている。ここは無料だが要予約とのこと。ちょっとしたファミリーキャンプ向けだ。
 その先でダム湖の北端に流れ込む赤川を小さな橋で渡ると、先ほどの駐車場から奥へと延びている車道に合流した。ハイカーのクルマなのか、ここまで乗り入れた数台が路肩に停まっていた。すぐ先で左へカーブする車道と別れて直進、赤川の細い流れに沿って上流へむかう。昨夜までの雨にもかかわらず流れは澄んでいる。森がしっかりしているのだろうか。間もなく小さな橋が現れ、そこが登路に予定した北登山口だった。
 山道を少し入ると、足元が水流でえぐられていて歩きづらい。荒ぶる龍神が通ったような跡は、やがて道を完全に破壊するほどの威力をみせ、土中の太い排水管を露わにしていた。
 道は杉や檜の植林地を通り、やがて階段状となって富士見峠に到着した。ここまで駐車場からちょうど1時間である。展望はないがゆったりとした雰囲気があり、一服するには丁度よい。この峠は古賀志山のピークから北へ延びる尾根上にあって、山頂まではあと500メートルほどである。傍らの長い木組みに腰掛けて、大久保氏が文字通り一服ふかしていると、途中で追い抜いたじいさんが息を切らせて上がってきた。うちらを見るなり愛想良く声をかけてきて、汗をぬぐいつつ木組みに腰掛けるが、口は止まらない。この山は自分のフィールドなのか、以前山火事があってこの辺り一帯が焼けたんだと知ったふうに話す。タバコ嫌いなのか、山で吸うのがお気に召さないのか、タバコの火の後始末はきちんとしろということをしつこく強調して大久保氏を牽制する。大久保氏も苦笑いして受け流すが、せっかくの一服をまずくされてしまい気の毒である。とんだじいさんに捕まったものだ。そして最後にひと言、
「いい若いモンが、もっと高い山へ登らにゃあ。ここは年寄りが来る山だあ」
 と言い放って失せた。るせー、余計なお世話だっ。
 じいさんに続いてうちらも少しは若い腰を上げる。10分ほどで尾根を登りつめるとT字路にぶつかり、左へ行くとやや開けた露岩の展望地にでた。見晴らし台と呼ばれる、先ほどダムの堰堤から見た崖のうえである。じいさんにバカにされたとはいえ、ここだって標高は560メートルからある。確かに低山には違いないが、麓に見えている市街地からだって400メートルは高いのだ。東京タワーよりずっと高いのである。今どきの若いモンで歩いて東京タワーに登る者がいったい何人いるというのか! しかも、好き好んで。
 とはいえ、山ヤの目からすればやはり眺望はそれなりである。地平線のあたりは霞んで遠方の山などは見えないが、見渡す限りの平野に市街地がびっちり広がっている。よくぞこれだけの建物を建てたものだと思う。その営々たる営みを考えると気が遠くなりそうだ。しかし、それが同時にある種気味の悪さを感じさせるのは、大小の建物が隙間なく重なったその様が平面に産みつけられた無数の虫の卵を連想させるからだろうか。産みつけたのがエイリアンだと想像するとゾッとしない。そんなことを考えながら腰を落ち着けてコーヒーを淹れる(インスタントだけど)。みんなカップなど持ってこなかったようなので、小さなコッヘルを出して適当に使ってもらったが、谷川氏はその中からフタを選択してコーヒーをつくった。個人の嗜好の自由は尊重されねばならないが、きっと平べったい器ですするのが好きなのであろう。意外と蓋珈琲も乙な味なのかも知れぬ。
 35分で休憩を打ち切り、頂上へむかう。5分で到着(583m)。ガイドブックには展望なしと書かれていたが、南側が開けていた。山頂のすぐ東側には例のアンテナがそびえている。そばで見ると意外なほどでかい鉄塔で、無粋かつ目障りなことこのうえない。一応、山頂標識の前で登頂証拠写真をとり、すぐ出発。
 次いで、御岳山へむかう。尾根は山頂で90度西の方へ折れ曲がっていて、御岳山はそのすぐ西側のピークである。「日光連山、那須連山、足尾山塊、関東平野、筑波山まで360度を一望できる」とガイドブックにある。5分も行くと、小さな社殿があった。由来の説明をみると新興宗教のものらしく、何やら怪しげ。そのすぐ先で大岩によじ登ると、そこから先は大渋滞だった。中高年の団体が御岳山から下りてきているのだが、岩場の下降に手間どって狭い尾根上で大騒ぎしている。もう御岳山は目前なのだが、どうやら全員の通過まであと3年ぐらいかかりそうな様子なので、360度の眺望はあきらめて下山することにした。
 怪しげな社殿まで戻ってその脇の坂道を下りる。百五、六十メートルも高度を下げると一旦古賀志山の山腹を捲いている林道にでるので、これを左へ行く。反対に右に行くと、例のキジテンのトラウマ駐車場に出るはずで、そう思うと緊張が走る。まだ解けぬキジテンの呪縛にわがトラウマの深刻さを知る。10分も行くと林道はT字路にぶつかり、そこで再び山道に入る。それを下ると、先ほど通ったダム湖畔の道に出た。再び堰堤を渡っていると、出発した頃には怪しげだった空から薄日が射してきた。どうやら地主神のお怒りも解けたようで、めでたしめでたし。駐車場帰着12時55分。ぐるっと一周3時間半のハイキングでした。
 帰りはまず、宇都宮インター近くの「ろまんちっく村」という複合施設の温泉に寄る。行ってみると、大駐車場はびっしりクルマで埋め尽くされており、少し離れたところの第二だか第三だかの駐車場に停める。何だか知らないがものすごい人出。広い敷地に大きなフラワードームやら青空市場やら地ビールレストランなどがあって、ジャズバンドの生演奏を聴きながら温泉館へむかう。温泉館は宿泊もできるようで、有名人の色紙が壁に並んでいた。風呂は500円だが、天然温泉という割にはやけに塩素臭かった。最近日本の商売は客にわからなければ何でもアリで、消費者は不信の迷路から抜け出せずにいるが、ここの表示にも疑問符をつけたくなる。ビール並みに天然成分4パーセントとか? あるいは、天然塩素配合とか?「天然!」なのは温泉ではなく客の方というのが真相かも知れぬ。
 次に餃子に行く。宇都宮といえば餃子!とテレビで擦り込まれてきた人間にとってはここで行かねば後悔が残る。訪れたのは宇都宮インターのまん前のその名も「宇都宮餃子館」。入口でギョーザマンもしくはギョーザ坊やみたいな人形が迎えてくれた。頭部が餃子になっていて目鼻がついて笑っている。夜道で行き逢ったらこわいが、人形なので許す。店内は込みあっていて、大きなテーブルがないらしく、こちらへどうぞと別棟の座敷に案内された。座敷で食べさせる餃子屋なのだ! いやがうえにも期待が高まる。着座ののちすみずみまでメニューを検討して、わたくしはメンズ定食880円也というのを頼んだ。定食界にもメンズとレディースがあるとは知らなかった。世の中、意外なところで異業種参入が進み、気が抜けない。
 人事を尽くして天命を待ち、いよいよご対面である。出てきたお盆上には、ご飯と汁物と漬物と数個ずつ5種類の餃子、それにデザートの杏仁豆腐。これで880円とはマル徳感大! 主役の餃子は全体にやや小ぶりである。多種類をめぐるためには小さい方が小回りがきくという思想なのであろう。腹ペコのため感激にむせぶ間もなくお箸をパキンと割って賞味を開始する。で、感想は・・・?
 過ぎたるは猶及ばざるが如し。何事も中庸が大切である。その後2ヶ月間は餃子の餃の字も見たくなかった。帰路、7人が乗った車内空間には未知の異餃子次元が口を開き、そこから吐きだされる臭力には潜在意識に餃子トラウマを浸透させるに充分なパワーがあった。それに長時間さらされ続けたわたくしは、以後、キジテンと餃子の二重のトラウマと闘う人生を課せられることになったのである。

古賀志山頂上にて。紅一点の中和効果。

〈コースタイム〉
森林公園管理センター駐車場(9:30) → 富士見峠(10:35~45) → 見晴らし台(10:55~11:00) → 古賀志山(11:05) → 森林公園管理センター駐車場(12:55)


トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ310号目次