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滝川・豆焼沢
小堀 憲夫

山行日 2002年6月22~23日
メンバー (L)小堀、箭内、藤井、福間、野口(芳)、小林(と)、土肥

 2002年の沢初め、足慣らしのつもりで企画した。秩父の沢は、近場のわりに森の深さを楽しめるから好きだ。豆焼沢は、その名前の面白さから前から気になっていた。沢の名前の由来は、源頭のピーク名を始めとして他にも色々ありそうで、豆焼沢はどのケースなのか? 豆焼山は勿論無いし、周りに豆焼と付く地名も無い。河原の石が焼豆みたいなのか? どうもこの名前には物語を感じる。豆を焼くという行為がそのまま名前になっているからかもしれない。なぜ焼豆でなく、豆焼なのか? 妖怪豆焼ジジイでも出たのか? だんだん、服部調になってきたのでこの辺でやめるが、ともかく、この不思議な名前の沢をついに遡行する機会が訪れたのである。
 6月21日金曜日夜、JR武蔵野線東所沢駅に集合。藤井さんは、仕事で出発が遅くなる野口さんと野口号で現地翌朝合流の予定。残りはこれまた仕事で集合時間に遅れた箭内さんを待って出発。仕事と山の両立はタイヘンなのだ。我が事としても最近つくづく感じる。みんな、箭内さんを待っている間に飲み始めていた所為か、狭い車中も和やかなムード。小堀号は5人乗るには少し狭い。でも、今回は後部座席の真ん中にとみさんがすっぽり納まった。
 楽しいおしゃべりに長いはずのドライブも、あっと言う間に秩父へワープ(小堀号との楽しい思い出も、これが最後になるとはその時は思ってもみなかった・・・)。三峰神社を過ぎ、国道140号線は深い山々をトンネルと橋で縫うように続く。やがて雁坂トンネル手前の豆焼橋に到着。橋手前の右手上方にりっぱな駐車場施設があった。
 夜中だと言うのに煌々と街灯が燈り、先着の同類がにぎやかに宴を楽しんでいる。それでは我々もと、テントの外に銀マットを広げ、テーブル、椅子を広々と並べて居酒屋三峰の完成。出るわは出るわのツマミと酒。
「うん、良いね~、この椅子」
と、映画監督よろしく折りたたみ椅子に納まりご満悦の箭内さん。
「あらっ、あたしの膝枕よりも・・・?」
と、横すわりで紫煙をくゆらす居酒屋三峰のママさん。
豆焼の夜は更け行く。

 翌朝、車で寝ていた筆者は大地震に目を覚まされた。とっさに思った。
「橋が崩れたらどうしよう!」
慌ててシュラフから出て外を眺めると、楽しそうに車を揺らしている藤井さんと目が合った。
 朝方到着した藤井、野口両氏に起こされて8時に出発。ヘリポート脇の踏み跡を辿ると、山道に繋がっている。「えっ、こんなに登るのっ?」と少し息が切れるくらいの登りがしばらく続き、小尾根を乗っ越すと、コンクリートでガチガチに護岸されたトオガク沢に出る。鉄橋でそれを渡ると、工事用トンネル前の広場に出る。道はいずこに? 手分けして山道の続きを探す。しばらくしてトンネル手前を左下に少し下った当たりから、「おい、ここだよ」と野口さんの声。右上に道は続いていた。
 山道を忠実に辿って豆焼沢に降りると、丁度2段8mのトオの滝手前に出る。駐車場から小1時間。興ざめの陸橋下の沢登り部分をワープさせてくれるありがたい山道だ。
 入渓してからは、トオの滝に始まり、2段6m、5m、2条8m、すだれ状8mと滝が続き、飽きることなく時の経過を忘れさせてくれる。途中2回ほどザイルを出した。
50mの大滝。水が多いと上段が難しそう。  50mの大滝で先行パーティーに追いついた。二人組が大滝途中で滝に打たれて立往生している。しばらく様子を伺っていると、諦めて降りてきた。びしょ濡れでブルブル震えている。ザイルの回収を忘れて、高巻き道に入ろうとする二人に声をかけると、岩に挟まって回収不能になったという。核心部で無いから良いものの、後から来た誰かがフィックスだと思って使う危険性を考えないのだろうか。ルートを読んでみたが、確かに中段から上が水量が多くてしょっぱそうだった。空模様も怪しくなってきたので、諦めて高巻。
 その上の5m二条の滝でまた先行パーティーに追いついた。ザイルを出して、へつりに結構苦労している。暫く待って、我パーティーのベストクライマーのとみさんにリードしてもらい後に続く。ただ、長いへつりの為、ザイルワークに少し手間取った。「こういう場合は、先にザイルワークを相談しておかなくてはいけないなぁ」と、一番後ろでたばこをふかしながら、リーダーは反省したのだった(反省なら猿でもできる。人任せのバチがあたって、待っている間に大分虫に食われた)。
 霧雨が振り出し、5m二条の滝を越えた左岸にも良い幕場があって迷ったが、少し狭いので19m4段の滝を越えた先の幕場へと向かった。
 幕場到着13時45分。霧雨が続く天気だったが、しっかり焚き火を起こして居酒屋三峰開店。ちぢみ、さしみ、おしんこう、キムチ鍋、エトセトラ、エトセトラ。いやはや・・・。止められませんなぁ、沢は。箭内さんが「沢で肉が食えるとは!」といたく感動していたのが印象的だった。食当の福間さん、土肥さんご馳走さま。
 ただ、「秩父は絶対釣れます」との筆者の宣言にそそのかされて激務を脱出し、「釣師!」と背中に大画きされたTシャツを着てきた野口さん、お魚いなかったネ。ゴメンちゃい。
幕場。さすらいの居酒屋「三峰」間もなく開店。  翌朝7時半出発。すぐに60mスダレ状美瀑に出合う。これは感動的に美しい滝だった。福間のアネゴが少し遅れている。聞くと、前に落ちた時のトラウマから抜け切れないらしい。ガンバレ!
 ゴーロをしばらく歩き、小ゴルジュを幾つか越えると、やがて谷もガレてくる。水を補給してひたすらガレを詰めると、意外にあっさりと登山道に出た。9時20分。狭い登山道で横に広がり足回りを履き替える間、誰の寄付だったか、最後の1本になったたばこが回ってきた。みんなで回しのみした後、最後まで吸っていたのが野口さん。曰く、
「この最後のフィルターのとこがうまいのよっ!」
 登山道を辿り、雁坂小屋に10時5分到着。小屋で求めたビールで乾杯。しばらく休んだ後、黒岩尾根をひたすら下降。途中、福間さんが平茸等数種のきのこを発見! 嬉しい収穫に疲れも忘れ、駐車場に13時45分到着。帰りは、三峰神社近くの道の駅の温泉に入り、美味いそばでお腹を落ち着かせて帰路についた。で、この記録も終わるはずだった。

 皆を降ろし一人になったオレ(あれっ、なんか文体が変わっているゾ)は、気楽に車を飛ばしていた。高速川口線に入ってからも結構なスピードが出ていた。と、突然、ギュルルというような妙な音がしてスピードが落ち始めた。メーターは見る間に0に近づく。後ろからは高速トラックが迫り、ホーンとパッシングライトの嵐をかまし始めた。その時オレは、カチッと音がして自分の中でハッキリとモードが切り替わったのを感じた。鼻先で笑いながら、
「そう、焦りなさんな」
 そうつぶやきながらハザードランプをつけ、ゆっくりと左車線に車を寄せていった。そこへうまい具合に、首都高進入口からの広い路肩が現れた。ほとんど止まりかけた車を誘導する。丁度良い場所でエンジンが切れて車が止まった。と同時に、右側面をサイドミラーを引きちぎらんばかりに唸りを上げて高速トラックが通り過ぎた。窓から顔を出した運転手が罵声を飛ばしていった。止まった車のボンネットからは白い煙が立ち上り、車内には油が焼け焦げた臭いが立ち籠めた。オレは、サイドブレーキを引いてから、ゆっくりと外に出た。ポケットから取り出したお気に入りの細切り葉巻に、火をつけ、深く吸った煙を吐いた。
「ちっ、やっちまったよ。こいつもついにお釈迦だな。長い付き合いだったぜ、ありがとよ」
 それから、黒いポルシェのボディをポンポンと軽く叩いた。

 どう、面白かった? でも、実際のところは、運転していたのは、ハードボイルドのヒーローじゃなくてこのコボじいだったし、車は黒いポルシェじゃなくてねずみ色のしかも汚れた日産サニーカリフォルニアだったし、吸ったのは、葉巻じゃなくてキャスターマイルドだったけど、状況はまさにこの通りだった。信じられないほど冷静で、まったく不幸中の幸いで、車が止まったところは、扇大橋の首都高入り口の加速区間だった。それからJAFを呼びウンともスンとも言わなくなった車を自宅近くのディーラーのパーキングまで運んでもらい、びしょ濡れの重い荷物を担いでトボトボと家に辿り着いたのは、夜中の3時過ぎだったか。
 こうして、今回の豆焼沢の例会は終わり、10年近くの愛車との付き合いも終わった。終わってみれば、焼けたのは豆じゃなくて、エンジンだったってわけ。思えば家族と、山の仲間と、随分色々なところへ行った。合掌。

〈コースタイム〉
6月22日 豆焼橋駐車場(8:00) → 入渓点(9:00) → 50m大滝(11:50) → 幕場(13:45)
6月23日 幕場(7:30) → 60m滑滝(7:35) → 水補給(8:45) → 登山道(9:20) → 雁坂小屋(10:5) → 豆焼橋駐車場(13:45)

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