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大真名子山、小真名子山
服部 寛之

山行日 2002年8月4日(日)
メンバー (L)服部、四方田、藤本、天内

 おかしな名前の山が気になる質である。この二座もかねてから気になっていた。
 てっきり「オオマナコ」、「コマナコ」だと思っていたら、「オオマナゴ」、「コマナゴ」と濁るという。
 響き的にはその方が一層おかしくて良いだろうが、妖怪好きとしては「大眼」「小眼」であって欲しかった。それなら青坊主(目一つ坊)や一本ダタラ(*)のような存在を予感させる。
 真実を知ってやや落胆した。
 それにしてもおかしな名前である。近在の田舎図書館でいろいろ文献をあたってみたが、「真名子」の由来を説明しているものは見当らなかった。だが、深田久彌の本のなかに、こんな一節を見つけた。

男体(なんたい)山、大真名子(おおまなご)山、小真名子(こまなご)山、女峯(にょほう)山、太郎山、この五つの山を私は男体一家と呼んでいる。お父さんの男体山と、お母さんの女峯山の間に、二人の愛子(まなご)があり、少し離れて長男の太郎山がある。そんなふうに考えられるからである。遠くから眺めても、この男体一家はむつまじそうに寄りあっている。
(『山岳遍歴』「太郎山」)

 なるほど、正論かも知れない。深田久彌が書くと殊更説得力に富んでみえるのかも知れないが、納得のゆく視点ではある。
 だからといって、名前のおかしさが減じるわけではない。一家集合のこどもたちなら、それはそれでいいイメージではないか。真名子(まなこ)なら人名として実在してもおかしくはない。しかし、例えば姓が大内(おおち)だと、「おおち まなこ」→「おお、ちなまこ」となって、これはこれでたいへん悲惨である。眼もあてられない。

 四方田氏が「私も行きますんで。前々から行きたいと思ってたんですよ」と言ってきたときには、内心驚いた。いつもニヒルに煙草をプカしている硬派なイメージにはそぐわない言動だったからだ。
 何があったのか? 人間生きているといろいろある。真名子がらみの一件か? 男には征服が必要と思えるときがあるものだが・・・。(今さらながら身につまされる者もあろう。)
 過去は問わないことにした。
 それが7月の上旬のことだった。その後、ハイキング派の藤本さんと、「本来は尾根の歩きが好きなんですから」を力説してやまない天内氏が加わり、都合4名で行くことになった。ほかにも飯塚さんと伊藤(め)さんが参加を申し出ていたが、残念ながら二人とも直前になって体調を崩してキャンセルとなった。

 3日の夜、関越道を沼田で降り、120号線をひた走って真っ暗な金精峠を日光へ下りる。週末の深夜族か、夜の闇を掻きまわしながら近づいてくるヘッドライトに時折り目を射られる。湯ノ湖を過ぎて左折、光徳の駐車場に入る。以前ここで仮眠したときは誰もおらずトイレもあっていい場所だと思ったのだが、予想に反し駐車場はかなりの台数で埋っていた。夏休みということを忘れていた。片隅に幕を張り、型通り就寝前の乾杯の儀式をおこなってから横になったが、時折り駐車場に出入りするクルマに睡眠を妨げられ、不快であった。繁忙期におけるこのような駐車場での安眠には、出入口にトラロープを張るなど大胆な擬装工作が必要かも知れない。
 翌朝、志津乗越(1790m)まで移動する。乗越に到着する直前は林道が荒れ、車高の低いクルマでは腹をこすりそうである。乗越の駐車スペースはすでに十台ほどのクルマで埋っていたが、何とか道端に停めることができた。腹ごしらえと身支度を同時進行で行ない、7時出発。昨夜のおしめりから一転した青空からは透明な陽射しが注いでいて気持ちがいい。8月の日光といえど、ここいらまで上がってくると朝の空気は幾分ひんやりしている。登山道に踏み入ると両脇の草はまだたっぷりと水を含んで洗車マシン状態だった。どうやら大方のクルマの主は男体山の方へ向かったと睨む。そよ風になでられながら、木漏れ日の踊る森のなかを登ってゆく。登山道は歩き易い。
 1時間弱歩いて一本とり、さらに登って岩稜っぽいところを越えると、ほどなく大真名子山の頂上(2375m)に着いた。大きな岩がどてどてとあり、小さな祠が鎮座していた。その傍らでは先着のおっさんがひとりアンテナを立てて無線交信に忙しそうだ。西側の展望の良いところを占拠して大休止とする。だいぶ霞んできているが、まだ展望はある。視界は南側の大きな男体山の山体と北西側の太郎山とでさえぎられているが、その間に広がった森の向こうに、戦場ヶ原と小田代原が見える。三本松辺りの施設群は大きな白い広がりとなって結構目につく。戦場ヶ原を初めて見たのは小学生のときだったが、バスの窓から目を見張った遠い記憶と比べると、ずいぶん樹木が増えた気がする。あの頃の日光は遥かなる大自然の奥地という印象だったが、今の日光からその感慨は失われた。15分ほど休んで腰を上げ、山頂の標識前で記念撮影をして出発。
 小真名子山は大真名子山より50メートルばかり低いだけだが、一旦鞍部まで270メートルほどの高差を下りねばならない。40分で鞍部の鷹ノ巣という広場に着き休んでいると、小真名子から気合入れのかけ声とともに6~7名の若い男女が下りてきた。全員大きなザックを背負っている。「大学生?」と声をかけると「宇都宮大学です」との返事。我々ならば迷わず一本とるところだが、そのままの勢いで行ってしまった。さすがに元気がいい。のんびりしていると、後続者の鈴の音が降りてきたので腰を上げる。
 樹林の急登を40分ほど登り返して小真名子の山頂(2323m)に到着。展望はないが、木漏れ日にあふれ、明るくて気持ちが良い。まだらニンゲンになって記念写真を撮る。山頂の少し先が広く切り開かれ、送電鉄塔が建っていた。急ぐ旅ではないので、ここで再び大休止とする。日向は少々暑いので、鉄塔の細い陰に腰を下ろす。周りには赤トンボの群れも避暑に?上がってきていて、目の前の小石の上でも何匹か羽を休めていた。気分的に秋はまだしばらく先だが、季節は着々と動いている。しばらくすると鈴の音とともに後続のおっさんが追いついてきたが、一寸休んだと思ったら先に行ってしまった。
大真名子山頂上にて。この時はまだ気分良く晴れ渡っていた。  30分近くゆっくりして、富士見峠へ下りる。この下りは大半が長いガレ場であった。石片が散乱し足もとが不安定で歩きにくい。足を悪くしてからこういう場所が苦手になった。ガレ場を下りきると森の中の緩い下りとなる。足のやわらかな当たりがうれしい。
 富士見峠(2038m)に着くと、先ほどの青空はどこへやら、空は一気に掻き曇り、にわかに雨の気配が降りてきた。それとともに反対側の帝釈山から二人組のあんちゃんたちも降りてきた。四方田氏のうまそうな一服が終わり、降りだす前に出発しようと立ち上がると、「やばいっ!」と四方田氏から低き緊迫の一声。テルモスが漏れ、ザックは早くも濡れ濡れである。
 歩きだすとすぐに雨が落ちてきた。結構な降りとなり、こりゃあクルマまで長い林道歩きが思い遣られるなと思っていたら、通り雨なのか、じきに強弱を繰り返すようになった。1時間ほど歩いたところで雨がやみ、見通しよく広がった道の端に休むにうってつけの大きな倒木があったので、一本にする。腰掛けようと近寄ると、倒木は濡れておらず地面も乾いている。どうやらこの雨雲は狭い範囲だけ水浸しにしてゆくゲリラ雲のようだ。周囲は大真名子山の東麓に広がる巨木の混成する美しい森で、倒木に腰掛けてそれを眺めながら藤本さんにもらったお菓子を賞味していると、少し離れたところで斜に構えて煙草をプカしていた四方田氏が戻ってきて、
「いや、懐かしいっすよ。以前バイクやってたときこの林道を走った記憶がありますよ」と言う。
 う~む、これは意外な告白。四方田氏がオフロードに乗っていたとは初めて知ったが、彼の抑えたニヒルさはそのあたりにルーツがあるのではないか、となんとなく思う。
 再び、降ったり止んだりのなかを行進して行くと、大型のRV車が2~3台道端に停めてあった。それを見て天内氏が、
「服部さんもここまでクルマもってきておけば良かったんですよ」とのたまう。彼はときたま調子のいい発言をさらっと言ってのけるので驚かされる。自分は登山口で待っていればいいのだろうが、1時間も歩いて戻らねばならないオレはどうなるのか。
 雨の中、14時頃クルマのところに戻ったが、そのまま志津小屋を見にゆく。昔、男体山に登った際、入口の扉もない古びた志津小屋でひとり一夜を明かしたことがある。真っ暗な小屋の中で、床に立てた蝋燭の火を見つめながら夜の森に響く鹿の哀しげな鳴き声を聞いていると、闇中から何かが立ち現れてきそうな気配に堪え切れなくなって、早々にシュラフカバーにもぐり込みぴったり閉じたジッパーの下で身を固くしていたことを思い出す。その後何年かして志津小屋が建て直されたという話を聞いていたので、今はどうなっているのか見ておきたかったのだ。現在の志津小屋はどんな台風にも揺るぎそうにないほどがっちりとした造りになっていた。入口を入ると中央の土間で、その左右が板張りの上がりになっている。小屋の中ではさっき鷹ノ巣で行き逢った宇都宮大学のパーティーが話に花を咲かせていた。彼らのテントなのか、小屋の脇に張られたエスパース・ジャンボの周囲には箱ごと持ち込まれたミネラルウォーターの大きなペットボトルが何本もころがっていた。
 小屋から戻りかけると、突然雨が激しくなって、大急ぎでクルマに逃げ込む。間一髪で滝のようなものすごい降りとなった。ワイパーも効かないので、しばらく様子をみることにする。するとそこへおばちゃん主体の大人数の一団が下山してきた。運転手がまだ来ないのか、クルマに逃げ込めず気の毒である。しかし、ドシャ降りの轟音を突いておしゃべりが聞こえてきたのはサスガであった。
 小降りとなったので、一旦光徳駐車場に戻って荷物を整理し、湯元へ向かう。どこの風呂に入ろうか迷ったが、結局金精道路から湯ノ湖へと入ってきたカーブ端にあるホテルにした。これはアタリだった。湯殿は古いタイル貼りだが、大きな湯船に豊富な湯があふれ、ゆったりとできてなかなか良い。入浴料600円でお茶の無料サービスもあった。
 雨はその後も断続的に激しく降りつづき、沼田インターへの帰路はあふれた雨水が道路を洗いまくり、まるでクルマで沢を遡行しているかのようだった。関越道を練馬まで走り抜け、環八沿いのファミレスで腹を満たしてのち練馬高野台の駅に戻って解散した。お疲れさまでした。

〈コースタイム〉
志津乗越(07:00) → 休(07:50~08:00) → 大真名子山(08:50~09:05) → 鷹ノ巣(09:45~55) → 小真名子山(10:35~11:00) → 富士見峠(11:40~12:00) → 志津乗越(14:00)

*「青坊主」は寺の坊さんの格好をした一つ目の妖怪で、江戸時代安永年間に出版された鳥山石燕の『画図百鬼夜行』に紹介されている。山の神が妖怪に零落したものとか、山寺の坊さんの霊が化けたものとか云われる。「一本ダタラ」は雪ん坊とも呼ばれる紀州熊野の山中に棲む一つ目一本足の妖怪で、雪の上に幅30センチ程の足跡を残すと云われる。同様の一眼一足の妖怪は広島、高知、飛騨高山にも伝えられている。比叡山延暦寺の慈恵(じえ)大師の弟子の慈忍(じにん)和尚(942~990)は、死後一つ目一つ足の法師となって現われ怠け者の僧を戒めたと伝えられ、今も同山根本中堂の東側にある塔頭の総寺坊の玄関にはこの妖怪の絵姿が掲げられている。

青坊主

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