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平成15年正月合宿
その二 安倍奥
鈴木 章子

山行日 2002年12月29日~2003年1月1日
メンバー (L)鈴木(章)、服部、谷川、藤井

 お正月は例年通り一日でも良いから山で過ごしたい、と思いつつ何時も直前まで決まらない。例会の爺ヶ岳、鹿島槍は過去に行っているのであまり気が進まない。まして冬山に10名がゾロゾロ行くのは、私にとって長い間経験して無いので些か気後れ。そろそろ山行も自己検索の時期かなと思いつつ図書館へ足を運ぶ事が多くなった。
 北アルプス、八ヶ岳、谷川岳周辺には年間を通じてよく足を運んだ。申し訳ない言葉だが少し飽きが来ている。南アルプスは魅力的だがアプローチが問題。少し幅を広げて南方へ、安倍奥、七面山・・・、私にとっては初めての名前だ。距離も程好い、雪も少なそう、一人でも行けそうだが、委員長に相談して「冬山未経験者でも参加可」の例会にして戴いたところ、委員長、谷川さんが?マークで参加希望。何とも活気の無い返事。12月14日現在、七面山山頂は積雪ゼロだったが翌日から降り出し12月25日で50cmになっていた。25日の時点で参加者は委員長、谷川さん、藤井さんと私計4名になっていた。他に伊藤(め)さんがとても行きたがっていたが冬山装備が無く直前でキャンセル。

 29日朝7:17 品川駅で藤井さんと2人で出発。途中、茅ヶ崎で服部さんと合流。谷川さんは前夜遅くまで仕事をしていたので、と新幹線で興津駅での集合。山頂での積雪量が不安の為、駅前の公園で水を補給した後、タクシーで田代峠分岐まで入ってもらう。お陰様でバスで行くよりも1時間短縮できた。しかし、話し好きなドライバー。タクシーに乗って半年とか、清水市の昨今、景気など、話題が尽きる様子はなかった。それでも林道にはいると静かになり、時々地面に車体がこすれる音がするたび「会社の車だから大丈夫」とつぶやく。本人にとってはヒヤヒヤだったのでは。
 タクシーを降りてから身支度。装備の分配などをするが、全員久々の大荷物、背負うのも一苦労。ましてや登り始めから急登、気温は春のように暖かく、しかも昼時で雲ひとつ無い空、暑くて暑くて、全員Tシャツ姿。
 登山道は益々傾斜を増すばかりで、1時間も登ると早くも嫌になって来た私はこのまま後ずさりしてスタートラインに戻りたい気分。一番元気なのは服部さん、その次は谷川さん?かな。
 2時間も歩くと残雪がチラホラ。もう水の心配は要らないなと一人ほくそ笑む。もう、100グラムでも軽くしたい気分。
 稜線手前で雪が深くなってきたので、各々好きな時点でスパッツを付ける。やっとの思いで稜線までたどり着くと其処から景色は一変、登山道も傾斜が一気に無くなる。目の前に丸い丸い青笹の山頂、右手奥には大きな富士山、左手奥には雪の付いた南アルプス、正面は谷川?八ヶ岳?奥秩父?(ということにしよう)。
 山頂には15時着。一部に芝が出てテントを張るには快適極まりない場所。予定ではもう少し先に行きたかったのだが・・・。
 「絶対ココ!!」と頑張るメンバー。パワーに負けてしまった。
 早い幕営、夕日が見える方向に入口を置いてなが~いなが~い夜が始まった。気の毒だが酒を飲むのは谷川さんのみ。
「酒が無くても僕は大丈夫」と強がりなんか言って、まあ可愛い!
 随分大人になったねえ君は・・・。18時、トイレに行く為に外に出る。もう周りは真っ暗、眼下に沼津港と清水港の明かりがカーブを描いて美しい。香港、函館には敵わないが山頂から見る夜景は実に美しい。星空だって負けてはいない。プラネタリウムさながら星に手が届きそう。長い間確信が持てなかったオリオン座を遂に私は認識できたのだァー。しかし19時頃から曇りだしてしまった。
 明朝、5時起床の確認を取り全員20時に横になる。

 翌朝、目覚めると外は靄がかかっている。太平洋の暖気と南アルプスの寒気がぶつかり合うのが原因だろうか。そんな話をしながら朝食を済ませテント撤収。身支度をして7時10分に出発。しかし、全員何と言うバラバラの身なり。谷川さんの衣服は冬山姿だがアイゼン、ピッケルは無しでストック代わりに登山口で拾った長めの杖のみ。藤井さんは寒いからと日常のズボン2枚重ねにストック、アイゼン無しで靴は軽登山靴。服部さんは軽アイゼンにストック(これはまあ許せる)。私はといえばピッケル、アイゼン、冬山重装備。これを今風に言うならば「個性」かもしれないが山を甘く見ちゃああかんのじゃ、マッタク。
 昨日の予定は細島峠までだったが、そこはテントを張るスペースは全く無い小さな峠だった。全員「青笹山頂」にして良かったと話し合う。
 靄は晴れること無く時々小雪を散したりもする。日焼けの心配はないが展望の無い稜線をただただ進むことになる。途中の地蔵峠は細島峠よりは広い。峠の脇にお堂があり、恐らく地蔵尊が祀られているのだろうが、一泊するには小さ過ぎる。
 前進するほどに高度が増し積雪量も多くなるが十枚山まではしっかりしたトレースが有り、登り下りも少なく、全員明るい気分で歩くことが出来た。途中通過点の岩岳、下十枚山、十枚峠も良い幕場だ。下十枚山の別名が天津山というのが何故か心引かれる。ナラの木が多く此れはもしかしたら栗の木では、と浅はかな欲の張った心がムクムク。そういえばこの山域全体が雑木で、背は低いがしっかりしたブナの木々が目に入る。谷は急勾配で脆そうだが茸が採れそうな気がしてならない。
 十枚山では天幕の跡もあり人間臭さも感じ取ることが出来た。山頂で記念撮影をするが、この山域の山頂ではどこも山頂名を串団子4個が縦に並だ形の中に書いてある。趣きが有り出会うたびに嬉しくなる。登山道に決して多くのテープ・指導標がある訳ではないが、登山道の整備も良く、地元中学校の名前が入った標識も有り地域の人々に愛されている山だな~と感じさせる。
 記念撮影後、気の緩みか先頭を歩いていた私がルートを間違えてしまい引き返す。30分のロス。
 十枚山山頂から少し下りた所に「刈安峠からの東西へのエスケープルートは崩壊の為今は無い」との案内が有り、また、其処から先、バラの段までトレースは全く無い。カモシカたち動物の足跡を頼りに歩く。しかし実に気持ちが良いルートだ。ラッセルは大変だけれど、静かで赤布も見失わない程度にポツリポツリ。恐らく無雪期でも刈安峠のルートはあまり歩かれていないのでは。
 本日の予定は大光山(おおぴっかりやま)までだが十枚山を過ぎた辺りから服部さんが疲れ気味。ラッセルは3人で交代しながら進むが私がトップを行くと後方から「歩幅がもう少し・・・」の囁き。「ウルサーイ!!私は精一杯なんだ!」の気持ちをグッと押さえつつ前進。一日中霧がかかり展望が無かったせいも重なってか夏時間より遥かに刈坂峠は遠かった。大光山までは後一息と思ったが、刈安峠からの登りを見ると胸突き八丁さながらの急登。時刻は15時。峠には笹の茂った窪地が有り幕場には良さそう。「ウーーン、本日はここまで」
 この幕場は実に良い。最上級と言っても過言ではない。だが一つ難点は、窪地の為景色が。星空は最高なんだけどー。
 昨夜の夕食は谷川さんの特製キムチ鍋。白菜、豆腐、葱、肉と頭が下がるくらいの材料を担ぎ上げて戴き実に充実した内容だったが、今宵は私の手抜き、軽量、さらに不気味さを兼ねた夕食。果たしてお気に召すのか?
 トマトリゾット、アボガド+ツナ+リンゴのサラダにポタージュスープ
リゾットは疲れ気味の服部さんにはベストだった。アボガドサラダに恐々と箸を勧める藤井さん。しかし、全てが無くなるまでに余り時間はかからなかった。デザートはコーヒーゼリー、フルコース? もたまには如何?
 夕食が終ると何もすることも無くなり夜が長いとホザク谷川さんを無視して、明日は八紘嶺まで行こうと相談して早々と横になった。
 翌朝、快晴の兆し。朝一番から強烈な登り、積雪も少なそうなので服部さんに先頭をお願いする。30分くらいで交代を繰り返すがなかなか大光山に着かない。良い山だがアップダウンは実にきつい。どうにか展望も開けた頃、人のトレースに出会った。昨日からのラッセルに疲れていたので実に嬉しかったが、そのトレースは奥大光山で下山していた。この間は穏やかなルートで、展望も良く右手に大きな大きな富士山が一緒という相も変らぬ景色を楽しんでいただけに今後のことを想うと少しガッカリ。奥大光山~安倍峠まで全員ルンルンと下山かと思っていたがここからが今回のハイライトになろうとは・・・。
 奥大光山からワサビ沢の頭までの実に遠かったこと(ハイキングマップでは1時間、無雪期)、ワサビ沢の頭からの飛び込むような下り、それが終ると岩登りさながらの急登。トレースの無いフワフワ雪と背中の重いザックで何度もバランスを崩す。遅れ気味の服部さんを気遣いながらもここから早く逃れたい気分で前進。バラの段に着いた時には全員息もたえだえ。しかしここからの富士山の美しさに今度は全員ポカ~ン。わずか2坪足らずの山頂。あの○○だってこのデッカイ美しい富士山は知らないだろう、なんて一人いい気になったりして。全員疲れた顔は脇において富士山バックに笑顔で記念撮影「ハイ、ポーズ」
 「バラの段」の登りで初めて人に出会う。安倍峠から登って来たと言う中高年の男性一人、この山をかなり知っている様子。荷物も少なげで挨拶をしてすぐ別れるが、久々に人に会えた嬉しさよりも、この先トレースが有る事の方が嬉しかった。
 記念撮影後、後は安倍峠までと歩き出したが、ここもやはり飛び込むような下り。せっかくのトレースも余り役に立たない。悪戦苦闘しながら漸く安倍峠へ。冬季閉鎖の車道を八紘嶺登山道へ向かう。服部さんはかなり厳しい様子「ここから先一人でも下りる」と言い出す。取り敢えず取り敢えず登山口まで行って相談することにする。
 登山口にはログハウスのお洒落なトイレが有り、その手前に折良く土が出ている処が有り、其処にテントを張る。気温が下がってきたのか急にガスが増してきた。今日は大晦日、初日の出は今回も無理か。
 谷川さんの用意してくれたカレーライスを食べながら明日の行程を相談する。
(1)服部さんは下る (2)ここから先、エスケープルートは無い (3)予定日は使い果たした (4)食料は (5)明日の天気に期待が持てない、等等、さらに、以前、服部さんが入浴したと言う「梅ヶ島温泉」のお湯は良いとの事。
 私は一人でも行きたかった、他のメンバーは後ろ向き。今回来られなかった伊藤(め)さん、内山さんたちの顔も浮かぶ。再度挑戦しようと思いなおす、春か秋メンバーを変えて。明日は入浴時間に間に合うようにゆっくり起き下山と決まる。今夜は紅白歌合戦でも聞きながらと横になる。私のラジオは2時間で自動的にスイッチが切れるのでテントに吊るして横になったが、これが谷川さんには不味かった。起き掛けに「眼が冴えてしまって電源が切れた後自分のラジオ出して結局最後まで聞いてしまいましたよ。今年も紅が勝ちましたよ」と一言。どうも御苦労様でした。
 ゆっくり身支度をする。心残りも有るが一応安倍奥は歩いた、しかも好天に恵まれよい山行ではなかっただろうか。
 8時30分に出発。暫く車道を歩いた後、登山道へと入るが、此処も手ごわい下り坂。植林(杉)の中走り出したら止まらない急坂、雪が無くなった分だけ膝が痛い。しかも予定より長い。もう嫌と言うほど下った所でやっと温泉街の屋根が見えた。時刻は9時30分、「早いけど入れるかな?」が、話題になり出した頃再び車道に合流。安倍奥の山も終わりとなる。登山口に「冬季の安倍峠~奥大光山は危険」の看板があった。雪がもう少し多ければ危ないかも、と4日間お世話になった杖を登山口に返しながら谷川さんがつぶやく。
 車道から5分ほどで最初の旅館に着く。藤井さんが最初の旅館で話をつけてしまった事がどうも谷川さんは気に入らない。
 「エッ、もう決めてしまうの?」と不満気。何とか他を尋ねようとするが宿の親爺も大した者、
 「ちょっとバスの時間を・・・」と谷川さんが言えば、
 「家でも分かりますよ」と宿の親爺。彼らの問答が実に面白い。
 結局、かなりの不満を覗かせながらもその宿で入浴。お湯は肌にツルツルした感じがとても良いが、風呂場の男女の境がどうも危ない。独り慌てて鍵を掛ける。しかし、筒抜けになった天井から聞こえる会話は実に爺臭い。
 土地の人は優しくてバス代が安くなる方法など色々アドバイスは有ったが、やはり谷川さんは他の宿を覗いてみたかったのかこの話は東京へ着くまで続いた。梅ヶ島温泉からバス2時間で静岡駅。途中何度もウトウトするが窓からの景色が新鮮で終点まで頑張って起きていた。しかし、お正月らしき物には出会わなかった。
 駅周辺はどこもお正月休みで食事をする所も無く全員駅弁を買って普通電車を乗り継ぎながら食べた。皆様、大変お疲れ様でした。

〈コースタイム〉
12/29 快晴 田代峠分岐(11:45) → 稜線出合(14:45) → 青笹山頂(15:00)
12/30 曇時々晴 青笹山頂(7:10) → 笹島峠(8:00) → 地蔵峠(8:40) → 岩岳(9:40) → 下十枚山(10:45~10:08) → 十枚峠(11:28) → 十枚山(12:00) → 下山口間違い30分ロス → 刈安峠(15:05)
12/31 快晴 刈安峠(7:10) → 大光山(8:30) → 奥大光山(9:40~9:55) → ワサビ沢の頭(12:10~12:30) → バラの段(13:15~13:30) → 安倍峠(14:00) → 八紘嶺登山口(14:30)
1/1 曇のち晴 八紘嶺登山口(8:30) → 梅ヶ島温泉(9:50)

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