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明神岳東稜
高橋 俊介

山行日 2003年1月11日~13日
メンバー (L)松尾、中舘、高橋(俊)、(松尾氏友人)

 あれほどリーダーに軽量化!と念を押されたにもかかわらず、馬鹿でかいザックで登場し、後部座席で爆睡しているN嬢をちらりを見てため息をつきながら、中央道をぶっ飛ばす。仕事&車の調達に時間がかかり東京を出発したのが1時半過ぎなので、せめて少しだけでも沢渡で寝たいとの思いからついついアクセル踏んでしまう。これが社会人山行の悲しい性である。しかも、2時間前に適当にザックに詰め込んできたので忘れ物してると思ったら案の定、わかんを忘れていた。N嬢がうらやましい。最近、雪が降っていないのか、凍結している箇所もなく沢渡までノーマルタイヤで行けてしまった。4時半から寝ようとするが、ほとんど眠れず結局一睡もしないまま、今日の幕営地「ひょうたん池」を目指すこととなった。
 天気はすこぶるよく、この時期の冬の穂高でこんなに晴れたのは僕は初めてだと思う。新釜トンネルに驚嘆の声を上げながら、トンネルを抜けると目前に焼岳、穂高等々どこまでも澄み切って見えている。なんだか昼寝したいような気分のまま林道を歩く。砂防工事なのか、工事関係者の車がずいぶん入っており快調にとばしていける。途中、バスターミナルのトイレに行ったN嬢がトイレに閉じ込められる(?)といったハプニングもあったが、2時間ほどで明神まで行くことができた。
 ルート図には養魚場裏から取り付きになっているが、嘉門次小屋に続く橋の上から見る限り宮川谷と上宮川谷のすり鉢状をトラバースするのはあまりに怖い。雪崩が来たら一発でやられてしまうだろう。その為、ひょうたん池に続く尾根の末端から取り付くこととした。予想通り(?)こんな時期に入っているパーティーはなく、きついラッセルの開始となった。しかもわかんを忘れてきたのは非常につらい。眠さ&ラッセルの疲労から尾根の途中に「ここに泊まってちょうだいね」と言わんばかりの適地があったので、「しょうがない、泊まってやるか」ということになった。N嬢の歌声に悩まされつつも前日の疲れからすぐに寝てしまった。
 翌日も快晴。3時起床、5時半出発。ヘッ電を点けながら尾根上を詰めていくと、ラッセル&藪漕ぎがところどころにあり、思うように飛ばせない。結局、ひょうたん池に着いたのが9時。順調に進んだとしてもピークを踏んで往復してくるのがやっとの時間である。その為、荷物をここにデポし、2時までの条件つきでとりあえず登れるところまで登ろうということになった。発達した雪庇に注意しながらラッセルして高度を稼いでいく。1時間ほど登った辺りから両側が切れ落ち始めてきたのでアイゼンをつけザイルを出す。松尾さんがリードでダブルアックスでガシガシ登っていってしまう。おーい、まっちくれい。ということで僕はユマールでビビりながらやっとこさ登る。次のピッチもザイルを連結し松尾さんはガシガシいってしまう。ルート図だとこの辺が一枚岩だと思うのだが、やはり今年は雪が多いのか、全くそれらしきものは見えずここでもラッセルを強いられる。2ピッチ登ったところでタイムオーバー。これから先もラッセルが続くしピークまではしばらくかかりそうなのでここでひょうたん池に引き返すこととする。ここから見ると、自分たちのつけたトレースだけが雪面に一本の線を引いていて誇らしげな気持ちになったのは私だけだろうか? クライムダウン&懸垂1ピッチで、来た道を1時間ほどでデポ地点に戻る。すると、遠目でもデポ地点がやけに散乱しているような感じを受け、急いで行ってみると、カラスにごみを漁られむちゃくちゃに荒らされているではないか!でも漁られたのはごみだけで、今日の晩飯じゃなくて一安心。微妙な味のFDのしょうが焼き(?)を食べ、酒もほとんど飲まず月光に浮かぶ明神をバックに早々と眠りについた。
 早く帰って洗濯しないと明日のパンツがない!という松尾さんのリクエストに応えて、翌日も日の出前から行動開始。まだ雪が締まっていることから沢沿いに下る。2時間ほどで明神につき治山用道路を下り、河童橋で対岸に渡る。こちらは除雪されており知っている人はこちらから入山しているようだ。
 中の湯からタクシーで沢渡に戻り、沢渡温泉に入り食事もそこそこに、パンツの為、中央道を飛ばして帰った。


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