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新年山行・鐘撞堂山
委員長・服部 寛之
山行日 2003年1月19日(日)
メンバー (L)服部、小幡、田原、原口、野田、広瀬(昭)、越前屋、西尾、藤井、小山、小堀、中館、鈴木(渚)、金子+剣・萌、(菅谷)、他4名(田原友人)[大人19名、子供2名]

 新年山行の場所をどこにするかは年末恒例の委員会の議題だが、いつも頭が痛い。
「酒脳部の頭が痛いならそりゃあ二日酔いだろう」とおっしゃる向きもあろうが、これは酒を呑む前から痛いのである。
 呑まなくても痛いし、呑んでも痛い。
 どうせ痛けりゃ呑まなきゃ損損となるのは世の中の自明の理で、痛さは勢いフトコロまで拡大する。
 この時期、委員会は人知れず三重苦に呻吟するのだ。
 足の便が良くて短時間で登れて酔っ払っても容易に下山できる山というのは、条件としてはかなりキビしい。11月の委員会で、ここ数年は南の湘南方面が続いたのでこんどは久々に北の奥武蔵周辺で探そうということになり、翌12月の委員会で委員長が見つけてきた寄居の鐘撞堂山に決まった。この山は駅からわずか1時間で登頂でき、南面が開けて暖かそうな山頂には東屋もあり、反対の波久礼(はぐれ)駅側に下れば温泉もあるという、誠に宴会には好都合の立地条件なのである。因みに山名は、戦国時代、敵の襲来を告げる鐘撞堂があったことに由来するという。良さそうな場所に決まってやれやれとなったところで、その夜酒脳部がうれしげに居酒屋に移動して新たなる頭痛プロセスに楽しく取り組んだのは言うまでもない。
 ところがである。年が明けて最初のルームで募集したところ、パラパラと手が挙がったのは男連中ばかりで、女性は入会希望の方ひとりと△の広瀬(優)さんだけ。これはマズイとその場に居並ぶ女性陣に目を向けても、視線は冷たく逸らされるのみ。思わぬ頭痛の伏兵出現である。それならばと、最後の頼みに知ってる限りの女性会員の全メールアドレスに緊急要請を行なうも、返ってくるのはどれも励ましのお返事ばかり。「がんばってね~」という文字が憎憎しくも楽しげに画面で踊っている。賢明な女性陣は19日が新年山行と知るや皆早々と別の予定を入れてしまったようで・・・。嗚呼これは新年早々せっかくの女性入会候補を失うことになるのかとわたくしは委員長としての無力さに打ちひしがれながら早くも暗澹たる気持ちに襲われたのだったが、しかし幸か不幸か直前になって入会希望の方は仕事の都合で来られなくなった。結局これで女性陣は全滅となり、ホッとしていいんだか悪いんだか解らなくなったところに、入会して間もない女性の中館さんから「予定が変わったので寝坊しなかったら参加します」というメールが入り、とりあえずホッとした。

 当日、集合時間の朝10時過ぎ、寄居駅の改札前に集まったのは、原口さんを除く全員と田原さんの友人4人。今年家族を連れてきたのは金子さんだけでいささか寂しいが、剣くんの背がぐんと伸びたのに驚く。原口さんは携帯にかけても通じないので、「肝心のシェフが来ないんじゃしょうがねえなあ」と言いつつも「毎年のことだからな」と10時半ごろ出発する。どうも原口さんは少しばかり皆に気をもたせた方が料理はおいしく食べられると考えているようだ。
 山頂までは1時間。山道に入るとところどころ凍結した箇所があったが、何の苦労もなく到着。実は正月明けの5日に様子見を兼ねてこの近くの破風山(はっぷざん)に登ったのだが、その時は山も町も結構雪化粧していた。だがその後融けてしまったらしく、道路脇にあったうす汚れた雪塊もすっかり姿を消していた。
 山頂(330m)は八畳敷きのタヌキが10匹くらい棲んでいそうな広さで、大ぶり一匹ほどの大きさの東屋のほかに、真新しい展望台が設置されてあった。眺望は残念ながら靄っていてあまりなく、うっすらと麓の町並みが見える程度。この山はハイカーには人気らしく、うちらと前後して三々五々結構な人数が登ってきていた。三角点のある西隅あたりが平らなので、さっそくそこに銀マットを敷きつめシェフ到着まで各々勝手に呑み始めるが、持参した鍋の具を中央に集めてみると鍋と若干の調味料があることがわかり、臨時のシェフを買ってでた越前屋さんの仕切りで鍋つくりが始まった。手馴れた様子からこれは家でやらされているなと判ったが、いや実にありがたいことです。
 1時間ほどして大鍋を担いだ原口さんがようやく到着、拍手で迎えられる。大御所の登場で越前屋さんは鍋奉行の座を奉還、野ならぬマットに下り、引き継がれた鍋は今度は原口鍋ノ守様の名さばきのもとに留め置かれた。ふるうのは勿論包丁である。時折り通りすぎるハイカーのうらやましげな視線を受けながら、二弾、三弾、四弾と、まことに絶妙な味の、時には辛めのおさばきが次々と下され、一同「もう食えません、これ以上はご勘弁を」と腹をさすった2時半過ぎまで、山上の宴は打ち続いたのであった。

飲みね~、食いね~

 最後に記念写真を撮って、3時頃円良田(つぶらた)湖へ向け下山する。湖畔の分岐で温泉に直行する組(大半)と少林寺の五百羅漢を見てから温泉へむかう(自称文化人)組(5人)とに分かれた。わたくしは我が煩悩を噛みしめるべく後者の組に入ったが、この五百羅漢は見応えがあった。湖畔からは小高い山を越えて少林寺の裏庭に下りるようになるが、山頂から寺までの道には列座する羅漢たちの慈愛に満ちた眼差しが満ちていた。右手を口にくわえた羅漢様の前ではそれを真似た藤井さんがカメラにむかってハイポーズ。このバチ当りメが! 撮ったのは・・・何を隠そうわたくしでありんした。
 温泉は波久礼駅裏手の高台にそびえる『かんぽの宿寄居』の金山温泉である。平成11年12月に開湯したという新しい温泉だ。五百羅漢組が到着したときには既に直行組は入湯中だったが、野田さんと服部は浴さず一足先に失礼した。後日聞いたところによると、温泉組はその後ビールなどを追加摂取してから6時半頃の電車で帰途に就いたとのことだった。
 皆さん、お疲れさまでした。また原口さん、シェフ役をありがとうございました。
 ということで今年の新年山行は終わったのだが、しかしこうも女性陣に不人気となった現状をみると、新年山行はそのあり方を考え直す時期に来ているのかも知れない。また今回、当初久々に顔を見せてくれる筈だった水田前委員長が来られなくなったのは残念だった。

五百羅漢

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