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帝釈山脈縦走
越前屋 晃一

山行日 2003年10月18日~21日
メンバー (L)越前屋、鈴木(章)

 「我が家の犬が、縁の下にもぐって出てこなくなった。やっとのことで連れ出して、病院に連れて行ってみると洋服から取れたボタンを飲み込んでいた。どうりで元気がなかった訳だ。」
 少年時代をすごした地方都市の「市民会館」をおとずれた作家・水上勉の講演会の導入部分だ。最近は「箱もの行政」の悪名が高いが、当時「市民会館」は都会の文化のアンテナボックスだった。満員になった会場は通路にまで人が座り、講演に聞き入っていた。
 話の他のところはすっかり忘れてしまったが、その後、ボタンを吐き出した犬は元気になりあたりを飛び回るようになった。人間も何かしらボタンを飲み込んでいることがあって、気がかりになって仕方がないことがあるものだ・・・といったようなことだった。
 例会が近くなって、この話が何度も頭の中をまわるようになった。
 ちょうど2年前のおなじ秋に、ルートのほぼ真ん中、引馬峠のあたりを一日ワンデリングしたあげく敗退した。なんとしてもこんどは縦走したい。幸い山慣れた章子さんが一緒にいってくれることになった。使い慣れないがGPSも準備した。

10月18日 曇り
 朝のラッシュに巻き込まれ電車に乗り遅れ、鬼怒川温泉駅発の栗山村村営バスに間に合わなくなってしまい、奥鬼怒温泉郷加仁湯までタクシーで入る。ここから鬼怒沼まではハイカーで賑わい、どこまで行くのかと何度も聞かれる。もっとも、藪漕ぎにそなえた小汚い身なりの2人連れを見かけてちょっと声をかけたくなる気持ちもわからなくはないが、うんざりしてしまう。
 鬼怒沼から先は大清水~物見峠の道をあわせて静かになる。道も刈り払いされ歩きやすい。今日は黒岩清水に幕。

10月19日
 黒岩清水を6時に出発。まもなく黒岩分岐だが指導標もあり明瞭。わずか2年で踏み跡も濃くなり、いたるところに赤布がつけられ、いささか興味をそがれてしまう。しかし、山頂付近は潅木も濃く、これから始まるのだという気配がして気が引き締まる。
 黒岩山山頂は白い反射板が据えられ航空写真が撮られたらしく、最近国土地理院か林野庁の調査が入っているようだった。ここ2162.8Pの南峰を本峰にして中央峰、北峰が続くが、北峰の岩峰の間をくぐり土のルンゼをおりて再び主稜線にのる。途中に林野庁のものらしいおびただしい数のピンクのテープがつけられていて危うく尾瀬側に引きこまれそうになったが、すぐに気がついて事なきを得た。
 このあたりからは赤布もなくなり尾根の北側の歩きやすい所を探して進むしかない。孫兵衛山(2063.8m)は途中からうっすらとみえる踏み跡の残骸をたどった先の、北側に派生する広い尾根にある。2年前にきたときにあったそこだけ刈り込まれた円地も藪に埋もれ跡形もなかった。自然の力強い生命力を感じないわけにはいかない。
 孫兵衛山から主稜線に戻り、さらに東に進む。ここでいつのまにか尾根を乗り越えてしまい、気がつくと稜線南側の深いすず竹の藪にはまっていた。GPSを取り出して現在地を確認して、激しい体力の消耗の末ようやく稜線に戻る。今日は引馬峠下までと思っていたが手前の徒っ広いピークで行動を終えることにした。

10月20日 雨
 雨の藪漕ぎはつらい。どんよりと曇った空を見上げて、後ろから追いかけてきている低気圧につかまらなければ良いのだがと思う。朝一番、いきなり方向を失っていったん幕場まで戻る。強引に藪をついて尾根を下ったがこれもだめだった。もう一度戻って隣の広い尾根を下って火打石沢の源頭に出る。引馬峠に降りたかったが濃い藪を避けているうちに北に方向をずらしてしまったようだ。南東に向かって引馬峠をめざしたがどうしてもたどりつけなかった。
 この引馬峠はつかみ所がない。前回の苦戦もそうだが、ここは妖怪の居住区かと思う。
 あきらめて1938Pを捲いて稜線に這い上がる。1938Pを越えて1895P直下でついに激しい雨につかまる。小止みになるのを待って動き出すが、今度は北西の尾根に引き込まれてしまった。アルバイトに疲れて古い赤布のあたりに戻ってあたりをさがして、倒木と藪におおい隠されたほぼ直角に曲がる主稜線をやっとみつけた。
 コルに下って台倉高山に登り返す。ここは身長を越えるすず竹をかきわけて、正確に言えばすず竹につかまって直上する。手を離せばほぼ間違いなくすべって落ちていくことになりそうなのだから二人とも必死だった。山頂は小さく、古い山名板が木に打ち付けられていた。
 次のピークも台倉高山だった。こちらのピークは広いがほぼ標高も同じで南峰と北峰ということになるようだ。
 コルに下りたところで、今日の行動を打ち切ることにした。藪漕ぎ山行ということで古い雨具を着ていたので身体もすっかり冷えきっていた。結局、この夜は一晩中寒さで身体を震わし眠れない夜を過ごすことになったが、装備の手抜きがこれほど骨身にしみたこともなかった。

10月21日 雨
 昨夜はマイッタという話をして身体を温めてテントをたたむ。昨日からの雨であたりは水をたっぷりと含んでいる。
 今日も出だしから苦労することとなり、いきなり右往左往することになったが、広い稜線を丁寧に拾い2033Pにたどりつく。かすかな踏み跡の残骸をひろって尾根をくだるが、次第にコンパスは進行方向をはずす。いったん、小ピークにもどって潅木を漕いで下ると突然しっかりと踏み固められた杣道に出た。
 迷走からようやく脱出できた。あとはこの道を注意深くたどればいいはずだ。まだ道は倒木と覆いかぶさる下草にさえぎられてところどころで寸断されている。気はゆるめられないものの古い赤布やテープがあちこちに出てくるようになった。
 三日の間にできた遅れを取り戻せそうだ。予備日をつかわなくてはルートを抜けられないと観念していたところで飛び出した杣道はありがたかった。1889Pあたりだろうか、まわりが急に開けてくると池塘群が出てきた。雨をたっぷり含んだ手つかずの池塘。会津の山の美しさをこうしたなにげない小さな草紅葉の池塘に教えられる。
 このあたりを通り抜けると急な下りになった。まわりの木は真新しい切り口を見せて払われ、あきらかに登山道がつくられている。さっきの池塘に人の手が入り木道が敷かれるのもそんなに遠くはないだろう。もう人間は自然をそのまま残しておくことすら出来なくなっているのだろうか。
 下りきったところの馬坂峠は完全に整備されていた。仮設トイレ、舗装道路、駐車ライン。知ってはいたが、やはり、これほど突然ものごとが変わってしまうのはどうしても違和感が・・・。
 いっそのこと舗装道路を歩き、楽をして尾瀬に下ってしまいたい誘惑にかられたが帝釈山をはずしては「帝釈山脈縦走」の看板が泣くと思い直して歩き出す。
 雨はあいかわらず降り続いてはいるものの先が見えてくると自然に足も速くなり、避難小屋の弘法大師堂で短めの休憩をとり、広大な田代山湿原を抜けて木賊温泉に下る。
 長い下りはこれでもかと続いたが、ちょうど紅葉のまっさかりの山道は言いようのない美しさだった。紅葉のトンネルをくぐり、紅葉のじゅうたんを踏み歩く至福のときだった。

 たどりついた木賊温泉の共同浴場で身体を温めながら満足感にどっぷりとつかる。とりあえず「ボタン」は吐きだした。とは言うもののとんでもない迷走だった。GPSの助けがなかったらこのルートをすんなりとは抜けられなかったかもしれない。結局、納得のいかないまま稜線をはずしてショートカットした場面もあった。迷宮からやっと脱出したという印象をぬぐいきれないのだ。
 とにかく、このたよりない「迷走」を辛抱強くささえてくれた章子さんとふところ深い会津の山々に心から感謝したい。

〈コースタイム〉(鈴木章子)
18日 加仁湯(12:05) → 滝見台(12:55)→ 鬼怒沼(14:15) → 黒岩清水(17:00)(幕)
19日 黒岩清水(6:00) → 黒岩分岐(6:18) → 黒岩山山頂(6:53) → 鞍部(8:20~40) → 孫兵衛山(10:52~11:25) → 幕場(16:30)
20日 幕場(6:10~7:15) → 火打石沢源頭(引馬峠)(10:25~10:40) → 稜線(10:40) → 台倉高山(15:00~17) → もう一つの台倉高山(15:40) → 幕(16:00)
21日 幕場(6:10) → 杣道出合(7:10) → 池塘(8:15) → 馬坂峠(9:20~30) → 帝釈山(10:20~26) → 田代山(11:24~45) → 林道(13:30) → 木賊温泉(15:00)

帝釈山脈縦走追記
 原稿を「岩つばめ」編集委員会に送った後に、nifty「山のフォーラム」に常連ナスノガダール氏の次のような発言がアップされているのに気がついた。

 「最南の県境稜線上ピークと本峰とのあいだにもう一つ小ピークがあったんだ。なるほど、等高線は閉じていないが本峰とのあいだにもう一つ小ピークがあることはちゃんと等高線のふくらみを見ておけば読み取れたはずだ・・・・・・
本峰がもう一つ先とわかればあとは藪漕ぎに邁進するのみ。・・・・・・念願の孫兵衛山山頂に達した。
 下草が刈り払われていて三角点柱石が埋められている。立ち木に明大ワンゲルの青い山名プレートが掛かっている。」(02年9月23日)

 確かに2年前に踏んだ孫兵衛山山頂には明大ワンゲルの塩ビの青いプレートがあった。どうも今回は先を急ぐあまり、勝手に「自然の回復力」を讃えて藪を詰め切れなかったようだ。反省しなければならない。

帝釈山脈概念図

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