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三岩岳~会津駒ヶ岳
越前屋 晃一

山行日 2003年4月12日~13日
メンバー (L)越前屋、金子、荻原、鈴木(渚)

 近頃、前夜発の車の運転が翌日の行動に影響してくるようになった。「中高年も高に近くなってきたのだから考えなければネ・・・」とか言いながら、結局、今度も夜の東北道を走ることになった。
 疲れてきて「もう運転もいやになったね」という頃に東北道を降りて、塩原の道の駅に着く。ここの建物は庇がはり出していてテントなしでも仮眠ができて具合がいい。
 朝になって明るくなったところであたりの山を見渡すと雪がない。こんなんで大丈夫なのかい。春山に来たのに藪山に変更なんていうのは「いかがなものですか」と顔を見合わせる。
 3時間ほどで三岩岳登山口のある小豆温泉の駐車場に着く。作戦では伊南村と檜枝岐村の村界尾根から1426.7Pを三岩岳に登るつもりだったが、尾根の末端までは地図上で見る以上に距離があるのがわかった。ここは登山口横の尾根を登って村界尾根に取り付くことにして出発する。
 取り付きからしばらくは藪が露出していやらしいが、すぐに広い残雪の尾根が始まる。今朝、長い藪漕ぎに悩まされるのではないかと考えたのは取り越し苦労だったようだ。春の陽光が残雪に射すなかを快適な登高が続いた。
 1362Pに着くと三岩岳の主稜線が顔を出し、黒い肌の三ッ岩も見えるようになる。沢の向こうに1426.7Pからの鞍部が見えた。このタケナグラ沢の源頭に90m下り、そのまま90m登り返して鞍部に出て村界尾根になっている主稜線に乗る。ここは金子さんが先陣を切って駆け抜ける。雪は思った以上にしまってはいたものの、いっきに走り抜けたせいで、みんな息があがってしまってハアハアいう。結局、ここでも一息入れることになる。
 午後になって今まで持ちこたえていた雲の様子も怪しくなり、そのうちに雨に変わったが、確実に三ッ岩を越え、三岩岳のピークに立つ。今日の幕場は予定どおり2060P手前の広い鞍部にする。
記録をちゃんとしなきゃ!  13日。予報では快晴のはずだったが、朝になっても風と雨は止まない。視界も良くないが、回復は遅れているものの午後には晴れそうだった。このまま会津駒を目指すことにする。
 快晴の稜線漫歩の期待は外れたが、白いベールにつつまれた会津の稜線にもまた別の美しさがある。山の変化する姿を見ることのできる僕らは本当に幸せだ。
 稜線は広く、視界は悪くコンパスを振りながらわずかに顔を出した樹林の脇を行く。2057Pあたりでルートのカーブを意識しすぎて危うく西の御神楽沢方向に引き込まれそうになったが、荻原君が気付いて助けられる。実を言えば、地形図上の尾根の曲がり具合と実際の曲がり具合のつかみ方が苦手でいつも苦労するところだ。尾根が広ければ広いほど難しい。なんとかしなければといつも思うが、なかなか思うようにいかない。
 大戸沢岳の長い登りを終えるとあとは一投足で会津駒に着く。山頂の3mはあろうかという山名の彫りこまれた標柱も雪に埋まりかけていたが、記念撮影用に誰かが掘り出したらしく「会津駒」まで読めるようになっていた。悪天の縦走を終えてのんびりと山頂の休憩をとる。「岩つばめ」の原稿の話をしていると金子さんが「概念図を画きましょう」と言ってくれる。「帝釈縦走」の時は手書きの物を渡してパソコンできれいにしてもらったが、またやってもらえることになった。毎度のことで感謝のかぎりだ。
 駒の山頂から先はピストン登山と山スキーのトレースをたどるだけになり、檜枝岐の登山口までひたすら駆け下りる。途中からは稜線のガスが嘘のように晴れ上がる。下の方は朝から晴れていたようだ。登山口にデポしておいた自転車で車を小豆温泉まで回収に行く仕事が残っていたが、これは荻原君が「そういうのは若いボクがやりますよ」と引き受けてくれる。感謝。

〈コースタイム〉
12日 小豆温泉出発(8:01) → 1362P(10:40) → 1884P(13:05) → 三ッ岩(14:17) → 三岩岳(14:36) → 2060P幕場(14:50)
13日 幕場出発(6:20) → 2057P(7:50) → 大戸沢岳(8:27) → 会津駒ヶ岳(10:45) → 登山口(12:50)
ルート概念図

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