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岳沢定着
越前屋 晃一

山行日 2003年4月27日~5月5日
メンバー (L)越前屋、金子、小幡、荻原、天内、橋岡、内山

 今年のゴールデンウィークは、休日の配列が良くなくて会員の休暇の取れる日にもばらつきが多かったため、合宿を見送り通常の例会レベルでゴールデンウィーク山行を行うことになった。
 途中からの参加が可能で、登攀ができる条件を満たすところは多くはない。ばらばらに集合することになれば現地への「足」が鍵になる。いくつか候補を検討したが、会の例会としては長い間選ばれることのなかったらしい岳沢を定着点にする。交通手段の豊富な上高地からも遠くなく、涸沢ほどの混雑もなく後発メンバーがテント探しに苦労することもないだろう。なによりも、岳沢からのルートならゴールデンウィークでも混雑を避けて静かな登攀が楽しめそうだ。

4月27日 【岳沢へ】 越前屋、金子、小幡
 10:00八王子駅に集合。今日は、岳沢に入るだけでいいので、のんびり出発できる。なぜか、駅前開発の進まない南口に車を停めて待つと、金子会長がいつもの調子で「よっ!」と言ってあらわれる。つづいて幡ヤンがうれしそうにニコニコして到着。しばらく山にいられると思うとうれしくなってしまう気持ちが伝わってくる。
 明るいうちに中央高速道の下りを走ることはなかなかないので、山並みを眺めながらのんびり走る。
 沢渡について共同装備を分配してパッキングをすると、どのザックもやたらに重い。後発部隊の分のテントやらロープも背負わなければならないので合わせて40キロ前後になってしまった。
 タクシーで上高地のギリギリ奥まで入ってもらい(とは言っても100m位のことだったが)ヨロヨロ出発。日頃、トレーニングを欠かさない幡ヤンだけは「お前らしっかりしろよ・・・」といった顔で平然としている。見てはいけないものを見るような上高地観光の人々の視線をかき分けて、というよりも避けられて、河童橋を渡る。そんな逆境にめげることなく「今度来る時は帝国ホテルとかに泊まってオシャレに決めたいもんですネ」ぐらいの訳のわからない無駄口を叩きながら岳沢登山口に向かう。
 装備の重さを計算から落としていたことをぼやきながらテント場に着いたのは、無雪期コースタイムの1.5~2倍をかけて、19:00になろうかという頃だった。

4月28日 【コブ尾根】 越前屋、金子、小幡
 今日は軽く足慣らし、サクッと登るつもりで7:00出発。岳沢ヒュッテの前を横切ってコブ沢から登る。しばらくコブ沢を登ったところにある急なルンゼを詰めてコブ尾根に乗る。
 雪稜を登りおえてマイナーピークにたどり着く。ここのクライムダウンは両側に切れ落ちていて失敗は許されない。念のためにロープを出す。最後の一歩がやや遠いが問題なく通過する。
コブ尾根・マイナーピーク  コブは第一岩峰から取り付く。最初のピッチは短いが、かなりいやらしいスラブだった。斜上するクラックから小さなスタンスにアイゼンの前爪一本で立ち込む。おそるおそる潅木に手をのばしてようやく登る。
 気がつくと第一岩峰の横の雪壁からスキーを背負ったパーティーが現れ、直接、第二岩峰に取り付いてしまった。仕方がないので順番待ちをするが、セカンドが右上するルートでボタボタ落ちてもがいている。これはかなり手ごわいのかと気を引き締めて登るがそれほどのことはなかった。
 コブの頭からの懸垂下降も、何をやっているのかしばらく待たされてしまう。朝の出をのんびりしなければ良かった。やはり、登攀の基本は早出だ。次の岩まじりの雪壁でやっとのことで追い越したがかなりのロスタイムになった。コブ尾根の頭に着いたのは17:00になろうかという頃だった。
コブ尾根・正面がコブ  コブ尾根の頭から天狗のコルの岩稜を急いで通過、かろうじて日の落ちる前に天狗沢の下降を始める。まもなく暗くなり懐電をつけて幕場に戻る。本日の行動終了は20:00。

4月29日 【沈殿】越前屋、金子、小幡
 昨夜、明日(4月30日)の悪天予報が小雨程度から雨に変わる。iモードの「お天気プラス」(月額100円だがピンポイント、山岳予報が詳細で便利)で天気図を見ると低気圧が2つ並んでいて間違いなさそうだ。奥穂南稜~涸沢~前穂北尾根の計画は延期にして2日間の沈殿を決める。
 今日は天候の崩れもないので、のんびり起き出して後続メンバーの幕場の整備をする。
 あらためて岳沢から稜線に目をやると、左から西穂高、天狗ノ頭、畳岩。奥穂高は隠れて見えないものの、一番右に前穂高を配して素晴らしい景観を見せている。特にやることもなくなって酒をちびちびやりながら日がな一日稜線を眺めるが、飽きることもない。金子さんと幡ヤンは2001年正月合宿・風雪の西穂~奥穂縦走(『岩つばめ305号』)を思い起こして、もう一度挑戦したいと語り合っていた。

4月30日 【沈殿】 越前屋、金子、小幡
 昨夜から雨になる。明け方からは雨、風ともに強くなり一日中テントに閉じ込められる。夕刻、静かになってきたと思っていたら雪に変わっていた。

5月1日 【明神岳東稜】 越前屋、金子、小幡、荻原
 朝から晴れあがり、昨夜の雪をまとった稜線が輝く。今日の一番乗りで荻原君が岳沢に到着。満面の笑みを浮かべて「イヤー、どーもどーも」と登ってきた。
 すこし休んでもらって10:00に幕場を後にする。今日はひょうたん池に幕を張る予定。いったん岳沢登山口に降りて梓川右岸の林道沿いに行く。明神橋のたもとを曲がり養魚場跡から宮川のコルへ。
 というつもりだったが、穂高神社の前まで来て顔を見合わせてふらふらと嘉門次小屋に誘われてしまった。ちょっと余裕が有りそうだとみんな好きだから止める者はいない。「イヤー、ビールが飲みたかったんだよね。もー、ビンビールなんか感激だね。」とか言いながらくつろぐ。もう少しと思ったが、そこはグッとこらえて腰を上げる。
 明神5峰を左に見て、下宮川谷から宮川のコルに13:40。上宮川谷を越え長七ノ頭への斜面を過ぎた所がひょうたん池だ。元気いっぱいの荻原君が先頭を切って到着。先着の神奈川の2パーティーと挨拶を交わして幕を張る。15:30。

5月2日 【明神岳東稜】 越前屋、金子、小幡、荻原
明神東稜・取付き  4:40、簡単な朝食をすましてすばやく出発。今日は先行パーティーになる。アイゼンが小気味良くきく雪稜を快適に登る。ラクダのコブに来たところで後続の2人のパーティーが追いついてきた。かなり時間差があったはずなのに恐ろしく速い。ここはいさぎよく先行してもらうことにした。
 すれ違いざまに「三峰山岳会の人たちですか、僕は職場で飯塚さんの同僚です。」と挨拶された。三峰のヨーコちゃんは職場でもいい顔のようで実に礼儀正しいものであった。後日、「いや、あれは同僚ではなく後輩だ」といきまいていたが、さすがにお局様予備軍の面目躍如たるものがあった。
明神東稜から見上げる前穂  そうこうしているうちに核心のバットレスが目の前に現れる。さっきの青年が岩をガリガリやっていてだいぶ苦労しているようだったが、取り付いてみるとなかなかしぶとかった。今年の『岳人』670号に「本当にフリーで登ったらV級はくだらないんじゃないだろうか?と思える場所だ。ただ、いつ行ってもフィックスロープがあるので、皆これを使っているのだろう。これでは"山懐に触れる"の意味合いがちょっと殺がれてしまう気がする・・・」と菊地敏之氏が書いていたが、僕らにはフィックスロープなしではここのアイゼン登攀は手も足もでそうもない。全力投入で充分楽しませてもらった。
明神東稜・ラクダのコル  10:29、雪壁を越えてまもなく、岩つばめの群舞に迎えられ明神主峰に立つ。目の前に前穂高、左に明神東面が迫力のある姿で屹立する。しばらくの間、景観を楽しみ山頂を後にする。
 明神~前穂のコルへの下降は、左に大きく捲いて降りたところから2ピッチの懸垂になる。壁はボロボロで落石に注意を払いながら慎重に降りる。あまりボロボロと岩が落ちるのでそのうちに壁がなくなってしまうのではないかと余計なことを考えてしまう。先に降りた順に岩陰に隠れて、「イヤー、すごい、すごい」と声をあげる。
 コルから奥明神沢を2時間ほど下って岳沢の幕場に戻る。青い空と輝く雪稜の快適な登攀だった。素晴らしい仲間たちに感謝。
 幕場に戻ると、今日岳沢に登って来た天内、橋岡両氏が待っていて、すこし足慣らしにそこらを歩きがてら雪訓でもしたいと言う。
 少し付き合ったが疲れていたのですぐに逃げてきた。
 3時をまわった頃、2、3日前に携帯メールで「岳沢ヒュッテに泊まるのでテントに寄ります」と連絡のあった内山さんも到着した。
 明日は金子さんと内山さんが帰るので、今日がメンバー全員の顔が揃う唯一の日になる。さみしくなった酒も後続隊が背負い上げてきてくれたおかげでたっぷりある。にぎやかなテントになった。
奥穂をバックに明神岳山頂にて

5月3日 【奥穂高岳南稜】 荻原、小幡、橋岡、越前屋、天内《記録・荻原健一》
(前日夜のテントにて)
 本日食当の私は予定メニューのマーボー豆腐を無事作り終え、明神東稜踏破の充足感と共に「あーこれで今日も終わったな。家族には申し訳ないけど最高のGWだぜ。明日もいい一日でありますように」等と考えながらコップに入っている吟醸酒の最後の一口を飲みシュラフインする。
(当日)
 3時起床。4時半出発の予定であったが、5時過ぎの出発となる。越前屋、天内パーティーと小幡、橋岡、荻原パーティーの二つに分かれてすがすがしい出発となる。すぐに岳沢ヒュッテの脇を通過するが、朝日と共に我々を見送ってくれる女神がいるではないか!そうです。昨日大量のビール他の差入れを下さった「内山さん」なのです。わざわざ早起きして我々が通るのを待っていてくれたのでした。最高のエールを頂き、勇気百倍で南稜の取付きに向かうのでした。
 大滝の手前100mより左の雪壁に取付く。すぐに傾斜がきつくなり大きく右に50m程トラバースするところでザイルを出す。小幡隊が先行することになり、この後は別々に行動する。ワンピッチでザイルを回収し、きつい斜面の雪壁を慎重に登り高度を稼ぐ。途中二度の小休止をはさみ、トリコニーの岩峰に取付く。取付きには先行の三人パーティーがいたので、途中まで左から巻き、ワンピッチだけザイルを出して先行パーティーを追い抜く。一度、尾根上のハイマツ帯に出た後、雪壁となりひたすら高度を稼いでいく。本日もピーカンで気温も高いことから雪も緩みはじめてきたのでさっさと進んでいく。稜線手前(標高差で200mくらい下)で一本とるが、ビバーク跡があった。奥穂南稜でビバークするとしたらここしかないだろう。ここで大休止したあと30分程で終了点である「南稜の頭」に到着。12時半だった。記念撮影後、10分くらいで奥穂山頂に到着。越前屋隊はしばらくは到着しそうにもなく、風も強くて寒いので奥穂山荘に下って待つことにする。
 2時頃到着して、コーヒーなんかを沸かしたりしながら午後のひとときを平和に過ごす。3時過ぎに越前屋さんと思われる黄色いカッパのおじさんが降りてきたので「お疲れさんです!」と大きな声を掛けるも全くの別人で不審がられてしまった。「遅いですね、何やってるんですかね?」等と言っているうちに大勢で賑わっていた山荘前ベンチもいつしか数人程度となっている。時間も4時、5時、6時と過ぎて行く。「いくら何でも遅すぎる。下手したら暗くなってビバークになっちゃうかも・・・、それ以前の問題として怪我でもしているんじゃ・・・」。だんだんと考え方が暗くなってくる。登ハン中だったら迷惑と思いながらも携帯にTELするがやはり留守電だ。6時半に人影が現れるが、別人だ。何か情報が得られればと思い、聞いて見ると二人組の奥穂南稜パーティーに会ったとのこと。その直後、二人が姿を現す。ほっと一息。特に怪我もなく元気だ。全行程でザイルを出したのと、天内さんの体調が今一つだったのが原因のようだ。既に7時近くなっていたが、明日の前穂北尾根を登る為にも、ということで越前屋リーダーの決定で予定通り「涸沢」まで懐電歩行で下る。このような状況下で、まだ計画をやり遂げようとする精神力に心から感服するとともにリーダーたるべきものの心構えを教えて頂いたような気がしました。「涸沢」到着は8時過ぎ。
 みんなへとへとだったけど小幡さんが買ってきてくれたビールは最高の味でした。結局、長期山行から来る諸々の問題(私や橋岡さんのアイゼンのひも切れ・不具合、メンバーの疲労等)が表面化してきたことから翌日の予定はキャンセルし、横尾経由で岳沢に戻り、後半戦を終了することになった。メンバー、天気にも恵まれ、最高の雪稜登ハンであった反面、ひとたび歯車が狂った場合の雪稜の怖さというものを今回改めて感じた。これで天気が悪かったら・・・と思うとぞっとした。最後に、今回の岳沢定着を計画して下さった越前屋さんには本当に感謝しています。これからもガンガン行きましょう!

5月4日 【涸沢~岳沢】 越前屋、小幡、荻原、天内、橋岡
 北尾根は断念したので、涸沢のテント村が朝の喧騒を終えてやっと静かになった頃に横尾に向けて出発。
 「また、嘉門次小屋で一杯やろう!」を合言葉に下ったのだが、横尾に着くと幡ヤンと荻原君がニコニコうれしそうな顔で自販機のビールを飲んでいる。こうなるとみんな我慢ができない。
 あとは、徳沢で一杯、嘉門次小屋で名物の岩魚で一杯となって調子は上々になる。上高地まで行って今夜の酒を調達して岳沢に登り返す。
 それにしても今日の上高地から見る穂高の山々は格別だ。あそこに立っていたのだと思うと感慨一入と言うより他ない。
ビールが最高!

5月5日 【帰京】
 連休最終日の渋滞を避けるため、早朝の撤収とする。どのテントも考えることは同じで、次々とテントはなくなる。今晩からはここもまた静かになるのだろう。

 良い山の日々だった。連日の行動で足がふくれあがり、靴擦れのオバケをつくってしまったがそれもささいな代償としか思えない。
 南稜の朝、岳沢ヒュッテから聞こえてきたMOTOコールは感動的だった。年甲斐もなく熱いものがこみ上げてきた。山の仲間は本当にいい。
 それにしても、いつになったら前穂北尾根は登れるのだろう。「釜トン」の土砂崩れ、雨、昨年秋の大雪と数えてみるとすでに今度で7回目。取り付くことすらできない敗退を繰り返している。もう北尾根には来るなと拒まれているような気さえしてくるが、なかなかあきらめられない。きっと、また来ます。


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