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榛名山・掃部ヶ岳
服部 寛之

山行日 2003年2月23日
メンバー (L)服部、西尾、天内、天城、谷川

 高峰三枝子が好きというわけではないが、榛名というとなぜか「湖畔の宿」が即思い浮かぶ。
 戦前の流行歌を聞いて育った記憶もないので、おそらく子供のころ親が聴いてたナツメロがあたまにのこり、その後この歌が榛名湖を舞台につくられたことをなにかで聞いたか読んだかしたのであろう。
 そもそもぼくは山の湖というものに弱い。だから「山の淋しい湖に」とやられると、無条件にグッときてしまう。
 痩身白肌の美女がひとり湖面に姿をうつしたりしていれば、もう胸が掻きむしられる思いだ。(その場合、高峰三枝子はやめて涼風真世にしてもらいたい。)
 しかし、この繊細な山湖偏愛癖は、ちゃきちゃきの湘南ボーイにしては稀有な性向であろう。うみはうみでも、湘南のうみと山のみずうみでは、それこそ海と山ほども違う。
 青年はロマンチストなのだが、実にアンビバレントなのだ。
 女にモテルはずの湘南ボーイがモテないというのは、そのあたりに原因があるのか、自分でも悩むところだが、しかし最近はそれも人間として幅がある証拠だと、善意に解釈することにしている。
 幅があるといえば、こないだ電車に乗ってぼんやりしていたら、トンネルに入ったとたん、見慣れぬデブが目の前のガラス窓にとつぜん現れおどろいた。あとでそのことを便所で振りかえり、にんげん自分で自分を見られないから生きていけるんだなあと、感慨を強くした。便器をまたぐこのスタイルも自分の目には入らないから安心して気持ちを集中させることができる。
 この真理の発見以来、街や会社で他人を観るたびにその確信はますます深まる。
 話はいささか逸れたが、そんなことから初めて榛名に行ったのは、もう十数年も前のことだ。
 青年は期待を胸に湖の岸辺にたたずんだのだが、しかし、「山の淋しい湖」には、足こぎのハクチョウがキコキコ浮遊し、「岸の林を静かに行けば」、周回道路をはしるクルマに危うくはねられそうになった。そしてそんな青年を、土産物屋のお姐さんが手招きするのだった。
 青年は夢破れ、「薄きすみれにほろほろと いつか涙の陽が落ちる」のを知った。かつて傷心の高峰三枝子が「胸の痛みに耐えかねて」涙した湖は、数十年の時を経て、二たび青年の涙に染まったのである。
 それにしても、あのハクチョウのキコキコはやめてもらいたい。乗るべき相手のなき身には、いまいましい以外のなにものでもない。

 時は流れ、平成15年2月、ぼくはふたたび湖の岸辺にたたずんだ。高曇りの空の下、かつて涙で染め上げたあの湖面はカチカチに凍っていた。そして、あまたの人々がその上でワカサギ釣りをしていた。時さえ凍りつくような、凍てついた静寂が支配しているはずの湖はざわめきに満ち、あろうことかスノーモービルまで氷上をぐるぐる走っている。雪のこの時期ならすいているだろうと思ったヨミはまったく甘かった。町営駐車場も運良く一台分が残っているにすぎなかった。
 あの日と同じ湖岸に立ち、あまりの光景にぼくはまたしてもショックを受けたのだった。周回道路にはバスやマイカーが行き交い、軒を連ねる店先からは湯気が立ちのぼり、いまや「湖畔の宿」は「御飯の宿」としてちからを入れているようであった。
 かつて歌にうたわれ、軍国主義の排斥をうけながらも日本人の心に受け継がれてきた山上の詩情ある風景を、このような醜悪なものに変えてしまった戦後日本の自由主義と経済発展とはいったい何だったのか? 日本人は人間性の回復を求めながら自らそれを阻害する方向に走っているのではないか? などと、同じようにマイカーで乗りつけてきた己のことはすべて棚に上げながら、幾分中年化したセーネンは思うのであった。
 国民宿舎榛名吾妻荘の裏手から、われわれは登山道に入った。われわれとは、西尾、天内、天城、谷川の諸氏にぼくである。あろうことか全員男! 温泉ハイキングなので、淑女らの参加があるものと思っていたのだが、不幸にしてそれはなかった。あからさまなタメ息は、リーダーとしてはばかられたので、車中朝からつらいものがあった。煩悩多き他の4名も、多かれ少なかれ、同様な感慨を持ったことであろう。まずは雪に埋まった小径を硯岩へと上がるが、足取りはこころなしか重い。
The Hightest Peak in Haruna  15分ほどで尾根上に出、右へ5分で硯岩に到達。ここは本日のコースでいちばんの絶景ポイントであった。湖に面した反対側は切れ落ちており、眼下には真っ白な榛名湖が一面に広がり、対岸には○○富士の見本のような榛名富士が座っている。右手は南側につらなる外輪山が視界を区切る。面白いことに、わかさぎ釣りの人々は、上から見ると湖の中央に大きな半円を描いて一列にならんでいた。氷の薄い危険な区域を示すロープにでも沿って並んでるんじゃないかと誰かが言っていたが、釣師の習性はよくわからない。
 それにしても、ここから眺めると榛名の二重式火山の様がよくわかる。小ぶりで箱庭的である分、赤城より解りやすいかもしれない。榛名富士には初めての探訪の際ロープウェイで上ったが、形が整いすぎていて山歩きの対象としては魅力に欠ける。だが、湖と組み合わせると良い絵になりそうだ。全体を黄色い布で覆うと巨大なババロアが出来上がるだろう。
 10分ほどでここでの展望を終了し、掃部ヶ岳(かもんがたけ)へ向かう。今回、掃部ヶ岳に登ろうと思ったのは、(1)名前が面白い、(2)榛名の最高峰である、(3)展望が良さそう、という理由からだ。動機は平凡で、特に下心はない。斜面の下の方は深いところで膝位のツボ足となったが、ずっとふみあとがついていた。途中、右手の方に屋根が見えるので小屋でもあるのかとラッセルして行くと、そこは舗装道路が上がってきている別荘の分譲地のようであった。山中でこういう景色を見てしまうと、ドッと疲れる。
 10時28分、掃部ヶ岳に到着。大休止にする。南側の展望が開けて丸見えである。榛名湖は南端が少し見えるだけ。榛名の最高峰(1449m)ということだが、しかし標高はむこうに見えているとんがり山の方が高くないか? 地図を見ると、とんがり山は相馬山で、1411mとなっているが、これはきっと何かの間違いだ。というのは、むこうとこっちに長い棒を渡すとパチンコ玉は絶対こっちにころがって来ると思えるからだ! う~む、これは次に相馬山にも登らねばならなくなった。
 ところで、掃部というのは、広辞苑には平安時代の役所名として「掃部寮」(かもんりょう)、その長官職「掃部頭」(かもんのかみ)が出ているが、むかし何かの歴史本で人名として見た覚えもある。いずれにせよ、山名は英語の "Come on!" とは関係なさそうだ。例会山行計画表の備考欄に「カモン!」などと、今考えれば顔面火出且我欲入穴的超ダサいキャッチ・コピーを書いてしまったが、もしかしてそれがきょうの日の陣容という重大結果を招来してしまったのではないか?、という不安が胸をよぎる。「類は友を呼ぶ」という格言も一緒によぎる。
 そこからは「杖の神峠」というマジカルな名前の峠をめざし下りて行く。道は南面に移り、融けた雪でぬかるんでやや滑りやすい。途中、地蔵岩と耳岩という大きな岩の脇を通る。これらは樹林の中からにょっきり生え出たような大岩で、それらが広い面積にポツポツ点在するのがこの辺りの山の特徴のようだ。岩は黒っぽく脆そうに見える。西峰というピークからは榛名湖が半分位見えた。真っ白な湖面と、それを縁取る黒灰色の山肌とのコントラストが印象的だ。
 杖の神峠には、古そうな小さな石祠の脇にお地蔵さんが一体おられて、峠を守っていた。そのお地蔵さんには高い徳と気品が感じられ、その所為か、峠には穏やかで優しい気配が満ちていた。暖かな陽射しに、各自座り込んで行動食を食べる。峠には林道が通っていて、路面にはまだ20cm前後の雪が残っていた。峠部分は数台分の駐車スペースがとれる広さがある。峠の向こう側の杏が岳(すももがたけ:現地の標識では「すもんがたけ」)まで足を伸ばそうかとも思ったが、帰りのスキー渋滞を敬遠して早めに下ることにする。雪を踏みながら林道を下りてくると、湖畔にでる手前の斜面に「湖畔の宿記念公園」なるものがあり、なぜかそこに竹久夢二のアトリエが復元されていた。ガラス窓を大きく取った明るいかんじの小ぢんまりした家屋で、こういう湖畔の家で日がな一にち日向に寝転がって好きな本でも読んでいられたらゴクラクだなあ、と思いつつ前を通る。
 風呂は湖の北東岸にある「ゆうすげ元湯」に行ってみる。ホテルが2軒並んでおり、迷わず安い方に入る。「レークサイドゆうすげ」は湖岸を占領し、窓越しの湖面の景色が売りのようだが、湯殿は陰にこもった暗い性格で開放感がなかった。お湯は濁っていた。400円という料金が唯一の救いであった。
 帰り際、凍った湖面に降り立つと、左腕に硯岩を抱いた掃部ヶ岳が穏やかな表情を見せて目の前にあった。
杖の神峠にいたお地蔵さま

〈コースタイム〉
町営駐車場(榛名湖西岸中央)(8:55) → 硯岩(9:30~40) → 掃部ヶ岳(10:28~45) → 杖の神峠(11:45~12:00) → 町営P(13:00)


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