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南アルプス深南部・諸沢山
橋岡 崇史

山行日 2003年5月17日~18日
メンバー (L)越前屋、山沢、山口、橋岡

 今回の山行の目的地は合地山(がっちさん)だった。聞いたこともない山だ。
 三峰山岳会に入会してまだ日の浅い私は、南アルプス深南部という言葉に新鮮で心惹かれるものを感じたのだ。当初のルートは、静岡IC=千頭=釜ノ島小屋~赤沢尾根~合地山(幕)~北尾根~釜ノ島小屋であった。メールには「深南部はいいよ~(^o^)丿」と書かれていた。これはぜひとも確かめてみなくては! ルンルン気分(死語)で参加することにした。

 数日前に、越前屋さんからメールが届いた。
 アプローチの林道は車が入れないことが判明したので、林道歩きが11時間以上になり当初計画は無理なので、ルートを変えますとのことだった。そのルートは、
1日目
静岡IC=寸又峡温泉(2時間40分)千頭ダム(30分)日向林道(4時間)逆尾根取り付き点(1時間30分)1662標高点(1時間)主稜線1970m地点(25分)合地山4峰(幕)
2日目
4峰(4時間)諸沢山(3時間)日向林道(5時間10分)寸又峡温泉
であった。そして、「行動時間が長く、すこしハードになりますが、そのぶん印象深い山行になると思います」と書かれてあった。げげげげげ、なんと行動時間が1日目10時間、2日目12時間になってしまったのだ。水窪側からの合地山ピストンも検討しましたが、あえて寸又峡側からのルートにこだわりました、との親切なコメントも添えられてあった。ルートを変えても、歩く距離は飛躍的に長くなってしまったのだ。
 この時は、まだ三峰山岳会とはどういうところかよく分からなかったのだが、なるほど三峰では、こういった感覚が常識だったのか。認識を新たにした次第であった。後悔しても(しなかったけど、そう、まだルンルン気分は続いていたのだった)遅かったのだ。

 金曜の夜、海老名に向かう。ここでメンバーが6人から4人になったことを知る。なぜかと聞くと、家が遠いので日曜日に家に帰れなくなるからだという。げげげげげ、もう帰りが日曜日の深夜に決定してしまっていたのか。しかし、新人の私としては、動じる素振りを見せてはいけないのだ。
 山沢さんと山口さんが車で海老名に到着し、全員でえちぜんや号で出発した。その夜、私は車の中でよく眠っていたが、時折目を覚ますと、いかにも深い山の中といった風景だったので、ちょっとわくわく、ルンルン気分(しつこい)になった。爆睡していたので、どこで仮眠したのかも分からなかった。

5月17日
 17日は6時半頃に寸又峡温泉に到着し、ここから林道歩きが始まる。水はひとり3.5リットルを持つため、荷物は意外と重くなった。最初の大間ダムまでは観光客がいっぱいである。車が通れないようになっているゲートをくぐると登山者は我々だけになった。ただ釣り人がバイクで入っていた。バイクで行けばアプローチが楽なのだ。林道歩きを短縮するにはバイクか自転車は有効である。次回は深南部自転車ツアーか、原チャリツアーも企画できそうである。今後の課題である。
 林道を歩き、いくつかのトンネルを越え、千頭ダムまでは2時間半だった。コースタイムよりやや速めである。だが予定通りの行動をとれるかはまだわからなかった。千頭ダムからは別の林道に上がるために、登山道を通った。この時にヒルの初洗礼を受けてしまった。靴の中にヒルが入ってしまったのだ。これからも深南部に来るときは覚悟しなくてはならないのだ。ヒ害は私だけかなと思ったら、山沢さんも家に帰った後、靴の中にヒルがいたことに気づいたそうなのである。その話を聞き、ホッとした...。(好かれていたのは私だけじゃない)。
 それからまた、延々と林道歩きである。行けども行けども同じような道を進む。所々に吊り橋がある。廃小屋がある。途中、誰が確認したか不明だが、日本でいちばん怖いという○○橋があった。どこから取り付くのかよく分からなかったが、絶対安全と分かれば、今度は渡ってみたいものである。
 途中、帰りに諸沢山から下山する尾根の取り付きを確認しさらに進む。道は次第に悪くなり、崩落している箇所もある。そうこうするうちに、諸沢山に最短で取り付ける尾根に達した。この時すでに1時になっていたので、目的地を諸沢山に変更した。合地山に取り付くまでにはまだ林道歩きが1時間以上必要で、そこから山頂までがまたかなり時間がかかるのである。
諸沢山頂上付近  取り付きに梯子があったが、古く使えなかったので、脇から登る。30分くらい登ると廃小屋があった。ここに限らず、今回のルートには廃小屋が多かった。そして大概は酒瓶が散乱しているのである。ゴミは嫌いだが、こういうゴミは雰囲気があっていいかも知れないなどと思った。私の持ってきた5万図は20数年前のものだったが、今の地図とはだいぶ異なっていた。林道はなく、小屋はたくさんあって、今よりもっと不便な山にも、今よりも人が入っていたようだ。時の流れを感じさせる。
 さてここから急登であった。赤テープも所々にはあったが、基本的には登れば活路は開かれるルート。ひたすら登り、今回最も疲労度が高かった所であった。途中、ベニバナヤマシャクヤクが咲いていて、ほっと一息ついた。山沢さんがカメラに収めていた。
 主稜線と出合うと、後はなだらかな斜面である。苔むした倒木が横たわり、意外に明るく広い尾根を歩き、頂上に到着した。頂上には雰囲気にそぐわない、はっきりした「沼津○○会」の標識と「消費税反対」のシールがあった。ここでテントを張った後、次回のために合地山に向かう尾根を偵察に行った。
 晩飯は越前屋さんのスタミナ丼で乾杯した。

5月18日
 ルートファインディングは下りの方が難しいようだ。時々、立ち止まって考えながら下降する。迷いやすい所には無いのに、ルートがハッキリしている所には赤テープがある。でも藪っぽい所はなく、視界は開けていた。昨日チェックした場所にドンピシャ降りた。懸垂下降もしなくて済んだ。
 帰りも天気はよかった。ピンポイント天気予報では池口岳は雪だったそうであるが、たぶんはずれだったのだろう。眩しい新緑の中を歩くと、林道歩きも苦にならなかった、かと言えば全然そんなことはなかった。
 寸又峡温泉で温泉に入り、蕎麦を食べた。その後、越前屋さんが食べたいと言っていた桜エビの炊き込みご飯を求めて、さまよった。見つからなかったので、越前屋さんは自宅で料理するためPAで釜ゆで桜エビを買って行った。(でも思い通りの味にはならなかったそうだ)

 今回は、人のいない深南部の雰囲気も味わうことができたが、より林道歩きの方が印象に残ってしまった。でも、感じ足りなかった部分はまた次回に、ということで。越前屋さんの藪山に賭ける情熱はメンバーに熱く伝わった事でしょう、たぶん。いずれ合地山で集中山行という野望を持っているのかも知れませんね。

〈コースタイム〉
17日 寸又峡温泉出発(6:54) → 千頭ダム(9:20) → 日向林道(9:50) → 夢想吊橋(11:50) → 支尾根取り付きの廃小屋(13:25) → 主稜線(15:13) → 諸沢山(15:40)
18日 諸沢山幕場(6:30) → 源平くずれ(7:50) → 83図根点(8:05) → 林道(9:15) → 千頭ダム(10:50) → 寸又峡温泉(13:10)
* * * * * * * *

 失敗でした(反省を込めてここだけは丁寧語)。「登山地図」の「寸又川林道一般車通行止め」の表記を、マイカー禁止ときめてかかって「タクシーなら大丈夫だろう」と思い込んでいた。しかも、以前にこの道を疲れた足をひきずりながら歩いたことがあったにもかかわらずだ。
 合地山を前夜発1泊2日で登ることばかりが意識の中で先行し過ぎた。直前になって、地元のタクシー会社に確認の電話を入れてようやく気がついた。せっかく、参加しようとしたのに止めなければならなかったお二人には本当に申し訳ないことをしてしまった。
 もちろん、参加したメンバーにも長い林道歩きを強いてしまい、心苦しく思っていたが、頑張ってもらって例会の最低限のかたちをつくり出すことができた。感謝にたえない。
 結論として合地山に登るには最低2泊3日、当初の計画の「赤沢尾根~合地山~北尾根」ルートか、中ノ尾根山経由の通常ルートのいずれかを選ぶしかないように思われる。ほかにやはり一日の林道歩きを前提にして「池口岳~鶏冠山~中ノ尾根山~合地山~諸沢山」の3泊4日も記録もあるようだが、ハードな行動になりそうだ。
 なお、文中の日本一怖い吊橋は「夢想吊橋」で、全長120m、高さ80mの触れ止めのない吊橋なのだそうだ。  また、諸沢山にあった山名板の会は藪漕ぎの世界ではその名を知られた「沼津かもしか」である。

(えちぜんや 記)
諸沢山概念図

ベニバナシャクヤクは非常に珍しい貴重な植物です。諸沢山で、この貴婦人と初めて出会いました。

photo&text by S.Yamasawa

ベニバナシャクヤク1

ベニバナシャクヤク2


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