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70周年記念山行 北海道・知床
小堀 憲夫

山行日 2003年4月26日~5月5日
メンバー (L)野口(芳)、鈴木(章)、飯塚、高木(敦)、小堀

 夕暮れの知床の海では、流氷が我々を出迎えてくれた。
 女満別空港から一路知床へ車を飛ばしてきた私達の目に、海面にまばらに浮かぶ流氷が飛び込んできた。翌朝はいよいよ知床半島に入る。荷を解き、知床橋のたもとに幕を張り、明朝出発の門出を祝い、杯を重ねた。焚き火の向うに浮かび上がる流氷と、時おり蛍のように光る釣船の姿に酔いしれながら、ここまで来られたことの幸せをかみ締めていた。潮の香りの中での焚き火は久しぶりだった。
 先行して奥様と北海道ツアーを楽しんだ野口さんの待つ女満別空港に、後発隊の4人は慌しく到着した。みな、10日間の長期休暇をよく取れたものだと感心する。私の場合、ほとんど不可能だったのが、幸運が重なり、休みが取れた。出てくるまでが今回の山行前半の核心部だったような気がする。最近、同じ会社内ではあるが、自分の意思で仕事を変わった。新しい職場と責任に目まぐるしい日々を送っていた。そんな時期のこの長期山行である。仕事で忙しいだけに、いくら忙しくても仕事だけじゃないんだぞ。そんな思い入れがあった。そういう訳で、この企画に誘ってくれた野口さんに大感謝なのである。実際、今回は野口さんの下準備が無ければ実現しない企画だった。前割りの格安航空券を買ってくれたり、フェリーを手配してくれたり、至れりつくせりだった。
 翌朝27日、川面に深い霧を湛えたルサ川に足を踏み入れた。山スキーも用意してあったのだが、雪の量を見て昨日の内につぼ足のみの縦走に予定変更してあった。知床橋のたもとに車を停め、ルサ川左岸の道を入って行った。しばらく行くとキャンプ場だろうか、小屋があった。それを見送り、踏み跡に一歩踏み出した時、先頭を行く野口さんが奇声をあげた。
 「げげげっ、ななっなんだ~、こりゃぁぁぁ!」
 そう、それは予想はしていたが、なるべくなら避けて通りたいもの、ヒグマの足跡だった。それもつい今しがたついたばかりのホッカホッカの足跡。野球のミットかベースくらいもあっただろうか。足跡の大きさから体長を想像して急に恐ろしくなった。早速、用意してきた爆竹を鳴らし、笛を吹き、女性陣はそれでも足りず、ここぞとばかり喋りまくった。今回は、ヒグマ対策用として、ヒグマ撃退用スプレー、爆竹、ベアベル、音を出して追い帰す(そんなことができるのかはなはだ疑問)時用のレジャーシートなどを用意した。
 平らな河原を、暫く薮をこいだり、渡渉したりを繰り返しながら進み、ルサ川を詰める。薮コギはいつヒグマと出くわさないとも限らず、気が気ではなかった。それに流石に水は冷たく足先がしびれそうだった。そして、雪面にはまたヒグマの足跡が。
 3時間ほど歩いて、漸く下の二俣に到着した。右の沢に入り、道は漸く登りらしくなり、笹に捕まりながらの薮コギも出始めた。誰が始めたのか忘れたが、両手が塞がるそのようなケースで、熊避けに雪山ビーコンを鳴らしながら行くと具合が良いことが分かった。ビーコンの音は高い電子音なので沢沿いでもよく届くのだ。30分ほどで上の二俣に出、稜線を目指し左の沢を更に詰める。
 13時過ぎにまばらに木立が立ち並ぶ広々とした山腹の台地に到着した。ルサ乗り越えまではあと少しなようだったが、振り返ると山が綺麗に見渡せて気持ちの良い場所だったので、山中最初の幕場とした。入山初日を記念してのんびりキャンプを楽しんだ。
ベースキャンプでの楽しいランチ  28日朝、6時半ころに幕場撤収。ルサ乗り越えまで15分ほどで到着した。気持ちの良い天気だ。携帯電話のアンテナも立ち、東京に電話をかけてみたりした。
 細い稜線に取り付き、踏み跡を辿る。記録を読み、猛烈なハイマツの薮コギを予想していたのだが、雪を拾って行くとそれほど困難もなく高度を稼ぐことができた。698mのコルまでは忠実に稜線通しに進み、10時半ころ到着。そこから773mのピーク方面へ西寄りにルートを取り、1時間ほどで到着。また稜線に戻るようにして斜面をトラバース気味に進み、859mと862mのピークが双子峰のように見渡せる手前の台地に13時到着。予想より困難ではなかったとは言え、ピーカンの天気で腐った雪とハイマツの薮コギに、当然体力は消耗していた。地図を確かめ、ここから知床岳まで空身でピストンできるだろうと判断し、幕とした。台地の端からは羅臼の海が見渡せ、爽快な気分にさせてくれる。テントのそばの立ち木に、野口さんがザックにさして持ってきた玩具の鯉のぼりを取り付けた。
ルサ乗越手前・最初の幕場  翌朝29日は早起きして、4時45分に幕場を出発した。天候はその日一日は何とか持ちそうだったが、午後から下降し始めるとの予報だったので、早めに出発する必要があったのだ。双子峰ピークのコルに1時間ほどで到着。少し下降した後、801mのコル手前で稜線を外れ、急な稜線右斜面を大きくトラバースしながらの登りとなった。雪が腐っていたから良かったが、アイスバーンにでもなっていれば、かなり緊張を強いられただろう。やがて1062mのピーク下のトラバース終了点に7時半ころ到着。約1時間半の長いトラバースで、たっぷり汗をかいた。
 しばらくなだらかな登りを行くと、目の前にドーンと知床岳が現れ、広々とした平原に出た。真ん中を気持ちよく進み、平原のど真ん中で休憩。
 さあいよいよだとばかりに行動開始し、知床岳を登り始めて1時間ほどでピークに立つことができた。流石に稜線は飛ばされそうに風が強かった。頂上でカムイ(神様)にオミキを捧げ、ハイマツに三峰山岳会70周年記念バンダナを巻いてきた。
知床岳「70周年記念バンダナよ、永遠なれ!」  後は幕場までの道をノンビリ下り、昼前に到着した。まだ天候が崩れ始めるまでに間がありそうだったので、外に雪のテーブルを作り、ゆっくり昼飯を食べた。そして夜半、天候が一転して猛烈な吹雪になった。
 翌日30日は一日停滞。情け容赦もなく吹きすさぶ風雪にテントが潰されそうになった。
 翌朝、5月1日は、朝のうちまだ風が残っていたが下山開始することに決定した。テントを出ると辺りの景色は一晩で厳冬期の雪山景色に一変していた。木に縛っておいた玩具の鯉のぼりが吹流しを残し、どこかに飛んで行ってしまっていた(あとでハイマツの中に発見)。7時50分に幕場を出発。途中、野口さんが持ってきた秘密兵器GPSがルートファインディングで大活躍した。ルサ乗り越えに10時半ころ到着。下の二俣に11時に到着。帰りの渡渉はもう靴を脱がずにズブズブ履いたまま全員先を急いだ。知床橋には13時少し過ぎに到着。あたり一面に濡れたものを広げ、充実感に浸りながらしばし呆然とした時間を過ごした。
 皆我に返り、広げた荷物を再び収容し、次に探したものは酒屋とタバコ。その次がメシ屋。郵便配達のおじさんに聞いた羅臼の港の食堂で、いくらの大盛丼とジンギスカンにむしゃぶりついた。その後は夜の買出しをしながら近所の温泉へ。山鳥と海鳥の鳴き声を同時に楽しめる露天風呂に生まれて初めて入った。
 その夜から4日の夜、苫小牧港でフェリーに乗るまでの珍道中もまた楽しかった。

帰りの珍道中「♪襟裳の春~は」
〈コースタイム〉
4月27日 知床橋(8:00) → 下の二俣(11:00) → 上の二俣(11:20) → 幕(ルサ乗り越し手前)(13:10)
4月28日 幕(6:25) → ルサ乗り越し(6:40) → 385m(7:35) → 404mコル(8:30) → 698mP(10:30) → 773mP(11:20) → 幕(12:50)
4月29日 幕(4:45) → 862mコル(5:35) → 801m手前コル(6:00) → 1062m(7:20) → 山頂手前平原(8:30) → 山頂(9:35) → 平原(10:20) → 728mコル(11:20) → 幕(13:00)
4月30日 停滞
5月1日 幕(7:50) → 404m手前(9:30) → ルサ乗り越し(10:20) → 幕跡(10:30) → 下の二俣(11:00) → 知床橋(13:10)

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