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三峰山岳会と私の登山
井上 博之

 私は1988年、55才の時にロシア屈指の名峰として知られているハンテングリ峰(7,050m)を当時の最高齢登頂者として登り(50才以上の者で7,000メートル以上の山を登頂したのは日本では私が二人目だったのだそうです。またハンテングリ峰についてはロシア人クライマー、ボリス・スチュジェニン氏が54才で登頂したのがそれまでの記録でした)、57才ではインドヒマラヤにあるヌン峰(7,135m)を攀ってきました。
 こうした登山が出来たことは三峰山岳会で受けたご指導と鍛錬のお陰だと思っています。

 私は、学生時代からの親友で中学生の頃から山に魅せられて登っていた男の急死をきっかけに、50才になってから初めて登山を始めたのですが、それまではハイキングすらやらないほど山とは全くといっていい程に無縁でありました。
 最初は白山書房主催の講習会やプロのガイドについてロッククライミングのイロハを習い、その後講習会の生徒仲間で作った吉川栄一氏をリーダーとする「山猫」という会のメンバーとして岩や沢に通っていました。ところが、数年後の昭和65年にはリーダーの都合によってその会が解散することになってしまいましたので、「山渓」などで探して三峰山岳会に入会しました

 当時御茶ノ水にあったルームはなかなかの盛況で、元気な女性の会員も多く、そのせいか男性会員も意欲的に岩や沢に挑戦していました。山では他のパーティーを追い抜くのが慣わしででもあるかのようにして皆頑張っていました。私もそれに煽られるようにして、自分の年も忘れて夢中になって、出来るだけ多くの山行に参加しようとしました。経験の少ない年配者と一緒ではと困惑する人も多分かなりいたのでしょうが、私には誰もが同じ仲間として同等にまた親切に対応してくれたように感じられました。
 お陰で谷川、屏風、前穂高、滝谷、北岳を初めとしていろいろな岩でロッククライミングが出来、鳥海山、白馬岳、双六岳、吾妻連峰、米子沢などでの山スキー、笛吹川、松木沢や八ケ岳のいろいろなルートなどでのアイスクライミング、湯檜曽川、三重泉沢、御神楽沢、丹波川などの沢登り、槍、剱、八ヶ岳などでの冬山など良い経験を沢山積むことが出来ました。今にして思うと私は幸運にも良いタイミングでよい会に入会していたわけです。
 これらの経験のお陰で、先述の高所登山と同時にフランス、スイス間のオートルートを1週間をかけてのスキー滑降、田原会長の親切なアドバイスを受けての氷のグロスグロックナー峰(3,797m)やダハシュタイン峰(2,995m)などオーストリアとドイツ8峰の単独登攀、イタリアのドロミテにあるトレチマ岩塊約1,000メートルの壁やヨセミテでのロッククライミングをすることなどの素晴らしい体験が出来たのだと思います。
 深く感謝しています。
 ただ、50才代までは、率先して胸までのラッセルをやっても体力に問題を感じたことは殆んどなく、いつまでも若いつもりでいたのですが、やはり60才、65才あたりに老化によるハードルがあるようで、特に私の場合、以前から心臓に若干問題があったのですが、若い人に比べて血液の循環が悪くなって冬季に指先が利かなくなるとか、大きな負荷により心拍数が180以上に増えるとかの現象が起こるようになり、70歳にもなんなんとすると年齢による一般的な身体の機能低下を自覚せざるを得なくなりました。考えてみると、これは自然現象であって誰でもが通過せざるを得ないプロセスなのですが、本人にしてみますと、これを悟るには少々時間がかかります。
 ヒマラヤでの過酷なクライミングは「今は昔」となっていても、頭が納得してくれないからです。しかし、雪山でザックを持ってもらうなど、皆さんにご迷惑をかけるようなことになりましたので、ここ数年は無理な登山は止めて、もっぱら主として女房と低山を楽しんでいます。これまではどちらかというと、目尻を釣り上げて足元ばかりを見て、周囲の景色を鑑賞する余裕などあまり無かったのですが、最近は四季それぞれの山の美しさや可憐な花などをゆっくりと愛でる喜びがあることを知りました。
 これからはこうしたペースででも出来れば終身登山を続けたいものだと思う今日この頃です。とは言っても、たまにはあまり厳しくない山スキーやゲレンデでの岩のぼりは続けたいと思っていますし、天候のせいでこれまでに二度失敗したマッターホルンを登る夢を全く捨てたわけではありません。


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