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70周年によせて
服部 寛之

 入会して早18年である。熱い思いで取り組んだGOGO山行(55周年/1988)も、根性入れて頑張ったマッキンリー遠征(60周年/1993)も、昨日のことのように憶えているが、いつの間にやら歳月は我が体躯に脂肪分を残したまま数億光年彼方に飛び去ってしまった。光陰矢のごとしとはこのことか。
 当初は山奥の温泉まで無事に往復できるだけの技量が身についたらさっさと退会するつもりだった。入会は秘湯探訪のための単なる方便だった。それがそのまま18年とは、自分でも驚きである。山の世界は始めてみればそれだけ奥深い魅力を秘めていたということなのだろう。
 しかし、夢中になって登っていた一時期を過ぎて最近は、はたして自分は本当に山が好きなのか、山のどこが好きなのか、よく考えるとわからなくなって戸惑う。わからなくなったのは、あまりに多面的な山の世界の中にあって、自分が関わってきた面ですら十二分に味わうことなく駆け足で過ごしてきてしまったからではないか、と思える。それは後悔であり焦燥であり見通しなき軽佻な人生設計への反省でもある。
 その一方で、山の自然の中にいることに歓びと安らぎを覚えるのも確かである。その感覚は感情の奥深いところに根ざしたものであり、それについては己れに偽るところはない。この歳になってそれに気づいたのは幸か不幸か判らぬが、ともかく今後はそれを大切にしつつ、地に足をつけた生活をおくりたいと切に願う。そうして山と関わって行くならば、自然の奥深さがもう少しよく解かってくるのではないか、もしかしたらその先に自分のアイデンティティーが見えてくるのではないか、そんな期待感を抱いている。
 この18年間処処方方の山に登ってきたが、何座登ったのか、数えたことはない。試みに数えてみた深田百名山は、いつのまにやら六十数座登っていて、その数には自分でも驚いた。最大の後悔は愚かにも足に障害を負ったことだ。そのために諦めねばならなくなった頂きも多い。沢や岩はもともと不得意だったが、行かれなくなってみると惜別の情が強まるのはどうしたことか。ルームや会報でみんなの報告を見聞きして行きたいと思う沢や岩は憶えておき、いずれ肉体から解放されたらゆっくり訪ねてみたいと思う。それまでは、まだまだ登りきれないほどある尾根を愉しむことにしよう。


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